ギャラリー覚私の作品は、1980年代のレリーフペインティングから現在まで、絵画空間を画面の手前に出てくるように描くことにあります。住来の窓から見たような遠近法から、より平面的な薄い空間構造に20世紀の絵画は挑戦してきました。私がBゼミで現代美術の講義を受けていた70年代後半は、欧米の美術中心に、ステラ、シュナーベル、キーファーなどが空間を画面の前に出すような、オブジェを貼り付けた立体絵画に挑戦して注目されていました。
日本では絵画空間を言語化できる評論がすくなく、目に見えるところの描かれた図のグラフィックな要素や物語性などや絵画の物質化ばかりが語られていました。しかし、絵画は約150年の間に実験を繰り返しながら、窓から見たような遠近法が平面になり、いつしか逆遠近法になるような予感がありました。私の勝手な誤読なのかもしれませんが、その方向に絵画の可能性を夢見て色々な実験をしながら制作してきました。
自身の身体にペイントして、会期中画廊に横たわっているパフォーマンスでデビュー してから25年間、絵画空間と同時に絵画が持ってるであろう呪術的な要素も考えていました。頭で考えると同時に身体が感じる「感動の瞬間」があるという問題です。90年代に「フラクタルで芸術を考える」という勉強会をして混沌と秩序のせめぎ合いで世界は成り立っていると理解しました。私たちの日本は管理社会の傾向をドンドン推し進めていると感じるとき、カオスの中からシャーマンも顔を覗かせるのが人間社会の影であるだろうと思います。
今回はじめて「花」を描きました。昼があるから夜がある、と考えるのは当たり前ですが、都会の昼が華やかであればあるほど、田舎の夜は漆黒の闇に包まれる。「美しい」という役割を担わされ奇形化されていく「花」は現在の社会の中でどのように見えるのだろう・・・・
と、空間と同時に考えながら制作しました。
前回“2003年Gallery覚 個展”ではレントゲン写真のようにシルエットの人体を光の 塊のようにモノクロで描きましたが、今回は三原色を使ったグラッシという透明描法 をプラスして、色彩とドローイングの線の集合が面になってく前触れが逆光の空間でせり出してくるように描いています。
【画像:「バラ」2006年 絵画油彩】
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