公開日:2007年6月18日

オラファー エリアソン 「影の光」

数年前、アートの視点から見た21世紀の変容についてインタビューを受けたエリアソンは、人々の知覚、中でも時間軸に対する感覚の移行をアートが加速させてゆくだろうと予期した上で、時間の経過、あるいはその持続こそが、真の意味での記憶や意識をつくり、本質的な解放となりうるのだと答えた。

また別のインタビューでは、アーティストの今日的な役割を「尺度の構築を重ねること」と回答していた。おもしろいので、私はその意味をずっと考えている。

そして、大いなる手掛かりとなりそうなのが、開催中の「影の光」展だ。

今展ではエリアソンの初期代表作《美 /Beauty》を、美術館の外に部屋をひとつ増築して展示している。天井から降らせた霧をスクリーンにし、強い光をあて、光象を投影する作品だ。空にかかる虹と違って、私たちオーディエンスは、そのやわらかな光のスペクトルを、自由な角度から見ることができる。膝を曲げたり、つま先立ってみたり。光の反射や屈折をキャッチするように、つい展示室の中を動き回ってしまうのだ。

震えるほど美しい。
残像と進行中の運動が、実時間の中で反芻し続ける。
そこで過去と未来が入れ違ったとして、誰が気付くだろう。

たとえば、この作品の前で、色彩や形態のパターンが無限に広がる様に見惚れ、それは作品が美しいのだと思う。けれど、その”震えるほど美しい”と感じ取るのは自分のカラダ、評するのは自分の脳。
作品はオーディエンスの時間を制約しない。時間を気にしながら見なくてはいけないとしたら、それは美術館の閉館時間という制度、あるいはあなた自身の体力や生活リズムが課すものであって、作品のせいではない。

作品の捉え方、感じ方というのは、私たちが意識しないところで、くっきりと位相を反映し、自己を帰還するもので、そのような発見こそ、エリアソンが最終的に映し出したいものかもしれない。なんと深い自律だろうか。

冒頭のインタビューだけでは、あまりに観念的で、まるで言葉遊びのようだけど、その意味するところ、時間軸や尺度というのは、目の前で起こる現象に呼応する身体性、ないし感受する奥行きのことではないか。簡単だが今日時点での解釈だ。もう少し、考え続けたい。

Ikuko Kohno

Ikuko Kohno

インデペンデント・キュレーター 1982年生まれ。東京在住。