イグノア・ユア・パースペクティブ41「Intention of Technique」

児玉画廊|白金

poster for イグノア・ユア・パースペクティブ41「Intention of Technique」

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太中ゆうき、岡崎未来(初紹介)、杉本圭助、宮崎光男(初紹介)の4名の作家により構成致します。太中ゆうきは児玉画廊での個展「発端」(2016年)、「Gravity」(2017年)の他、群馬青年ビエンナーレ2017(群馬県立美術館:ガトーフェスタハラダ賞)、グループショー等精力的な発表を続けています。制作プロセスにおいて「何をするか」が最終的な絵画内容を導くという、独特のスタンスで描かれる作品は極めてユニークです。その「何をするか」という行為内容は「描く」範疇に留まるとは限りません。例えば「水位」というシリーズにおいては、平置きにしたキャンバスに絞り出した絵具によってまるでダムの堰のような囲いを作り、そこへ薄い液状に溶いた絵具をなみなみと注ぎ込むという荒技によって制作されます。注いだ絵具が乾けば、堰の縁にこびり付いたそれはキャンバス上に存在した「水位」の痕跡を示します。さらに、作家はその堰を指で押しつぶすようにして「水位」を平面化して見せることで絵画と呼ぶのです。画面全体としては水のある風景絵画(例えば対岸や水平線を望む水面を描いたかのような)を装うことで、水嵩、水を湛えること、水の風景、、、「水位」という言葉とそこから想起される意味の重ね合わせとして提示しているのです。岡崎未来は児玉画廊では初紹介となります。空と電線をモチーフとした絵画、といえば単純なものに思えますが、淡彩の水干絵具と木炭と麻紙による静かで内省的とも思える画面は、電線の無骨なイメージとは程遠いものです。日本画の画材である水干絵具と麻紙の水分を含んだ柔和な質感の中に、擦り付けるようにして黒々と描かれた木炭の線は縦横に逡巡するように絡まり合っています。あまりに強く、何度も引き重ねられた木炭の筆跡が支持体である麻紙の繊維を毛羽立たせ、画面に静かな凄みを与えています。現実の風景を描くというよりは、電線といういかにも現実的なイメージを引き込み線とした、自らの精神性の吐露としての線の表現追求に、岡崎が描くことの本質があるように思えます。杉本圭助は彫刻、インスタレーション、パフォーマンスと幅広い制作活動を続ける杉本の、近年集中的に制作している平面作品の最新作を展示します。アクリル絵具を平均4-50層も塗り重ねるという漆の堆朱の構造を思わせるその作品では、内側に色の層が潜められています。表層は必ず白く塗り上げられているため内側の色彩がいかなるものか全容は見ることができません。しかし、下層の図柄・筆触に応じて隆起を見せる平坦でない画面の様子から、その見えない部分にある幾層もの絵画面の片鱗が窺えます。下層を描く段階で仕込んでおいた紐を後から引き抜くことで表層を意図的に「裂く」、あるいは彫刻刀によって「切る」ことで僅かに色彩が内側から外側へと表出します。同時に、下層の絵具の乾燥具合を絶妙に管理・操作することで水分が内部から蒸散しようとする力を利用して画面に細かいあかぎれのような罅を引き起こさせています。宮崎光男は児玉画廊では初紹介となります。大学では日本画を専攻し、岩絵具や胡粉を用いていながら西洋美術の文脈における抽象絵画然とした作品を制作しています。鉱石を原料とする岩絵具、貝殻の粉末による胡粉、それらはペースト化した油彩とは異なり、細かい固体としての粒子を保ったざらつくような質感は、油彩の絵画では見られない質感を生み出しています。微細な粒子が画面上では白く乱反射する岩絵具ならではの柔和で明るい色彩、油絵具にはない華やかさと軽やかさがあります。その一方で膠によって支持体に掴みかかるようにして絵具が固着していく様子は宮崎の筆触を生々しく画面に保ち、ディテールにダイナミズムを与えています。今回紹介する4人の作家は、絵画においてそのTechnique(技法、素材、手法)の示すもの、それによってしか得られない画面というものを自覚し、絵画制作の要に据えています。なぜ作家がそのような制作を選択しそこに固執する必要があったのか、その技法の意図するものを読み取ることで彼らの制作の源泉に迫る展覧会です。

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スケジュール

2018年06月30日 ~ 2018年08月10日

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