「リアルのためのフィクション」展
このイベントは終了しました。
東京国立近代美術館にて
メディア: 絵画 ・ 写真 ・ 版画 ・ デジタル
1990年代は、アートがかつてないほどに多様化した時代と言われます。むしろ混沌といってもよいかもしれません。その背景には、情報技術の急速な発達ばかりでなく、東西冷戦構造の解体などが複雑にからみあっています。「リアル」なものが捉えにくくなった時代に、アーティストたちはどのような表現を生み出そうとしてきたのでしょう。
本展で紹介する4人のアーティスト―イケムラレイコ、ソフィ・カル、やなぎみわ、塩田千春―は、扱う素材も、「リアル」なものに迫ろうとするアプローチの仕方も、さまざまですが、彼女たちはみな、ある種のフィクション(虚構)をしつらえて、それを通して逆説的に、私たちに「リアル」なものの扉を開く鍵を示しているようにみえます。リアルのためのフィクション。彼女たちが静かにあるいは饒舌に語りかける物語は、あなたの「リアル」を感じる力を揺り動かすことでしょう。
【図版キャプション】やなぎみわ「案内嬢の部屋1F」1997年 京都国立近代美術館所蔵
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コメント
Merging Myths and the Everyday - "Fiction for the Real"
A long corridor filled with women in orangey-red elevator girl outfits lying along the length of a travelator...
“リアル”とは何かと改めて問われると戸惑う。まず思い浮かべるのは日常、毎日の生活、身近にいる人の動作や声、といった五感に訴えるものだろうか。けれど、実際にはテレビやパソコン、携帯電話などが普及し情報過多の世の中でフィクションはリアルとの距離を確かめる時間を許されないまま、大量に脳になだれ込んでくる。パソコンの画面から得られる情報、広告は街の空間や媒体を埋めつくし消費を操作する。
リアルとかフィクションという言葉を意識することなく展示をみていたけど、どことなく違和感が付きまとった。泥をひたすらかぶり続けたり、案内嬢が並んでいたり、かわいい、気がするけど、それだけじゃない、なんだっけ、なんか忘れてるような。。。
文章を読んで、そこでリアルとフィクションというものの今日の関係を再考するきっかけを与えられたとき、すこしそのつかえがとれた気がした。
http://stayhungy-stayfoolish.blogspot.com/2007/05/blog-post.html
リアルのためのフィクションというより国立近代美術館常設展の感想
Japan Times Art Brief
By C.B. Liddell
Apparently the smudged and blurry divide between reality and the realm of fiction and fantasy concerns women more than men ...
http://p04107si.blogspot.com/2007/05/blog-post.html
>情報の渦はこれからも肥大化する一方であり、この2007年という時代にこの展示を行う意味というものの重要性は大きい
http://blog.goo.ne.jp/m_m1941/m/200704
今日観た「リアルのためのフィクション」展におけるやなぎみわ氏や塩田千春氏、あるいは「記憶の位相-Aspects of Memory」展の福居伸宏氏は、いずれも美に対する信頼を共有していないというか、少なくともそのような信頼を決して自明とすることなく、むしろ美に対する信頼が失われていることをはっきりと自覚した上で、そのことを乗り越えようとしているのではないかと感じる。



