阪本トクロウ 「空の器」

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[画像: 阪本トクロウ 「呼吸」 (2016) 高知麻紙、アクリル、岩絵具 595×840mm]

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変わりばえのしない日常。多くの人は、そういう日々の中に生き、そういう日々の中で狂う。その単調な繰り返しにうんざりするか、それとも、その反復のとんでもなさに驚くことができるかだ。阪本トクロウという画家は、おそらくその反復する何気ない日常の、そのとんでもなさを注視している人だ。
阪本が描くのは、都市や自然の景色、あるいはその一隅。木立や草むらの一つひとつの形態や重なり、それらが風で揺れる麗しい動き。渚のさざ波と、そこに反射する空から降る光のきらめき。ビルにはめ込まれたタイル壁や、空を分かつ送電線の抽象画のような連なりの優美さ。コンクリート舗装のひび割れから生え出た雑草の可憐。そうしたフレーム中の全ての場所に同等にピントが合っているので、どこへ向けて見たという視点は放置されているのに、それらの細部が空間や位置関係を失うほどに、デジタル・ハイヴィジョン映像の様にくっきりと目に入ってくる。
だが、そこには人間が一人も登場しない。いきなり人間だけが消去されてしまったかのような景色。人間によって作られ使われたという時間はあるのに、しかし人間がいない。人間だけがその景色から捨てられたという風情は、考えてみれば穏やかな日常そのものかもしれない。そして、筆跡のほとんどないニュートラルな画面からは、これを描いた画家本人の気配さえ消されている。そこにいるのは、切り取られた景色を見ている人間(あなた)だけだ。
もちろん、見ることは認識だけに結びつく訳ではない。肌への感触を感じるようにざらざらした物の表面の表情を感じるし、心臓の鼓動を感じるように規則正しく並んだ建築物からもリズムを感じる。つまり、認識から切り離され自律した「呼吸する景色」のようなものに阪本は目を向けているのではないか。色彩は最小限に抑制されていているのに、余剰としての色彩の気配もある。描かれた景色は、必ずしも時間と空間の秩序にのみ納まるものではなく、そのものがひっそりと呼吸しているような時空なのだ。そして、景色として切り取られた場所を見ているだけなのに、そこに観者(あなた)だけがいて、そして極めて素朴に、私も「この景色のなかで一緒に呼吸している」と思えてくる、そんな絵画なのだ。
おそらく人は、そこに新たな愉悦を見出すだろう。そしてその愉悦は、人間の「外」に触れる愉悦でもある。そこには、漂流者の郷愁のような、冷ややかな安息が同時に含まれている。切り取られた景色を見つめた後にやってくる、なだらかな倦怠のやさしい感触を伴って。
野地耕一郎 (泉屋博古館分館長)

メディア

スケジュール

2016年05月27日 ~ 2016年06月19日

オープニングパーティー 2016年05月27日18:00 から 20:00 まで

アーティスト

阪本トクロウ

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