公開日:2011年4月6日

第3回恵比寿映像祭 “Yebizo”

映像の力を信じ、覚めない夢の可視化に挑む『デイドリーム ビリーバー!!』

東京文化発信プロジェクトとTABがタイアップしてお届けするシリーズ記事。第11弾は、2011年2月18日から2月27日に東京都写真美術館で開催された「第3回恵比寿映像祭」です。

映像祭が近づくと、恵比寿周辺の駅がショッキングピンクのポスターで彩られ、映像祭の存在を知らなかった人でも、何が起きようとしているのだろう? と興味を喚起された方も多いことでしょう。今回は「Yebizo」(エビゾー)の別称も定着してきた10日間に渡るフェスティバルの模様をお伝えします。[加賀美 令]

今回の映像祭のタイトル「デイドリーム ビリーバー!!」は、言うまでもなくザ・モンキーズのヒット曲。このタイトルを見ただけで、うきうきするノリの良いメロディーが頭の中で流れ出した人も多いだろう。
「デイドリーム」とは白昼夢のこと。つまり、映像とは人が目が覚めた状態のまま見る夢ではないかと解釈したキュレーターの岡村恵子さんによるネーミングは素晴らしいと思った。

今年の映像祭でも、東京都写真美術館を会場として、上映、展示、ライブイベント、公演、トークセッションなど、映像とアートに関する多様なプログラムが10日間にわたって行われた。

上映部門では、10日間の会期のうちに17本のプログラムが交替で連日上映された。映像祭でなければなかなか目にすることができないラインナップと、全部観るには数日を要するため、週末しか時間が取れない社会人にとっては、苦渋の選択を要されることになる。

映像祭の上映の特徴の一つは、映像祭だからこそ観られる貴重な作品群によって、映像の歴史を振り返ることができるプログラムが充実していることだ。
たとえば、1960年代の久里洋二に始まる実験的アニメーションから、中島興、ハリー・スミスなど9人のアーティストの作品によって紹介する「実験とアニメーション_カキメーションと実写の交差点」や、1960年代後半、社会や政治状況を主題に映像表現を試みた城之内元晴、おおえまさのり&マーヴィン・フィッシュマンを取り上げて、当時定義された運動映画論1 を再考する「Cinema=Movement/1960s」と題した上映会が行われた。

そして、無声映画や、インディペンデント映画から派生した試みの数々を紹介することによって、映画文化の変遷や映像の作り手の意識、方法論の移り変わりを通して、映像を見る側の意識をも問い直す試みは、映像祭として重要な部分だと思う。

また、日本ではあまり紹介されてこなかなったドイツの映画作家ハルン・ファロッキの作品を初期から最新作まで紹介するプログラム、オーストラリアとニュージーランドのアーティストによる映像作品の紹介、1960年代のクロアチアにおける、制度からはみ出した反映画運動など、世界各地の映像作品についても知ることができる。
もちろん、日本のアート・アニメーション界でカルト的な人気を誇る黒坂圭太の長篇新作《緑子/MIDORI-KO》など、現在活躍中の作家による新作が見られるのも醍醐味の一つ。

ヤン・シュヴァンクマイエル《サヴァイヴィングライフ−夢は第二の人生−》Jan  VANKMAJER, Surviving Life (Theory and Practice)  ⓒATHANOR
ヤン・シュヴァンクマイエル《サヴァイヴィングライフ−夢は第二の人生−》Jan VANKMAJER, Surviving Life (Theory and Practice) ⓒATHANOR
なかでも、作家も来日したヤン・シュヴァンクマイエルの最新作《サヴァイヴィングライフ-夢は第二の人生-》と、石橋義正の新作《ミロクローゼ》は注目の的で、事前にチケットが売り切れるほど。どちらも一般公開の予定があるため内容を明かせないのが残念だが、観る人を明るい気分にしてくれる完成度の高い作品であることは間違いないので、観ていない人は公開を楽しみにしてほしい。

展示部門では、美術館の3階から地下1階までの会場を使って16人のアーティストの作品が紹介された。展示はすべて無料なのも嬉しい。
3階の展示室に入って最初の作品は、昨年、カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞したアピチャッポン・ウィーラセタクンの初期作品《窓》。テレビの画面に写り込んだ光を撮影した映像で、カメラのレンズを通すことで発現した、肉眼では感知できないという光がたゆたいながら「デイドリーム」へと導入する。

展示はいずれも、映像だからこそ可能な視覚表現を堪能できる作品で構成されていた。
たとえば、ハヴィア・テレーズの《カリガリ博士と眠り男》は、テレーズが地元にあるクリニックの患者たちを役者として起用し、ドイツ表現主義の名作《カリガリ博士》のリメイクとして製作した作品。「この世はすべて幻想」という劇中の言葉にも象徴されるように、現実と虚構、狂気と正気がせめぎ合う現代社会を描き出しているところが興味深い。

また、手描きのドローイングで映像を作る松本力は、アニメーションのもととなったドローイングと、映像の中に出てくる宇宙を外から内観できるかのような立体作品のインスタレーションによって、「自分の過去や未来を行き来する、心の中の時間旅行が実質的に可能」だと考える松本の世界観を作り出していた。

ツァオ・フェイ《RMB シティオペラ/人民城寨歌劇》2010年 ヴィデオ、サウンド、カラー, 協力:ヴァイタミン・クリエイティヴ・スペース
ツァオ・フェイ《RMB シティオペラ/人民城寨歌劇》2010年 ヴィデオ、サウンド、カラー, 協力:ヴァイタミン・クリエイティヴ・スペース

地下1階の展示では、映像が現代の我々の生活に取り込まれ、現実と虚構の世界がせめぎあい、時にその境界が曖昧になり、反転することさえある現代社会について考えさせられる作品が多かった。
ツァオ・フェイは、インターネット上に構築された仮想世界「RMBシティ」を舞台とした作品で知られるが、今回出品された《RMBシティオペラ》は、仮想世界でアバターを通じてテキスト入力によって会話をする男女の姿を映し出した作品だ。仮想空間に生きるもう一人の自分を演じる男女を見ていると、映像と通信手段の発達によって変化した現代人の人間関係、仮想空間と現実世界のどちらが虚構なのか分からなくなることへの危機感や、コミュニケーションについて考えさせられる。

ハルン・ファロッキ《シリアス・ゲーム3:没入》2009年 2チャンネル・ヴィデオ・インスタレーション(DV PAL、サウンド、カラー), アーティスト・プルーフ
ハルン・ファロッキ《シリアス・ゲーム3:没入》2009年 2チャンネル・ヴィデオ・インスタレーション(DV PAL、サウンド、カラー), アーティスト・プルーフ

ハルン・ファロッキは、軍事目的に利用されている映像に焦点を当てた《シリアス・ゲーム》と題された連作で、米軍が兵士の訓練用に用いているシミュレーションシステムを用いて演習を行っている様子を紹介する。それはまさにコンピューターゲームであって、画面上の仮想空間で兵士は人を射撃したり、また自らの命を落としたりする。また、戦地から戻った兵士のPTSDの治療にも同じシミュレーション技術が使われていて、対置された画面でその様子を映し出す。ここでもまた、現実と虚構を行き来するキーとしての映像の役割が浮き彫りになる。

しりあがり寿《ゆるめ〜しょん:air》2007年

最後にもう一つしりあがり寿の作品2点を紹介したい。《白昼夢婦人》は、美術館の階段の踊り場に設置された複数のミニモニターで上映されていた短編映像で、最後にはすべて主人公の女性が「はっ、夢?」と目覚めることですべて夢だったというオチで締めくくられるストーリーが15話。地下で上映されていた低解像度の線描アニメ《ゆるめ〜しょん》と相まって、しばし力を抜いてイマジネーションの世界に身を委ねられる作品だった。
展示全体を通しては、深く考えさせられたり想像力を泳がせたりと、これだけ多様な作品群を並べた上でさらにテーマ性のもとにまとまっていて、よく構成されたキュレーション力の上に成り立っていると感じた。

最近の現代美術の展覧会では映像作品が占める割合が増えているし、もはや映像は表現の手段として当たり前の時代となった。
一方で、映像作品の鑑賞には、当然ながらそれを再生するデバイスが必ず必要だ。撮影技術も再生技術も日進月歩であり、現在の映写機では再生できないフィルムもある。8ミリやVHSなどでさえ、すでに再生機器が入手しづらくなっている。
今年の上映プログラムの中に、神戸映画資料館のアーカイブから1920〜50年代の日本の貴重な映像作品を公開するというプログラムがあったが、現在の映写機にはかけられない作品を焼き直したものなどもあるという。
映像作品は、常にその時代の最新の技術方法によって作られたものが多いため、映像の歴史はそのまま技術の進歩の歴史ともいえる。
スペースやメンテナンスなどコストも伴うだろうが、作品が作られた当時のメディアで再生できるよう、再生機器とともに作品を残して行くことが、美術の領域のみならず、産業技術の分野においても重要なことは間違いない。
東京都文化発信プロジェクトの一貫として開催されてきた恵比寿映像祭が、来年以後も継続して開催されていくことによって、技術の歴史のアーカイブにもなるだろうということが期待される。

写真提供:恵比寿映像祭

1 運動映画論:1960年代後半から70年代前半、映画が持っているであろう新たな可能性を引き出すために生み出された実践的映画理論。1960年代後半以降、20世紀を代表する映画というメディアそのもののあり方が問われた激動期の中、職業革命家として50年代から活動してきた映画評論家の松田政男、映画監督の足立正生らが、既存の資本主義的、作家主義的な映画を徹底的に批判した。

TABlogライター:加賀美 令 1975年生まれ、東京都在住。大学卒業後、働きながら2005年武蔵野美術大学通信教育課程にて学芸員資格取得。いくつかの展覧会のキュレーションに関わったり展覧会ガイドなどを経験した後、2005年夏よりフルタイムでアートの仕事に従事。他の記事>>

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東京文化発信プロジェクトは、「世界的な文化創造都市・東京」の実現に向けて、東京都と東京都歴史文化財団が芸術文化団体やアートNPO等と協力して実施しているプロジェクトです。都内各地での文化創造拠点の形成や子供・青少年への創造体験の機会の提供により、多くの人々が新たな文化の創造に主体的に関わる環境を整えるとともに、国際フェスティバルの開催等を通じて、新たな東京文化を創造し、世界に向けて発信していきます。