ポートレートシリーズのAfrican by Legacy, Mexican by Birth (2003-5) とAgua Dulce (2006)* は、アメリカへ渡った多くの奴隷達がラテンアメリカとカリブ海周辺から輸送されたという事実に焦点を当てたものであり、いわば、多くのアメリカの黒人たちが馴染みのある、大西洋奴隷売買の認識とは切り離した観点で制作されたものである。一方、Portrait of the New Guard では新しいSouth Africa (2007)への期待を込めた。アパルトヘイトの存在を認めた上で、新しいジェネレーション、つまり過去の邪悪に縛られない、「自由になるために生まれた」世代を祝うためのものである。ケニアのナイロビで制作したポートレイトシリーズCommuter Vans and No Man's land (2008)は、街中を走るMatatu (乗り合いバス)運転手を撮ったものである。私は文化的にも政治的にもどこにも属さない、不毛の地のような場所に属する彼らを、南アフリからからの移民の国境越えを手伝うガイドにちなんでコヨーテと呼ぶ。この作品はナイロビのような国際都市の国境問題に関連付け、議論を呈するものである。比較的新しい、2011年と2012年に制作された作品としてPoverty Pornographyと Archival Impulseは、今までの古典的なアナログ肖像画法から、デジタルモンタージュやパフォーマンスという作品作りに変化を遂げたという意味でとても重要な作品である。"Death"と"Diorama"については、植民地支配や、アメリカに於ける奴隷制度の拡大を目的に使われてきたブラックボディを探求した結果生まれたものである。
[画像: 「DEATH FROM POVERTY PORNOGRAPHY」 (2011)archival pigment print ED 6/6 148x145cm 57 1/8x58 1/4in.]