ポスト3.11 に生きる私たちは何を想う?『フェスティバル/トーキョー 11』

11月に閉幕した「トーキョー発、舞台芸術の祭典」より3作品をレビュー

In 特集記事 by 東京文化発信プロジェクト 2011-12-07

演劇やダンスを中心に、国内外から最先端の現代舞台芸術を招へいする、フェスティバル/トーキョー(F/T)が、9月から11月までの約2ヵ月間にわたって開催された。東京文化発信プロジェクトの一環として4年目を迎えるこのフェスティバル。本年はメイン会場の一つである東京芸術劇場が改装中のため、さまざまな会場での野外劇を含む多彩なラインナップとなった。ここでは特に強い印象を残したオープニングとクロージング作品をご紹介する。

ロメオ・カステルッチ『わたくしという現象』 © Jun Ishikawa
■ ロメオ・カステルッチ『わたくしという現象』/飴屋法水『じ め ん』
F/T11 のオープニングは、世界初演の委嘱作品『宮澤賢治/夢の島から』によって飾られた。宮澤賢治のテキストをモチーフに、夢の島公園の野外コロシアムに出現した二本立ては、2009年のF/T登場以来、脳裏に焼きつくビジュアルで観客を驚愕させるイタリアの奇才ロメオ・カステルッチの『わたくしという現象』と、美術から音楽、演劇まで、各界の手練れを唸らせる伝説的作品を展開する飴屋法水の『じ め ん』からなっている。

『わたくしという現象』は、現場へと立ち入る道程から始まっていた。入場のため行列を進んでいくと、すり鉢状のコロシアム中央には、無数の白いガーデンチェアが整列している。その椅子に座らされるのかと思いきや、白いビニールシートの旗を持った怪しい人々が、サバトかKKKの集会のように、ぐるぐると周囲を練り歩いているのが見える。歩みを進めるうち、それが観劇にきた観客の先頭集団であり、自分もまたその怪しい儀式の一部となっていることに気づく。周囲に倣い、数人でビニールシートを敷いて座ると、頭上をコウモリが飛び交っていることに気付く。絵になりすぎていて仕込みとしか思えない。台風が接近している影響で19時を回っても異様に明るい空と、そこを早送りのように流れる雲もまた決まりすぎている。そこにある自然すべてが味方して、この世のものとは思えない不気味な美しさをたたえている。整然と並ぶ白い椅子が持ち主の不在を訴え、まるでそこに座るべき自分が失われているかのような、あるいは幽体離脱した自分が自らの肉体を眺めているような心地になる。少年が一人、ぽつねんと最前列の椅子に座っている。まもなくすると、驚くべきことに白い椅子がそろそろと動き倒れ始める。動きはみるみる伝播し、倒れる椅子の波は大きなうねりとなり左右に分かれ、積み重なっていく。白い衣装をまとった人々が遙か向こうの丘から転がり来て、やがてコロシアムの底にたどりつく。少年は中央に連れていかれ、白装束の大人たちによって青色に塗られる。一人の男が白い旗を振ると、千人の観客がビニールシートを振ってそれに応える。ふと気付くと少年ははるかかなたの丘の上へと連れ去られており、青く強い光が空へと放たれている。荘厳な音をバックに展開するこれら一連の出来事にテキストは一切なく、ひたひたと進行するシーンにただ圧倒される数十分であった。

ロメオ・カステルッチ『わたくしという現象』 © Jun Ishikawa
少年が染められる青は、カステルッチが今回の題材に選んだ賢治の『春と修羅・序』にある「わたくしといふ現象は/假定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です」からのものだろう。しかしその青は現在の日本にあっては、当然のようにラジウムの青い光を思わせるし、白い(日本では白が死を象徴することをカステルッチは知っていただろうか)椅子の波は津波やがれきを思わせる。ならば観客を巻き込んだこの儀式めいた作品は、3.11への追悼であり、少年は放射能に捧げられた人柱なのだろうか。人格をもったかのようにアニメイトされた椅子や旗などの物体が雄弁に存在感を示す一方で、そこに登場する人間たちは、将棋の駒のように、あるいは点描画を構成する点のように人格が与えられず、空疎なものに見えてしまった。そしてそこに、無差別に波に巻き込まれていった犠牲者がダブってみえた。鮮やかなスペクタクルを傍らに、強烈な居心地の悪さと無意識に訴える不気味さをたたえた作品だった。

飴屋法水『じ め ん』 © Jun Ishikawa
一転して飴屋の『じ め ん』は、ガイガーカウンターを手に地面を掘る少年と飴屋本人、子供ガムラン隊、原爆投下について語る天皇の声、『2001年宇宙の旅』のモノリスらしき大きな壁、放射能研究で知られるキュリー夫人、原子爆弾を思わせる大きなバルーンなど、明確に原子力のモチーフを用い、教義問答のような対話とテキストによって、現状の日本と科学を手にした者の未来を問うものだった。強風にあおられつつ切れ切れに聞こえる言葉と、風にたなびくガムラン音楽の調べは、第三福竜丸が展示され、ゴミから出るさまざまな有毒物質が埋まっている(に違いない)夢の島というロケーションに呼応して、この国の決して明るくはない未来を淡々と示す。ばさばさと風になびく草むらを、子供ガムラン隊がトコトコとがんぜなく行進してくるさまは、宮崎アニメに出てくる荒れ果てたのち原始にもどった草原のようだし、あどけないラインで造形された原爆型のバルーンが、風が吹き荒れるたびキュリー夫人の手から逃れようと暴れる様子は、科学に翻弄される現代人を思わせる。終盤モノリスに日本付近の地図が投影されるがそこに日本列島はない。少年は、かつてここに「日本」と呼ばれる夢の島があったが今はもうないと語る。モノリスはばたんと倒れ、その前にいる飴屋を下敷きにする。モノリスは巨大な墓石となり、人を地中に葬る。

カステルッチ作品とは対照的に、飴屋作品では遠くに豆粒ほどにしか見えない人々も、ありありと生き物らしさを背負って、愚直に懸命に生きているようにみえたのが心に痛く印象的だ。『じ め ん』で描かれるのは、どう転んでも悲惨な現状だし楽観視できない未来だ。しかし、それでも、夢の島という言葉が与える絶望ともかすかな希望ともとれる印象の間で揺れながら、2001年という“未来”から10年を経た未来に生きる我々が、ゴミと呼ばれる非定形の物質のあわいに座り続けるしかない現状を思った。

飴屋法水『じ め ん』 © Jun Ishikawa


■ ジェローム・ベル『ザ・ショー・マスト・ゴー・オン』

ジェローム・ベル『ザ・ショー・マスト・ゴー・オン』© Naoya Ikegami
F/T 最後の幕締めには、クレバーなユーモアで賛否両論を巻き起こすジェローム・ベルの悪名高き代表作『ザ・ショー・マスト・ゴー・オン』が登場した。誰もが聞き覚えのあるワールド・ヒットソングにのせて世界50都市以上をツアーしたこの作品は、オーディションにより毎回現地で出演者を募集する。今回の日本公演でも、17歳から67歳までの男女26名が選ばれたようだ。ダンサーの現地調達は、ジェローム独自のエコロジーでもあるようだ。宿代、飛行機代がいらない、つまり地球にやさしいのだ。さらにこの作品には大掛かりなセットもない。だからだろうか、チケットは驚きの3000円こっきり。舞台版地産地消で、来日ものでは考えられないリーズナブルさである。

舞台には何もない。客席最前列には音響の操作卓が据えられている。これから行われる作品に最大限の想像力を喚起するように、何も起こらないまま二曲が終わる。やがて『come together』が流れると、おもむろにパフォーマーが登場する。さまざまな年代のいろんな体系の人々が、自前の普段着らしき姿で舞台に立っている。見知った役者やダンサーもちらほら。しかしだからといってとりわけ目立つこともない。出演者たちは観客を統計で割り出したサンプルのように、客席を映してそこにいる。彼らは『Let’s Dance』にあわせてノリノリに踊り始める。それは舞台で踊られるショーダンスではない、クラブや自分の部屋でする自らの身体を楽しませる踊りだ。『I like to move it』ではそれぞれが満面の笑みを浮かべて、体の一か所を動かし続ける。その動きは次第に激しくなり、消耗したダンサーたちは息をあげ、生々しい体そのものもが舞台上に現れる。『Private Dancer』では、操作卓から音響さんが立ち上がり舞台上にジョイン。後姿のまま踊り始める。全身黒ずくめのちょっと太めのスタッフさんが、ゆったりとリラックスした様子で踊る姿はなんとも素敵でかっこいい。そしてそれはなんと、スポットライトつき(自分で操作)のソロであった。これみよがしに踊られるのは『Macarena』だけだ。しかしそれも4カウント4セットでできるような、パラパラよりもさらに簡単な振付である。真ん中に据えられてしまった男子におよそリズム感がなく、でもそれが誠実で端正でとても感じがいい。こういった微妙な人の配置や登場や退場に見られる絶妙のタイミングに、ジェロームの演出センスを感じる。タイタニックのテーマでは、船の舳先に二人組で立ち尽くすお馴染みのポーズが登場し、クライマックスでは13組のカップルが、どーんと奈落へセリさがっていく。『La Vie en Rose』では、舞台上はからっぽのまま、照明で客席がバラ色に染め上げられる。観客一人一人の人生がばら色だって言いたいのか……? 聞くところによると、他国ではここで観客が踊り狂い舞台にあがることまであるらしい。

これがダンスなの? と憤慨するむきもあるだろう。実際パフォーマーが登場する時間は半分ほどで、もうちょっと動く人を見ていたい気持ちもあった。耐えきれず途中で帰る人もちらほら出始めたころ、『Every Breath You Take』がかかり、「I’ll be watching you」というフレーズにのせて、ダンサーが観客一人一人の顔を眺めていく。安全な場所から見ているはずの観客が、演者から見返される立場になるという逆転は、舞台の虚構をつきつけ、現実に帰っておのが身を振りかえさせる際によくとられる手法だ。けれど、懸命に何百という人々の顔を探す彼らの様子に、観客は集合体ではなく舞台に立つ彼らとじかに接続する個人なのだと思いいたると、突然に涙がふきだして止まらなくなった。あちらに立つ人々もこちらで座っている人たちも、一人一人がただの平凡な人間、だけど一人一人が愛すべき特別な人間だ。パフォーマーたちに凝視されながら、自分の存在までふんわりと肯定されたような幸福感を覚えた。

ジェローム・ベル『ザ・ショー・マスト・ゴー・オン』© Naoya Ikegami
『ザ・ショー・マスト・ゴー・オン』には、超絶技巧も豪華な衣装も舞台美術もない。普通の人々が、普段の恰好で、誰にでもやれそうなことをやっていて、スペクタクルもドラマもカタストロフィーもない。けれど心揺さぶられ、淡々とした日々も拍手喝采していい気持ちになる。人は、悲劇に襲われて初めて、つつがない日常に感謝できる。それはポスト3.11 に生きる人々が今ひしひしと感じていることだろう。だから普通の幸せを普通の人が普通に表現できることが、いかに非凡なことであるか、それが一番分かっているのも我々だ。あの日のあの時間にあそこで見たあれは、今の世界、今の日本、今のトーキョー、今の私たち、観客、パフォーマー、それらがあって、あの一回きりしか起こらない出来事という作品だったのかもしれない。

フェスティバル/トーキョー http://festival-tokyo.jp/
ロメオ・カステルッチ『わたくしという現象』/飴屋法水『じ め ん』
ジェローム・ベル『ザ・ショー・マスト・ゴー・オン』

ゲストライター: 前田愛実 英国ランカスター大学演劇学科修士課程修了。早稲田大学演劇博物館助手を経て、現在はたまに踊る演劇ライターとして、小劇場などの現代演劇とコンテンポラリーダンスを中心に雑誌やwebなどに書かせてもらってます。

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