ビル・ヴィオラとのインタビュー

私は同僚と共に森美術館の広報室の女性に案内され、ハンドル以外は完全に壁に溶け込んでいる金属製のドアを通った。そのドアの向こうには白い廊下が迷路のように続いていて、やがて小さいミーティング・ルームに着き、そこでビル・ヴィオラ氏と妻のキーラ・ペロヴさんを待つこととなった。

poster for Bill Viola

ビル・ヴィオラ 「はつゆめ」

六本木、乃木坂エリアにある
森美術館にて
このイベントは終了しました。 - (2006-10-14 - 2007-01-08)

In インタビュー by Ashley Rawlings 2006-11-06

 二階上の白いオフィス・スペースとはうってかわって、洞窟のようなギャラリー・スペースでは、数々のビデオ作品が堂々と、かつ親密に上映されている。まず会場に入ると、中央にある巨大スクリーンに投影された「クロッシング」(1996年)と直面する。一面では、スローモーションでカメラに向かって歩いていき、やがて立ち止まる男性の姿が映されている。頭の上からは、水が一滴一滴落ちてきて徐々に量が増え、最後は激流となり、男は姿を消す。反対のスクリーンでは、その男が同じ場所まで歩き、次第に炎にのみ込まれ、またいなくなる。

'The Crossing' [detail] (1996). Video/sound installation

さらに奥には、数百年前の絵画、特に中世やルネッサンス時代のキリスト教絵画に影響されてヴィオラ氏が2000年に制作を始めたシリーズ<The Passions>が展示されている。スローモーションの無声ビデオでは、男女が喜怒哀楽を表現していて、フラットスクリーンに投影されているため、まるで昔の絵画をアニメ化したかのようにみえる。2枚折りのパネル画で柱脚にたてられたものもあり、15・16世紀のヨーロッパ、特にオランダで制作された折りたたみ式のパネル画を強く思い起こさせる。

<静かな山> 2001年. Colour video diptych on two plasma displays mounted side-by-side on wall

作品を観ていて、ヴィオラ氏にとって特に刺激的であったDieric Boutsの
「The Annunciation」
(1450-55)、Andrea Mantegnaの「The Adoration of the Magi」 (ca.1500) と Hieronymus Boschの 「Christ Mocked」 (1490-1500)は、元々教会のために制作されたものであり、彼が対面するとなる美術館におさめられたのは、かなり後になってからだということに気づいた。ヴィオラ氏は自身の作品をそれらの伝統を引き継いだものだと捉えている反面、教会ではなく美術館のために制作をしている。ギャラリーや美術館という空間に対して、宗教的・精神的な空間となりうるポテンシャルを示唆するかのように。

「もし誰かが人間の、特に内面的な、深みに触れるような作品や、私達の純粋で無防備な部分から浮かび上がってくるような作品を作っているとしたら、究極的に神聖な行動であると思います。その人が無宗教であるとかとは関係無しに、です。人間の眼前にあるすべてのものは、物質的な世界を人間の内的想像力に変換するインスピレーションから来たものです。そういった観点でみれば、美術館は宗教的、もしくは精神的な場所として機能していると思います。」

しかしながら、ヴィオラ氏は宗教とスピリチャリティーの間にはっきりとした区別をつけている。宗教は本質から損ねる政治制度である、と。

「宗教的な体験の核心にあるのは個人です。宗教集団や広い意味での一般集団ではなく、あなた自身に何が起こったのか、が。ありとあらゆるメッセージが混在する今日の世の中で、美術館というのは、静かに他の人の夢に集中できる特別なところなのです。」

この回顧展の展示方法は、私が今までに見たなかで、森美術館のスペースを一番効果的に使っていて、ヴィオラ氏が希望していることを完全に成し遂げている。薄暗い照明と作品のスケールの大きさは、彼のイメージで視界をいっぱいにすることを可能とし、作品は極端なスローモーションで撮影されているので、スペースは幻想に包まれているかのように思える。一つの暗い部屋から隣の部屋に移動するのは、夜中に泳いでいる印象を与える。

<ミレニアムの5天使>(2001年)が展示されている部屋に行くと、この印象は極めて強い。服を着た男性が水中に飛び込む映像が5つ映されていて、その音と光の爆発が、平穏をぶち壊す。

<ミレニアムの5天使>(部分)「旅立つ天使」2001年 ヴィデオ・サウンド・インスタレーション

これらの作品は、ヴィオラ氏が1999年の父親の死後、深い嘆きを感じていた時期に制作されたものだ。元々は自殺のイメージとして考え出されたものだったが、二年間眠らせておいた後に、最後から再生すると誕生の比喩をつくりだすことができると気づいたのだ。

<ミレニアムの5天使>(部分)「昇天する天使」2001年 ヴィデオ・サウンド・インスタレーション

生と死の狭間はいくつかの作品に登場するテーマで、とりわけ「天と地」(1992年)では強く描かれている。この作品では床から天井まで白い柱が立ち、中央には二つのテレビ・モニターが向き合っている。下のテレビでは、産まれたばかりの赤ん坊がアップで映され、上のテレビでは、死を待つ老女がクローズアップされている。モニター画面がガラスであるため映像は反射しあい、生と死が混ぜ合わさる。モニターは剥き出しのブラウン管で、四本の細い金属片のみで柱につながっている。このもろいテクノロジーの露出が人体のか弱さを象徴し、ヴィオラ氏が意図する概念的なつながりをつくりだすのだ。

「何かが露出されると、それは傷つきやすいですよね。ブラウン管を見ると、ガラスでできていて、電球のように真空であることが分かります。不完全で非常に傷つきやすい、と。ちょうど、ここに象徴されている2人の人生がか弱いようにね。」

<天と地>(1992年)ヴィデオ・インスタレーション

次に古代ギリシャ神話を持ち出し、死人は「忘却の川」とも呼ばれた三途の川(スティックス川)を渡ってあの世に辿り着くことについて語ってくれた。

「個人が死ぬと、そのグループの知識は一緒に死んでしまいます。人類が解決すべき根源的な問題は、どのように「忘却の川」を渡り、しかも知識を保つことができるかということなのです。物語や、教育、物理的物質、それに印を残すことなどを通じてしか、それを成しうることはできません。それがなければ、進歩はないでしょう。だから、この媒介物はシステムの重要な一部、あの川を渡るための重要な一部なのです。」

ヴィオラ氏は、人間がお互いコミュニケーションをとり、知識を継承させるという意味では、人類最古の痕跡である約4万年前のトナカイの角で2つの刻みが入っているものと、自身の作品とそれに内包されているテクノロジーには、あまり差異がないと信じている。このような遠い過去との薄いつながりは、過剰に相互接続された今日のインターネット時代とは対照的であるが、この新しいテクノロジーを極めて人間的だと氏は見ている。

「今日のインターネットは、現在の人間社会を最も正確に代表しているものの一つであると考えています。人間社会とは、子ども時代、家族、友だち、文化背景などに基づいて世界中に渡る、関係性の網です。人類史上はじめて、我々は個人からなる世界を体現し、象徴することができる人工的なシステムを手に入れました。そして、デジタル技術が我々に与えてくれるものは、見えるものではなく、見えないものを象徴する術なのです。」

「デジタルの本質はコードです。コードは、概念的、形而上学的な要素であり、物理的存在はありませんが、今日の世界を理解する上では、最もパワフルなツールだと言えるでしょう。コンピューター上での、モデリング能力であったり、インターネットのようなデジタルウェブシステムを通じてコミュニケーションをする能力という両面の意味で、です。コードはすごいスピードで、人間の行動方法の全てになりつつあります。私たち自身でさえ再視覚化されていますし。私たちは人間の体を解剖学的な、エネルギー、反作用、流体力学的な方法ではなく、コードとして理解しています。そう、DNAです。生物学的要素として、人間がコードの集合体として再構築され始めているのは偶然ではありませんし、それが、現在持ちうる最も精確なモデルだと考えられているからでしょう。このことが、コードベースに機能するコンピューターの時代に起こってきているのは偶然ではないのです。だから、どこへ向かっているかは私たち自身よく理解できていないかもしれません。しかし、強力なものであることは間違いないでしょう。」

作品を通じて自分のアイディアを伝えるヴィオラ氏のスキルは、テクノロジーの進化に伴い、確実に発達してきている。1980年~1981年、ヴィオラ夫妻は日本に住み、伝統芸術と哲学のあらゆる局面に没頭した。また、ソニーの厚木研究所に半年間在籍し、ビデオの最新技術に触れた。伝統と現代性の融合は、近代日本を説明する決まり文句であるが、本質的に正しい。新幹線で京都に乗り入れる、というようなことではなく、今日に古代の儀式を行う人と対面することで、氏はこの二重性を体験した。例えば、千年前の経を唱える僧侶は、人間がテープ・レコーダーとして20世紀初めに録音されたテープを再生しているかのように感じられた。

この精神的なコアなしには、彼の作品のテクノロジーを「作動」させるものはなく、単なる機械となる。しかし、テクノロジーの継続的な進化なしには、感情を表現する能力は静的なものとなってしまう。例えばフラットスクリーンの技術は、<The Passions>シリーズが、それをインスパイアした絵画の伝統と、概念的かつ物理的なつながりを持たせることを可能にした。

私は10年後に2006年の作品を振り返ったらどう思うのかを疑問に思い、現時点で制作したいと考えているが、テクノロジーが追いついていなくて実現できないものがあるか、聞いてみた。

「私は、以前から自分の思考中にその思考そのものを見てみたいと思っています。最近ハナ・デマジオとアントニオ・デマジオ、という二人の認知科学者にお会いしました。二人は何かを考えているときに、その脳を視覚化するための装置を開発していて、それを使うと思考パターンの動く様子を見ることができるのです。」

<ストッピング・マインド>(1991年)ヴィデオ・サウンド・インスタレーション

ヴィオラ氏は、この意識のマッピングを「ストッピング・マインド」(1991年)で試みた。この作品では四枚のスクリーンが四周の壁と平行に吊られ、関連しつつも異なるイメージが何の前触れもなく再生と停止を繰り返えしている。停止状態では早口なささやき声のサウンドトラックが流れ、再生されている間は激しい白色雑音で部屋がいっぱいになる。このインスタレーションは、人間が世界を認識する方法と、それを体現する絵画や動画との矛盾を表現し、人間の思考過程の起動と停止活動をあらわす視覚的な比喩として見ることができる。

ヴィオラ氏がこの新しいテクノロジーをどのように使うかを想像するのは早すぎる。しかし、彼の芸術表現と思考過程と、それを体現するテクノロジーの統合にとって新たな一歩であることは確かだろう。外界ではなく、内なる世界をあらわすために作られたテクノロジーを使って作品を制作するのは初めてだ。しかし、新しいテクノロジーが持つ芸術表現の可能性に明らかにエキサイトしながらも、彼はテクノロジーとはそれだけでは意味のないものであって、良くも悪くもそれを利用する人間の延長である、と主張する。

「アーティストが、自分の思考プロセスの内側のテクノロジーを理解していること、そしてそれをできるだけ純粋で、正直で、直接的であることを確認するのがより大事です。アーティストはツールを手にとり、作り手が意図した用途とは全く異なった方法で使います。特にこの時代では、このような創造的な解放は非常に重要なのです。」

「20世紀のアメリカ人心理学者、アブラハム・マズローはテクノロジーの危機をこのように説明しています: 「もしあなたにハンマーしか道具がなかったら、全てのものを釘のように扱うだろう」、と。あなたがカメラや録音機を使用するときに、その機器の使用方法に関する誰かの意図と仮定が既に機器に組み込まれていることに、十分に注意する必要があります。」

「例えば、カメラは兵器として使われることがあります。9.11の本質は、ワールドトレードセンターに飛行機が突っ込んだことではありません。マンハッタンという、地上で一番メディアの注目が集まっている場所の目の前で事件を起こしたことでしょう。9.11の兵器は飛行機ではなく、その映像です。このような考え方はアーティストにとって非常に重要で、自分たちが作り出すイメージがどのような影響を及ぼすのかを、認識していなければなりません。」

テクノロジーの継続的な進化は、アーティストが内外の世界を記録する方法を変えるかもしれない。しかし、筆、彫刻刀、ビデオカメラのどれを手にとろうと、自分の目で世界をどう捉えるかは、作品の制作以前の問題だ。作品を通して世の中を表現することは、記号としての機能を備えることとなる。

<ラフト/漂流> 2004年 ハイヴィジョン・ヴィデオ、壁面投影、5.1ch サラウンド・サウンド

<ラフト/漂流> (2004年)では、異なる人種と社会的・経済的バックグラウンドの男女のグループが、突然ホースから噴射された大量の水によって地面にたたき倒される。一秒300フレームの高速フレームで撮影されていて、この圧倒的な襲撃に対する彼らの反応の全てが、観る者へさらけ出される。立つことさえ難しく、互いにしがみつく者もいれば、水の力に耐えようとする者もいる。吹き出た時と同様に水は突然止まり、混乱して感情的になっている人たちは、徐々に我を取り戻す。

「<ラフト/漂流> は、破壊と生存のイメージです。人は水にたたき倒され、破壊されたかのように見えますが、また立ち直ります。人類に何が起こっても、どんな苦痛、悲劇や災難に遭っても、我々はどうにかしてまた立ち上がると強く思っています。私たちが生きるこの複雑で危険な時代でも、その点に関して確信を持っています。」





(和訳:佐々木朋美)

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