SAKURADO FINE ARTS では、戦後から現代にかけて活躍する日本人作家6名に焦点を当て、作品において「線」が、対象物を描写するためではなく、自律した線そのものとしてイメージとなる様を考察する展覧会「Fleeting Lines」を開催します。身体の軌跡を記録する線、物質の形状を辿る線、キャンバス上の線、空間に浮遊する線、繋がる線、途切れる線。それら個性あふれる線は、素材、長さ、形、色、幅、向かう方向によって様々な表情をみせ、線に潜在する一種の不安定さが作品に実験的な動勢を与える。菅木志雄(1944-)は、工業的な物質と自然界の物質を作品に取り入れ、それらの「もの」をぶら下げたり、積み重ねたり、落としたりといったアクションの介入を通して一過性の共存状態に置く。配置された物質が織りなす線は、個人と物質と空間の相互関連性を可視化し活性化する装置のようである。コンパスを用いて点から円へと線を幾何学的に拡張させる桑原盛行(1942-)は、独自に考案した格子構造に基くおびただしい数の円の重なりによって、音や光を連想させる快調を帯びたダイナミックなイメージを生み出す。エナメル塗料によるカラフルな円と線の回路図で知られる田中敦子(1932-2005)のドローイングは、有機的に伸びる線が作家の筆跡を如実に記録し、それはまるで舞台演出や空間インスタレーションをはじめとする田中の初期作品がもつ身体性やパフォーマティブな側面へとリンクするようである。戦後アンフォルメルの旗手である今井俊満(1928-2002)は、即興的なアクションを伴う線の戯れによって、エネルギッシュな抽象画を生み出した。一方、草間彌生(1929-)のインフィニティーネットは線を用いたパターンのオブセッシブな反復であり、接触する線の集積はイリュージョンとイマジネーションの間を浮遊しながら平面空間に無限の拡がりを展開する。山田正亮(1929-2010)のボーダーも、同じく反復的な線の集合体と言えるだろう。支持体であるキャンバスの輪郭を模して繰り返し引かれる線は、作品の形状が内するミニマルな規則性に従いつつ、絵画に対峙する我々の知覚体験を刺激する。