公開日:2024年1月19日

ソウルのオルタナティヴシーンの現在と課題──ユ・ジウォンに聞く【連載】オルタナティヴの複数性:アジア各地におけるアートシーンの現在地

The 5th Floorのディレクター、岩田智哉による連載第1回。リウム美術館のキュレーターであり、Yellow Pen Clubのメンバーのひとりでもあるユ・ジウォン氏を迎える本記事は、ソウルのオルタナティヴ・アートシーンに迫る。

ユ・ジウォン

オルタナティヴとは、美術館などのインスティテューション(制度・機関)に対して、独自のエコシステムを作り出そうとする試みである。しかし一口にオルタナティヴといっても、その活動は周囲の環境やその対立軸となるインスティテューションのあり方によって様々である。自身も東京でオルタナティヴ・スペース、The 5th Floorのディレクターを務める岩田智哉による本連載は、アジアを中心とした海外各地のオルタナティヴなシーンで活動する若手キュレーターへのインタビューを通じて、それぞれのローカルの文脈ごとに異なるオルタナティヴな実践を明らかにし、また各地のカッティング・エッジなアートシーンやそのキュラトリアル実践の実態へと迫る。【Tokyo Art Beat】

Yellow Pen ClubとYPC SPACE──展覧会だけではない、コレクティヴ・ラーニングの場としてのスペース

──連載の1回目として、美術館でキュレーターを務めるいっぽう、ソウルで自身のスペースを共同運営されており、インスティテューションとオルタナティヴの両側面からソウルのアートシーンに携わっているジウォンさんにインタビューしたいと思いました。ジウォンさんは現在はリウム美術館のキュレーターとして、韓国の若手アーティストの紹介に加え、長期間のリサーチに基づく展覧会企画を行っています。また、アート・ライターによるコレクティヴであるYellow Pen Club(以下、YPC。2016〜)のメンバーとして活動し、プログラム/ギャラリー・スペースであるYPC SPACEの共同ディレクターを務めています。まずはYPCの紹介からインタビューを始められればと思います。YPCがどのように活動を始めたのか教えていただけますか?

YPCは、クォン・ジョンヒョン(Junghyun Kwon)、イ・アルム(Areum Lee)、そして私の3人で結成しました。出会ったのは2015年、ソウル大学校の同じ修士課程にいたときです。そこで力が入れられていたのは学術的なスキルの養成でしたが、私たちの興味はソウルのアートシーンのほうに向いていました。そのため、はじめは毎週集まってそれぞれが書いた展覧会についてのテキストを共有し、一年後からはそれをオンライン上で公開し始めました。

2010年代半ば、多くのインディペンデントなスペースやコレクティヴは小さな空間で活動し、ソーシャル・メディア上で存在感を放ち、互いにつながっていました。私たちもテキストをウェブ上で公開し、SNSを通して反応も得られるようになりました。またその頃から執筆セミナーやレクチャーなどのプログラムにも招待されるようになりました。しかし、次第にそうした活動ができる自分たちのスペースがほしいと思うようになり、2022年にYPCスペースをオープンしました。

Yellow Pen Club。左からクォン・ジョンヒョン(Junghyun Kwon)、ユ・ジウォン(Jiwon Yu)、イ・アルム(Areum Lee)

──みなさんは大学でキュレーションを専攻した経験がありますか?

いいえ。私は修士過程で現代フランス美学について学び、修士論文ではデリダ思想におけるパフォーマンス性について書きました。私は当時キュレーターというよりはライターとして活動しており、アートに「まつわる」執筆という考えをもとに、自身のテキストを通して実験的にアートに取り組むことに関心を持っていました。ジョンヒョンとアルムはよりアートと社会の関係に関する領域で学んでいたため、私たちはそれぞれ異なるアカデミックな関心を持っていました。

──YPCではどのようにプログラムの運営を行っていますか。

YPC SPACEは2つの空間に分けられており、1つはワークショップ等、もう1つは展示のためのスペースになっています。私たちの理想は、ともに読み、学び、そしてゲストに新たなアイデアを共有してもらうことで、参加者が新たな学びを得られるプログラムを行うことです。そのため、私たちはセミナー等を開催しますが、必ずしも何かを「教える」わけではありません。

──YPCは20代前半から30代まで若手のアーティストと仕事をされていますが、アーティストや企画の選出基準、そして3人でどのようにキュレーションを分担しているのかを教えていただけますか。

もう少し詳しくバックグラウンドをお話しすると、YPCは正確にはキュラトリアル・コレクティヴではなく、ライターによるコレクティヴです。現在はそれぞれキュレーターとして活動していますが、YPCを始めた頃はそのような自己認識はありませんでした。私たちは、レクチャーやセミナー、ワークショップなどのプログラムを軸にしたスペースを作ることを目指しました。そうした実践が私たちの活動の中心であり、ともに学ぶことで成長しています。このような「コレクティヴ・ラーニング」がYPCの活動の基軸になっています。

これまでに「Journal du dehors(*1)」をはじめ、合計3つのプログラムがセミナーから展覧会へとつながりました。

また、私たち自身がまだ若手のため、自然と若手アーティストとの仕事が多くなります。同世代の彼らと同じように世界をまなざし、ともに成長していきたい。若いアーティストに対して開かれたスペースでありたいという思いもあります。アーティストや企画の選出基準に関して言えば、ソウルには若い作家が展示できるスペースがあまりなく私たちのところへ多くのプロポーザルが送られてきますが、「協働」という観点を重視してそれらに目を通します。

クォン・ジョンヒョンがキュレーションした「Journal de dehors」展(YPC SPACE、2022)展示風景 

──「協働」とは、YPCとアーティスト間での協働のことですか、それとも別のかたちのものでしょうか。

どちらもです。アーティストにはYPCとの協働に価値を感じてもらえたら嬉しいですし、アーティスト同士の協働ももちろん大事にしています。過去にアーティストから送られたプロポーザルを見て開催した展覧会が2つあるのですが、どちらも作品が素晴らしいことに加え、複数のアーティストによる共同企画という部分に惹かれました。

YPCの3人についても同じことが言えます。私たちはそれぞれ異なる関心や意欲を持った3人であるため、互いが公平にコレクティヴを代表できるように意識しています。もし3人全員が展覧会に携わるならYPCの名で実施しますし、企画の量についてもそれぞれの意見を共有しながら、時間と空間の平等な分配に努めています。

「SeMA Blue 2016: Seoul Babel」展(ソウル市立美術館、2016)会場風景 Courtesy of Seoul Museum of Art

ソウルのオルタナティヴ・スペース:「代替空間」から「新生空間」への歴史、そして現在

──次は韓国、とりわけソウルのオルタナティヴなアートシーンについてお聞きします。1999年に「Alternative Space LOOP(*2)」が設立されて以来、「代替空間(*3)」と呼ばれるオルタナティヴ・スペースのシーンが形成され、その後2010年代から次の世代のアーティストたちによって運営された「新生空間(*4)」へと続く、という流れが存在していました。しかし2015年、新生空間とその周辺アーティストによる展覧会兼販売イベント「GOODS」展(*5)でその勢いが頂点に達すると、翌年彼らの活動を取り上げたソウル市立北ソウル美術館での「SeMA Blue 2016: Seoul Babel(*6)」展以降、「新生空間」は衰退の一途をたどりました。

YPCは当初はスペースではなく、コレクティヴあるいはプラットフォームとしてではあったものの、活動を始めたのがまさしく「新生空間」のピークと同じ時期だったかと思います。こうしたオルタナティヴなアートシーンの歴史についてどのように考え、またYPCおよびYPC SPACEとして、その文脈のなかでご自身の活動をどのように考えられていますか?

2015年に私たちが初めて会ったとき、「新生空間」はすでにひとつの現象として認識されていて、私たちは主要なメンバーではありませんでしたが彼らの動きを間近で見ていました。また、彼らの特徴として散在するネットワークがあげられ、そのなかでは私たち鑑賞者も重要な役割を果たしていました。私はYPCのメンバーとともに「GOODS」展を訪れましたが、そのときは同展がソウルのオルタナティヴシーンの文脈で決定的な瞬間になるとは思っていませんでした。いっぽうで、会場はエネルギーに満ちており、知り合いがいなくても歓迎されているように感じました。

──「代替空間」と「新生空間」の違いはどういったところにあると思いますか?

私たちは「新生空間」の中心メンバーと同世代ではありません。彼らは私たちより少し上の世代の1980年代生まれがほとんどで、「代替空間」はさらに前の90年代に形成されたシーンです。いまもそれらのいくつかのスペースは活動していますが、私たちの世代は彼らの活動を直接は体験していないので、「新生空間」の人たちのレンズを通してしか、「代替空間」の活動について知らないのです。

より歴史的な視点から知りたいのであれば該当の研究が見つかると思いますから、これからお話しすることはあくまで私の断片的な経験に基づくひとつの見解として認識していただければと思います。

「新生空間」の特徴として、「目標」や「目的」を持たない点が挙げられます(*7)。対して「代替空間」は、ミッションを掲げ、それを遂行することに力を入れていました。しかし、「新生空間」の人々は誰もミッションについて語らず、ただそこにいるだけでした。彼らは前の世代と何か異なることをしようとしていたはずですが、それを口に出すことはなく、メンバーの活動指針も異なっており、スペースの継続に重きを置いていませんでした。彼らにとって、アートシーンで生き残ること自体は目標ではなかったのです。

「GOODS」展(世宗文化館、2015)会場風景 参照:http://goods2015.com/a-photo.html

──彼らのモチベーションに何か具体的な違いはありましたか?

「新生空間」のメンバーは、実践的なアプローチをとり、より有機的な構造を持っていました。彼らは1980年代生まれで、2007〜08年の大学卒業時に経済危機に直面した世代ですから、前の世代とはまったく異なる見通しを持っていました。アート・マーケットは以前のようには到底機能しておらず、就職市場は縮小し、生活全般の質が低下するなかで彼らは何かをする必要に駆られ、何かを成し遂げるために作品を制作、展示しましたが、その「何か」はこれまでの成功への道筋に見つけることができませんでした。あるいは、そうした道などすでに失われてしまったと感じる人もいたかもしれません。そんな状況を乗り越えるため、彼らはスタジオを解放し、一時的なギャラリースペースとして運営しました。少人数に作品を見せ、フィードバックを共有し、ポートフォリオのための写真を撮ることができればそれで十分で、空間の広さやきれいさは重要ではありませんでした。

「新生空間」は必ずしも、もしくは自覚的に何かに「対抗」して活動していたわけではないので、政治的な色合いを帯び、明確な目的意識を持って活動していた「代替空間」とは異なっていました。また新生空間は、関係性を作るため戦略的にソーシャルメディアを使っており、YPCはそうしたネットワークに参加することでいまのような活動に至っています。私たちは共通の分母を持たないけれども、彼らのコミュニティの一部となっていました。「新生空間」の活動を目の当たりにした当事者として、YPCは当時の雰囲気ややり方に大きな影響を受けています。私たちはただ当時の現状について執筆している3人の友人によるグループであり、簡易なウェブサイトとTwitterのアカウントを持っているだけでした。誰が私たちのテキストを読んでいるか想像もつきませんでしたが、どうにか反応も得られるようになりました。

──新生空間の活動やアーティストの実践を紹介した展覧会「SeMA Blue 2016: Seoul Babel」展についてはどのようにとらえていますか?

2016年にソウル市立北ソウル美術館で「SeMA Blue 2016: Seoul Babel」展がオープンしたとき、多くの批評家は「新生空間」のアーティストはインスティテューショナライズ(制度化)されるために同展に参加した、と述べました。しかしそうした見方は実状をあまりに単純化しすぎています。もちろん、アーティストに成功したいという思いはありますが、この世代の作り手たちは「成功」がなんであるかを改めて定義し直そうとしていました。私が同展を訪れたとき、数組の作家がその場に寄生するかたちで、「SeMA Blue 2016: Seoul Babel」展という機会を積極的に使っている──あるいは悪用している──のを目の当たりにしました。自分たちでオフィスを構えるのが難しいいくつかのグループは、美術館をオフィスとして使っていました。多くの人が新生空間の死を決定づけたものとして「SeMA Blue 2016: Seoul Babel」を振り返っていますが、実際のところ彼らの活動は当時すでに衰退しており、美術館は「新生空間」の試みを「新しいもの」と呼ぶことで、その実践に追いつこうとしていただけでした。

「SeMA Blue 2016: Seoul Babel」展(ソウル市立美術館、2016)会場風景 Courtesy of Seoul Museum of Art

──彼らの世代とあなたたちのあいだにはまだつながりがありますか?

YPCスペースで展示をしたアーティストの多くが、「新生空間」世代に属しています。私たちは、彼らのスペースを訪れた際にその活動を知り、はじめはアーティストと鑑賞者という関係性でしたが、私たちが批評家/キュレーターとしてのキャリアをはじめるにつれ、次第にパートナーシップおよび友情関係へと変わっていきました。

人々をつなげ、明確なミッションを持たない、という私たちの考え方は「新生空間」世代の影響を受けています。しかし10年前に比べ、インスティチューションとコマーシャルの両シーンはそれぞれ見違えるほど成長したため、いまの状況は彼らの世代のそれとは異なっています。当時、アーティストは何もできることがないと感じていました。彼らが何かをしたくとも、美術館・ギャラリーはそれを引き受けることはありませんでした。そのため、彼らはエネルギーに溢れつつもそのやり場がなく、自分たちが持ち合わせで何かをするしかありませんでした。そのいっぽう、いまは多くの機会に恵まれており、フリーズ・ソウルも相まってソウル市内にはギャラリーが溢れています。私たちは前の世代と異なり、同時代のアートシーンになんの欠如もありません。もしかすると、いまは慎重な選択と断るべきタイミングを知ることが大事なのかもしれません。

──現在のソウルのアートシーンについて聞かせていただけますか?

興味深い点として、ソウルに新しくオープンしているスペースは「新生空間」の精神をもはや共有していないことが挙げられます。もしかすると、彼らは当時その場に居合わせていなかったため、ただ「いま」に対峙しているのかもしれません。現在のソウルでは、多くのアートスペースがオルタナティヴ・スペースのような運営方法──国や地方の助成に申請し「非営利」として広く認識されている──をとるいっぽう、スペースのレンタルビジネスをして、展示を行うアーティストから貸料を徴収するというハイブリッドな状況が生じています。

そのため、YPC SPACEは「インディペンデント」であることの意味を探っていくことが重要だと考えています。この問いに対する単一の答えは存在せず、皮肉にも「代替空間」の時代から歴史が一周したように感じられます。「新生空間」世代にはマーケットや機会が存在しなかったため、拒否やある種の無関心はもちろん、信念や戦略ですら選択肢となりえませんでした。しかし現在は、「商業的」な方向に進む、あるいはチャンスに見えるが実際は罠であるような場合も数多く存在しています。そのため、私たちは自身の選択に慎重になる必要があります。

──最近ソウルでは多くのコマーシャル・ギャラリーがオープンしているとのことですが、あなたは「コマーシャル」であることをどのように定義し、また若い世代、とりわけオルタナティヴなスペースはどういった活動を行っていると考えていますか?

「コマーシャル」と「非コマーシャル」の境界が曖昧になってきており、「コマーシャル」な実践が含むもののほうがはるかに複雑になってしまっているように感じます。ソウルには数多くのコマーシャルではないスペースが存在していますが、以前とは異なる光景が広がっています。

「新生空間」の世代には、自分たちは同じ現象に属しているという認識が共有されていました。しかし、現在のアート・スペースには団結とケアの精神をベースにしていません。私たちは互いに別々の方向を目指しており、それぞれ異なるヴィジョンを持ったプレイヤーによって活動が展開されています。ほかのスペースについてあまり詳しく語ることはできないですが、ここ5、6年のあいだにアートスペースの賃料は劇的に上昇したため、最近は作品を売るだけではなく貸しスペースを行うところが増えています。なかにはキュレーション、あるいは批評的な観点で展覧会に関与せず、ただアーティストに場所を貸して、自分たちのSNSで宣伝だけして、それ以上深くは関わらないというスペースもあります。そうしたスペースは多くの利益を上げているわけではなく、若手のアーティストに作品発表の場を提供することでエコシステムのなかで大事な役割を果たしていることに間違いはありません。しかし、こうしたビジネスモデルは「オルタナティヴ」の仮面をかぶることで利益を得ているように思わざるを得ません。

「GOODS」展(世宗文化館、2015)会場風景 参照:http://goods2015.com/a-photo.html

──もう少し詳しく教えていただけますか?

2015年の「GOODS」展以来、アーティストは「マーケット」というフォーマットを使って実験的な試みをするようになり、それはいっぽうで作家と鑑賞者が新しい方法で関わりあう経験をデザインすることでもありました。数年後、「若手のアート」に市場価値を見出した企業が「GOODS」展と同様のマーケット式のイベントを開催するようになり、それはソウルのアートシーンがいかに活発になりうるかを見せるという点ではよい効果がありました。しかし、最初からこの企業によるモデルに順応したアーティストは、その利益を得ることはありませんでした。

こうした状況のいっぽうで、アートに対する公的な助成金がたくさん存在し、アート・スペース、アーティスト、ライター、その他多くの対象者へ毎年助成金が交付されています。貸しスペースのビジネスが成長すると、彼らは通常よりもかなり多くの賃料を請求するようになり、実際に制作、輸送、展覧会制作、広報、そしてフィー等のコストを負担するための助成金全体の4分の1程度が賃料にかかっているケースもあります。先述したように、このモデル自体が悪いとは思いません。むしろ実際に必要だと考えています。しかし、私はこのモデルが与えうるインパクトを考慮せずに拡大していくことを危惧しています。アート・スペースがアーティストから展覧会予算全体の30%あるいはそれ以上を賃料として要求するなかで、私たちはどのような関係性やネットワークを作ることができるでしょうか? アーティストはもはや協働者ではなく、これらを運営する「キュレーター」から、適正な「サービス」の提供を求めるクライアントになってしまいます。複数の助成金による支援と販売イベントによる売り上げによって成り立つ多くの「展覧会」がありますが、それらに対する言説や議論はあまり多くありません。

またこうした状況は、作品/展覧会制作費、スペースの賃料、出版、関連プログラム、コミュニティ活動、実験的な作品などを対象に、政府関連の組織が毎年相当額を様々なアートプロジェクトへ配分するという韓国独自の助成金システムによって強化されていることにも触れておかなければなりません。私たちは誰が助成金を手にするかはわかりませんが、「誰か」がそれを手にいれることは確かであり、その誰かはスペースの賃料や展示にかかる諸経費を最終的にはまかなうことができるのです。しかし、私が韓国──より正確にはソウル──を継続的な支援に恵まれた楽園のように描写しているかもしれませんが、実際はそのシステム全体が少なくとも不安定であると言わざるを得ません。韓国では政権交代が頻繁に起こり、政策が非常に迅速に変わります。新しい市長に変わると、財団全体の方針が変わり、結果として都市のアートのエコシステムに影響を与えます。約10年前、当時の政権が抱えていた「ブラックリスト」が存在し、そこでは様々な理由から一連のアーティストが標的にされました。深い政治的なコミットメントから、軽薄な行動またはオンラインでのコメントまで、様々な理由によって彼らはその対象にされました。政府がアートをある目的に対しての手段、あるいはさらにひどい場合、より大きな社会に対して無益または邪魔とみなすとき、何が起こるかを想像することは難しくないでしょう。

いま、「オルタナティヴ」であることは何を意味するか


──ここで改めて「オルタナティヴとは何か」という問いが重要になってきます。あなたが言及したスペースはオルタナティヴとして括られますが、彼らが実際に行っている活動にはコマーシャルなものも含まれています。オルタナティヴ・スペースとは、通常インスティテューションやコマーシャルに対しての距離が前提となります。しかし、オルタナティヴとコマーシャルの境界が曖昧になってきているいま、彼らは何に対して対抗しようとしているのでしょうか?

以前に比べ、「オルタナティヴ」の定義が複雑化しており、何がオルタナティヴであり、何がそうでないのかを定義することがとても難しくなっています。仮にオルタナティヴをインスティテューションへの対抗と考えるのであれば、YPCは純粋にオルタナティヴであるとは言えません。なぜなら私は美術館のキュレーターであり、また今年YPCは国からの助成を受けているからです。こうしたジレンマから、歴史的な意味でのオルタナティヴ・スペースはすでに終焉を迎えてしまったと思います。オルタナティヴと言えば、何かに対する抵抗を意味しますが、事態はそれほど単純ではありません。もしアート・スペースとしてのアイデンティティを何かに対する対抗に置くのであれば、そうした二項対立の関係性が崩れると同時に、その方向性を定めることが難しくなります。また、「オルタナティヴ」の意味はそれ自体が常に変化しています。そのため、YPCは自分たちのことをオルタナティヴ・スペースと呼ばず、ただ「スペース」として、そこでできることを探っています。

──日本および東京でも、インスティテューションに対してラディカルな試みをしていた2000年代と比べると、現在のそういった実践は何かに対して対抗しているのではなく、ただ自分たちのやりたいことを追求しているように感じられます。ゆえに現在の東京では共通する精神は存在せず、「複数のオルタナティヴ(マルティプル・オルタナティヴス)」とでも形容できるシーンが形成されています。

「複数のオルタナティヴ(マルティプル・オルタナティヴス)」というコンセプトはとても興味深いです。韓国で「オルタナティヴ」といえば、すぐに歴史的な意味での「代替空間」を指し、過去のある特定の実践へと言及することになります。私たちは現在、そうした特定の意味合いを込めない場合、「オルタナティヴ」スペースという名称を用いません。

インスティテューションはアーティストから学ぶべき

──YPCでは、これまでの活動をどのようにアーカイヴしていますか? オルタナティヴ・スペースやそのシーンについてのリサーチが難しい理由のひとつとして、アーカイヴを作るための予算が不足しており、アクセスできる資料が少ない場合が多いことが挙げられます。また言語ももうひとつの理由で、たとえばYPCの情報はすべて韓国語であり、それにより非韓国語話者がそれらにアクセスすることが難しくなっています。

歴史と言語についての議論はとても興味深いです。研究者の視点からすると、データがあれば歴史は存在し、なければそれ自体が存在しないことになります。どの言語を使用するかは、アクセシビリティ、可視性、歴史性と直接関係します。YPCのウェブサイトでは韓国語しか使用していませんが、鑑賞者と協働者の幅が広がるにつれて、もしバイリンガルであればいかに多くの人々にYPCの活動を共有できるかに気づきました。しかし、翻訳には多くの労力が必要です。そしてなんといってもお金がかかる! もしかしたら、英語を使用するかどうかによって、「ローカル」であるか「インターナショナル」であるかが決まるかもしれません。しかし、私たちにとって「国際的な認知」は必要でしょうか?いったい何のために?そうした文脈に乗り、またその結果歴史化されることを私たちはまだ受け入れていません。いつかそのようなときが来るかもしれませんが。

──インスティテューション(制度・機関)とオルタナティヴなシーンが作り出す関係性についてはいかがでしょうか?オルタナティヴな環境で活動する際の視点を美術館での仕事に持ち込む、またはその反対はありますか?

第一に、私は経験およびそれに伴うスキルを持つプロフェッショナルをリスペクトしています。少なくとも韓国では、インスティテューションのキュレーターにとって自分がやりたいことを実現する余地は少なく、またその機関でのプログラム全般に対して、彼らが貢献したクリエイティブな功績がクレジットされることはあまりありません。私にとって、美術館での仕事はアーティストおよび彼らの制作をサポートすることを意味します。アーティストの仕事を理解し、また自分の仕事を「正しく」行うことで、彼らが作家としてやるべきことに集中することができます。私はこれまで、そして現在もインディペンデントとして活動しているので、アーティストとコミュニケーションを取り、彼らについて学ぶことが自然にできています。またそれは、インスティテューションにおける「よい」キュレーターとは何であるかを考えるうえで、大きな影響を与えています。現時点での私のキャリアでは、自身の仕事を正しくこなすことでアートのシステムを少しでもよくできるのではと考えています。

ユ・ジウォンがキュレーションした「パク・ボナ Ritual of Matter」展(リウム美術館、2023)

しかしもちろん、自分の考えを声に出すようにしています。たとえば、私がリウム美術館でキュレーションをしたボマ・パクによるプロジェクトが挙げられます。 彼女はもっとも重要な韓国の若い世代の女性アーティストのひとりであるにも関わらず、その繊細な作品、そして脆さや儚さの追求から、これまで美術館であまり紹介されることがありませんでした。しかし、だからこそ私は彼女が美術館で展示をするべきだと考えています。

彼女の実践は、インスティテューションが何であり、何をし、そして若い女性アーティストの視点からどのように経験されうるかについて問いかけます。私は、彼女の作品を「紹介」あるいは「制度化」することを目指していたのではなく、むしろインスティテューションは彼女のようなアーティストから学ぶことができると考えていました。彼女の柔軟な考え方と斬新なアプローチは、実際に美術館に多くの課題を提起し、また美術館が普段しないような対応を行うこともありました。そのいっぽうで、美術館の鑑賞者に作品が公開されることで、パクは「一般の人々」に作品を見せることの意味を学び、彼らと対話をしなければなりませんでした。こうした予期せぬ交流を促し、サポートするのに、私のこれまでの異なる環境での経験が役立っていると思います。

──インスティテューションとオルタナティヴのあいだの循環がうまく機能していますね。

キュレーションのプロセスは、アイデアの形成だけでは終わりません。精度を高め、交渉をし、そして政治的な立ち振る舞いを経てプロジェクトを遂行することでもあります。私のなかでインスティテューションのキュレーターとして追究するプロの仕事があるいっぽう、そのプロセスはどこでキュレーションをするかによって変わります。YPC SPACEでキュレーションをするときは、美術館とは異なるスキルや枠組みが必要になります。

──YPC SPACEでのキュレーションについて、もう少し詳しく教えていただけますか?

YPC SPACEでのキュレーションは、規模的にはインスティテューションでのそれに比べて多くの「仕事」を伴わないかもしれません。なぜなら、私たちは控えめな予算で小規模な展覧会を行っているからです。いっぽうで、YPC SPACEでの展示はしばしば、数年前から始めた対話の成果でもあります。YPC SPACEは成長と進化の場であり、キュラトリアルな側面はその都度文脈や条件によって変わります。アーティストが主体的に進める企画もあり、その場合私は主に聴き手となり様々なアシストをします。それ以外の場合、私はキュレーターとして自分のヴィジョンを明確に持ったうえで仕事を行います。

またジョンヒョン、アルム、そして私の3人でコ・キュレーションをする場合もあります。その手法はここでもケース・バイ・ケースです。あるときは、1人が何かを行い、もう1人がそれを引き継ぎ、最後の1人が完成させる、という複層的なアプローチをとります。実際に、YPC SPACEでの最初の展覧会はこうした方法でキュレーションを行いました。私がはじめに自身の担当作家であるイ・ウソン(Eusung Lee)とともに空間に入り、次にアルムがナム・ヒュン(Hyun Nam)と、そして最後にジョンヒョンがイム・ヒョジン(Hyojin Lim)と続きました。私たちは自分たちが何をしたいのかについてざっくりとしたアイデアは持っていましたが、実際に展示の全貌が明らかになったのはすべてが終わってからでした。私たちはそれぞれ自身のやりたいことを自由に進める裁量がありますが、それぞれの実践に自身の層を重ねていくなかで相手の動きに合わせて調整していきます。

YPCのプログラムスペース

──次が最後の質問です。YPCの今後の計画について聞かせていただけますか?

現在、YPCでは来年の計画を組み立てています(取材時は2023年9月)。私たちは普段、毎月異なる展覧会を開催しつつ、様々なプログラムを展開しています。12月には異なる都市をベースに活動するコレクティヴらとの交流を軸にした展覧会を開催する予定です(*8)。私たちは異なるインフラや文化的な背景に根付いたコレクティヴにアプローチし、オルタナティヴ、インスティテューション、インディペンデントな取り組み、相互学習といったアイデアに関する対話を続けています。そして彼らをYPC SPACEで紹介することで、コレクティヴ同士が互いを知るきっかけになるかもしれません。

*1──「Journal du dehors」:http://yellowpenclub.com/exhibition/26
*2── 「Alternative Space LOOP」は、1999年に設立されたソウル初のオルタナティヴ・スペースだと言われている。http://altspaceloop.com/
*3── 1987年の六月抗争による改憲の後、1992年には金泳三政権が発足し、韓国では長年の軍事独裁を脱し民主化の実現へと至った。1990年代のこうした政治的状況を背景に、美術にも新たな形式や表現が求められるようになった。このような状況の中、制度的な美術に対抗する形で、実験的な表現を目指すオルタナティヴ・スペースの一群である「代替空間」が現れた。また、彼らはオルタナティヴ・スペース第1世代とも呼ばれる。いっぽうで、彼らは国や企業による金銭的な支援のもとで活動を行っていた。(参照)https://thecolossus.uploadair.com/20221215-Ficciones-Euljiro_OF-2022-09-17-10-16, http://news.karts.ac.kr/?p=7520&ckattempt=2
*4──「新生空間」とは、代替空間の次に2010年前後に現れたオルタナティヴ・スペース第2(-2.5)世代を指す。新生空間は、1980年代前半生まれで大学卒業前後にリーマン・ショックを経験したアーティストを中心に運営された。そのような経済的背景の中、「期待減少世代」と呼ばれた彼らは、金銭的なサポートを受けず自らの手で小規模なスペースの運営を行った。それは国家や企業の支援なしには芸術ができない既存の状況に若い作家たちが対抗して独立して機会を創出する試みであった。また運営者の自己負担という限られた資金のため、比較的アクセスの悪いソウル市内で低賃料で利用できる場所が選ばれたが、スマートフォンの登場によってそのような場所へも容易にアクセスできるようになった時代背景とも一致していた。(参照)https://thecolossus.uploadair.com/20221215-Ficciones-Euljiro_OF-2022-09-17-10-16, http://news.karts.ac.kr/?p=7520&ckattempt=2
*5──2015年10月、世宗文化館にて開催された新生空間およびその周辺アーティストによる展覧会兼販売イベント。約80人の作家が参加した同イベントは、5日間で6000人以上の来場者を集め、総売上高は1億3千万ウォンに達した。ステートメントで述べられているように、GOODSは既存のシステムとは異なる形式の作品や独自の流通経路を作り出すことを目指したものであり、いわゆる「作品」の枠組みには収まらない制作物を「グッズ」として展示・販売を行った。若手作家の活動の機会が限られている当時の美術の業界構造に対する批判意識が背景にあるいっぽう、単発のイベントとしてのみ可能で持続不可能な点が課題として挙げられた。(参照)http://goods2015.com/m/goods_01.html, https://art-platform-study.tistory.com/m/18
*6──「SeMA Blue 2016: Seoul Babel」は、2016年にソウル市立北ソウル美術館にて開催された、新生空間の活動やアーティストの実践を紹介した展覧会である。70名のアーティスト、15のオルタナティヴ・スペースおよびコレクティヴが参加した同展は、物理的な展示空間に限らずSNS上などオンラインでも繰り広げられる彼らの実験的な表現やコラボレーションの様相を、インスティテューションにおいていち早く取り上げるものであった。いっぽうで、新生空間の活動がすでに下火になっていたこともあり、そのような草の根的な活動が美術館という制度の中で取り扱われることで、新生空間の「死」を決定的にしたと評されている。(参照)https://sema.seoul.go.kr/en/whatson/exhibition/detail, https://art-platform-study.tistory.com/m/18, https://monthlyart.com/03-exhibition/exhibition-focus-sema-blue-2016-seoul-babel/
*7──パク・ボマ「Ritual of Matter」:https://www.leeumhoam.org/leeum/exhibition/61?params=Y
*8── 「How to Become Collective(s)」:http://yellowpenclub.com/exhibition/624

ユ・ジウォン|Jiwon Yu
ソウルを拠点に活動するキュレーター、ライター、翻訳家。第11回ソウル・メディアシティ・ビエンナーレのアシスタント・キュレーターを務めた(2019〜21)。現在はリウム美術館のキュレーターとして、韓国の若手アーティストの紹介に加え、長期間のリサーチに基づく展覧会企画を行う。また、アート・ライターによるコレクティヴであるYellow Pen Club(2016〜)のメンバーとして活動し、プログラム/ギャラリー・スペースであるYPC SPACEの共同ディレクターを務める。

Yellow Pen Club
Yellow Pen Club(YPC)は2016年に結成された、チョンチョン(クォン・ジョンヒョン)、ビャッビャ・キム(ユ・ジウォン)、ルック(イ・アルム)の3人のアート・ライターによるコレクティヴである。YPCは主に展覧会のレビューを自身のウェブサイトにて記事を公開している(www.yellowpenclub.com)。オンラインを中心に、YPCはライティングに関するワークショップの開催や、アートブックの出版、さらには様々なモノグラフへの寄稿などを行っている。2022年に、YPCはプログラム兼ギャラリースペースとしてYPC SPACEをオープン。

岩田智哉

岩田智哉

1995年愛知県生まれ。東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科修了。キュレーション史やキュレーターなど、キュラトリアル・スタディーズを研究するいっぽう、広く人間を超えた他者との理解可能性/不可能性について展覧会実践を通して模索。また、アジア各地のオルタナティヴ・スペースを訪れ、それぞれのローカルのアートシーンにおけるオルタナティヴとインスティテューションのダイナミズムについてのリサーチを行う。2022年4月より、キュラトリアル・スペースであるThe 5th Floorの代表理事/ディレクター。 主な企画展覧会として、「ANNUAL BRAKE」(The 5th Floor、東京、2022/23)、「Things named [things]」(The 5th Floor、東京、2023)、「la chambre cocon」(Cité internationale des arts、パリ、2023)、「between / of」(The 5th Floor、東京、2022)。 Cité internationale des artsでのキュレーター・イン・レジデンスに参加(パリ、2023年)。また台北當代の「Ideas Forum(キュレーター・フォーラム)」に登壇(台北、2023年)。