公開日:2015年10月7日

【中村政人ロングインタビュー・後編】アートの構造そのものに挑む!

自分達で街や文化をつくる気概で、アートと産業とコミュニティを一体化させながら、創造的な行為やものを設計したい。

10月10日より、中村政人の10年ぶりとなる個展「明るい絶望」が開催される。混迷する社会の中で変化しつづけるアートの可能性はどこへ向かうのか?―社会派アーティスト中村政人のさらなる挑戦に迫る。

――これから包括的な、かつ行動に対してお金が還元されるアートプロジェクトのシステムをもっと作っていくために、次の世代を担う若い人たちにはどのような経験を積んでいってほしいですか?

これから商業的な場でクリエイティブな活動をしたい人には、チャンスがいっぱいあります。いわゆるアート業界の中だけで考えると、チャンスは縮小してきていて、専門性がいくら高くても厳しい。でも産業面やコミュニティ面などに目を向けると、創造的なアイディアやプロセスをマネージメントする力は、本当に必要とされているんです。

全国にはアートプロジェクトの現場がいっぱいあるのに人がいないので、数人の人が全国のプロジェクトをやっている。ある経験値をもって、コマーシャルなアートマーケットのことも知っていて、作家との人間関係もあり、ちゃんと会話ができ、例えば山の中で作品をつくろうとしたときに、ちゃんとマネージメントして手綱引けるような人が少ないんですよ。

だから若い人は逆に今、街にでていけば、自分がリーダーになれるチャンスはあるわけです。これからどんどん人材が増えて、ある程度のルールやリテラシーが生まれてくると、文化・政治・経済的な、様々なインフラの整備が起こってくる。地域でやっているプロジェクトも、今はなんとなく勢いでやっているだけでも、徐々に整備されてくる。少なくとも10年20年はかかるけれど。

2007年 大館市大町商店街の空き店舗掃除ワークショップ後の記念写真
2007年 大館市大町商店街の空き店舗掃除ワークショップ後の記念写真
©アートNPOゼロダテ
2015年6月に多目的ギャラリーとしてリニューアルオープンしたゼロダテアートセンター。あいにいける秋田犬が常駐
2015年6月に多目的ギャラリーとしてリニューアルオープンしたゼロダテアートセンター。あいにいける秋田犬が常駐
©アートNPOゼロダテ

――そのようなアートの概念の変化の中で、美術館とプロジェクト、という両者の流れが出来ていったときに、いま沢山ある美術館というのは、どのような役割を果たしていくのでしょうか?

美術館はこれから淘汰されていきますよ。コレクションは変わらない、建物は古くなっていく、お客さんは来ない、働いている人は一生同じ人、その人が出るまで変わらない。これどうやって新しいことやるっていうんですか?不可能ですよね。

美術館そのものの機能というのは、価値あるものを守り保管するっていうことがまず第一義。美術館が守らなくなったら誰が守るの?鉄板の上に石を置いてた作品が、外に出たら鉄板と石に戻っちゃうわけです。価値そのものを守り、次の時代に継承していくっていう作業はしっかりしなきゃいけない。

アーティスト藤浩志氏が発案した、遊ばなくなったおもちゃと使って地域にさまざまな活動を作り出すシステム「かえっこ」は、遊びから子供の創造性や地域のコミュニケーションを誘発する
アーティスト藤浩志氏が発案した、遊ばなくなったおもちゃと使って地域にさまざまな活動を作り出すシステム「かえっこ」は、遊びから子供の創造性や地域のコミュニケーションを誘発する

同時に美術館には、地域独自の文化や芸術的な活動を長い時間かけて育てるっていう機能もあるんです。日本の美術館はここが弱い。印象派の作品とかのお宝を買ってきて見せることはできる。しかしインターナショナルな美術館と知名度や実力で戦うようなことはできないわけですよ。だから、予算的背景も含めて考えると、守るという機能を最低限ちゃんと残しつつ、地域から生まれてくる文化的・芸術をちゃんと育むという教育普及の力をつけないといけない。

で、そこには人が必要なんです。研究者タイプで本だけ読んでる人ではなくて、街に出ていってコミュニケーションし、その作品・作家が一体何をどう悩んでいるのかを徹底的に調査して、プログラムをつくっていく。ここをやらないと多分美術館は残らないと思います。地元や地域から隔絶されていて、お宝だけ持っていても、地元の人は興味持たないですよね。公共のお金使ってやるんだったらなおさらで、美術館はもっと多機能化していくべきだと思っています。

――現状のままでは、美術館はインターナショナルに戦えないということですが、日本独自のメッセージは、どうしたらより外に発信されていくのでしょう?

日本は島国だから、どうしても風土的に最初から閉じている。でも、ローカルな地域の中で育まれてきた、グラスルーツ的な文化、そこから見えてきているものというのは、ちゃんと時間をかけて育ててきているならば、それは自ずと外と繋がらざるを得ない。グローバルに情報が発信されているから正しいということではない。

かっこよくて目だつものを、一時的に借りてきて発表すれば、その瞬間は海外と交流できる。海外とやりとりしやすいものを持ってきてるから。そうするとうけがいいものはどんどん交流する。これが今の日本の現状です。サブカル的なものとか、コミケ的なものがうける、っていのは、向こうのニーズとぴったりだから。

でも、当然それだけじゃない。今は外に情報が発信されていなくとも、地域の中で大事にしているものが日本にはいっぱいあります。お祭りとか伝統工芸みたいなものも含めて、その地にいって経験しなきゃわかんないこともいっぱいある。

TAT2014のアーバンキャンプのプログラムの一つ、小神輿かつぎ体験。子供や外国の方も数多く参加し神田の伝統的文化にふれた
TAT2014のアーバンキャンプのプログラムの一つ、小神輿かつぎ体験。子供や外国の方も数多く参加し神田の伝統的文化にふれた

日本ていうのは、あくまで土着の、山や海に対する自然信仰が非常に豊か。そのための様々な意識やツールもある。そしてそれが今、アート界では非常に注目されて、地域の芸術祭が増えてきていますね。
でも、それをグローバルに発展させようとして、海外のお客さんに、珍しいもの、うけのいいものを準備しようっていう発想がありすぎると、どうしてもそこにずれが生まれてくる。僕はそっちの方が危険だと思う。こういう展覧会は、その瞬間は楽しくても、その地域には何も残らない。ある課題に対して真摯に向き合う姿勢、態度や度胸がつかないんです。

結論としては、発信すべき情報自体をちゃんと僕らが持っていれば、自ずと交流出来る。今は、持っているにも関わらず、そのことに気づきが弱い、またはそれを自信をもって言えない段階なんです。なので、地域での芸術祭は、そういう想いをどんどん引っ張ってくれる。

「これいいんじゃない?」と、アーティストが感度高く見つけて作品としてくれる。そして作品が伝えるツールになって、外に自ずと出て行くということです。

――そういった芸術祭が盛んになり、アートの形が変わっていく中で、今2015年というのはどういう時なのでしょうか?また2020年まであと5年という中での、中村さんのビジョンをお聞かせ下さい。

ビジョンはもうはっきりしています。今の地域的な活動と東京での活動の流れの延長線上に、東京ビエンナーレを作ろうと。アートと産業とコミュニティが一体化するような、街で起こる全ての創造的な行為やものを設計しようとしています。みんなで晴れの舞台をつくっていくっていきたい。

東京ビエンナーレそのものは、1970年に中原佑介さんを中心として旧東京都美術館で行われた「人間と物質展」という伝説的な展覧会として何度もやられてたんです。この展覧会は非常にクオリティが高くて、今の現代美術館のマスターピースのような作品を作っている人たちの若い頃で、日本の現代美術のシーンが、ローギアから高速ギアにシフトして加速するような動きがあった。美術の文脈の中に東京ビエンナーレがあったんです。

いま東京の中で起きてることは非常にばらばらで、なかなかまとまりにくい。例えば前のオリンピック(1964年)のときには、開発の重点を東京の西側に置き、国立競技場や青山通りができ、米軍が六本木に基地をおいて、横浜のほうに電車も出来て、都市が西へ西へと拡大していった。逆に皇居から北東側はどうかというと、欧米の影響もそこまで入ってこず、江戸の文化の気脈を残しながら発達していった。東京全体を俯瞰すると、どうしても渋谷・六本木などの西側は消費文化の町で、西と東のバランスが悪いわけです。

都市の文脈は消さずに、皇居・江戸から来る日本の古い文化資源を長い目で継承する方法を新しくつくりたいんです。そしてそれをベースにした東京ビエンナーレは、東部を中心にして動くべきだと思っています。もちろん六本木アートナイトと連携したりね。都や省庁が考えることをもう少し横断的に繋げたイベントにしたい。

オーストラリアを代表する現代美術家パトリシア・ピッチニーニ氏の巨大な気球作品「Skywhale」を東京電機大学跡地で飛行させたプロジェクト
オーストラリアを代表する現代美術家パトリシア・ピッチニーニ氏の巨大な気球作品「Skywhale」を東京電機大学跡地で飛行させたプロジェクト
全長50mもある巨大な飛蝗が都会の空き地に出現し人々を驚かせた

オリンピックの文化プログラムは、2017年から2020年まで続く。スポーツのイベントは2020年夏の1ヶ月ちょっとだけど、文化プログラムは4年間も、東京を中心としながら全国で行うということは、2020年に向かい、文化には非常にチャンスがあるんです。そのステージをどのように設計して、どう乗り越えて、2020年を通過したときに一体何が残るのか。

前のオリンピックから残ってきたもの、例えば首都高は神田川の日本橋を塞ぐように出来てしまって、景観が崩れてる。川が大事だっていうことに当時は気づかなかったけれど、同じようなことしちゃだめですよね。だから、これから相当ばらまかれるお金を「はい頂戴」と言うのではなくて、自分達でちゃんと自分達の街や文化をつくるんだ、という気概を持って臨まなきゃいけない。そのための意識や繋がりをマネジメントしていくのが、アート・産業・コミュニティの3つが重なる部分です。そこで初めてものごとが動いていく、ということですね。

――先ほどアートが問題を解決するツールであるとおっしゃていましたが、今の社会の中での、変えなければならない生産関係やシステムとはなんだと思われますか?

一番最初に取り組むべきことは、働き方、または生活のしかた。ライフワークバランスをどうとっていくか。高度成長から僕らの親父世代が頑張ってがむしゃらに働いてきた。しかし僕らの世代になって、テレビもあればインターネットもあるし、いろんな情報が入るようになってくると、働くことだけではなくて、自分の人生でバランスをとって別なことにもっとチャレンジしたいという気持ちがあるわけですよね。

そこで大事になるのは、自分の人生設計の中で、どのように街や社会の課題と関わるように仕事ができるのか、ということ。自分の能動的・主体的な気持ちで、なんのために働いてるのかということを自覚しながら。もちろん会社の商品をつくることが、社会で何らかの役に立つっていうのもわかる。しかしそれだけではなくて。特に震災以降、それぞれの個人の力が集結すると、壮大なパワーを持つことがじわじわとわかってきたわけですから。

2013年にアーティスト遠藤一郎氏(中央)が参加した「東日本大震災復興支援 つくることが生きること 神戸展」
2013年にアーティスト遠藤一郎氏(中央)が参加した「東日本大震災復興支援 つくることが生きること 神戸展」

勉強して大学を出て就職して、自分の人生を楽しもうとするレールだけではなくて、自分のやりがいやビジョンにチャレンジしてみたい、という人たち向けに、経験値とスキルと人間関係を学ぶことができるプロジェクトスクールを作ろうとしています。ちゃんと給料もらいながら、チャレンジできる。まず3年間、そこから次のステップは、実際に自立して会社をつくるようなイメージです。彼らにはプロジェクトそのものを立ち上げられるリーダーになってもらいたい。

東京ビエンナーレやろうって言うときに、「そんなことやったことありません」とか、町会行って来いっていったら「町会なんて怖いです」って人は役に立たない。一つの課題に対して、企業や町内会、財団や大学などいろんな人を巻き込む、横のつながりを促す人を育てる。街に出て行って、実際に課題を解決するためのスキル・経験値・知識を、自分の生活設計のためにやろうとする人と一緒に仕事をしたい。

2013年 北秋田市根子トンネルで行われた根子フェス2013
2013年 北秋田市根子トンネルで行われた根子フェス2013
パフォーマンス: KENTARO!!/インスタレーション: 中村政人 ©アートNPOゼロダテ
2014年 大館・北秋田芸術祭2014「里に犬、山に熊。」にて、旧正札竹村デパートで開催された「正札コンサート」
2014年 大館・北秋田芸術祭2014「里に犬、山に熊。」にて、旧正札竹村デパートで開催された「正札コンサート」
©アートNPOゼロダテ

特に20代30代の人たちが社会の中でちゃんと自分のビジョンを持って働き、ある課題解決に向けてしっかり機能していくような働き方を、具体的に形にする仕組みを作らないと。諦めずに人生やっていけるように。今の大学で教えてるようにただ知識をいれるだけでは、何も経験値がないから、現場で役に立たない。

本気の社会人、将来の自分をそういう現場において集中したい人向けに本当にスクールをオープンできれば、すごく画期的だと思う。全国でひとつの組織として、地方だけではなく東京と行き来するっていう構造で、東京ビエンナーレの時には、皆で地方から集結してプロジェクトチームを結成する。そして現場が終わったらまた地方に戻る。

地方には本当にいろんな課題がある。その中でのアートっていうのは、アーティストの発想だとか、クリエイティビティや斬新な考え方そのもの。その地域の中からはそれまで全く生まれてこなかったものが、彼らが入ることによって、突然水がないところから水が出てくるようになって、活性化されていくと思うんです。

最後にもう一度個展の話をすると、90年代前半にデビューしてから随分時間がたって、海外の展覧会もいっぱいやらせてもらって、そういうアートシーンの一部には接してきた。そして、いや待てよと。自分達の場所を作るべきだと。他のところでちやほやされるのもいいけれども、自分達の文化をつくりたい、と。そしてつくり始めてしばらくたって、3331が出来て、ひとつの可能性が見えた。地方でもいろいろプロジェクトをやらせてもらってきた。一巡してきた今もう一度、自分の考え方を作品として提示し、美術館を中心とした、アートの構造そのものにもチャレンジしたいんです。

Photo by Masanori Ikeda
Photo by Masanori Ikeda

中村政人(なかむら・まさと)
「美術と社会」「美術と教育」との関わりをテーマに様々なアート・プロジェクトを進める社会派アーティスト。東京藝術大学絵画科准教授。「第49回ヴェネツィア・ビエンナーレ(2001年)日本代表。1998年からアーティストイニシアティブコマンドNを主宰。「ヒミング」(富山県氷見市)、「ゼロダテ」(秋田県大館市)など、地域再生型のサスティナブルアートプロジェクトを多数展開。プロジェクトスペース「KANDADA」(2005~2009)を経て2010年6月よりアーティスト主導、民設民営のオルタナティブ・アートセンター「アーツ千代田3331」(東京都千代田区/秋葉原)を立ち上げる。著書「美術と教育・1997」「美術に教育・2004」。平成22年度芸術選奨文部科学大臣新人賞を芸術振興部門にて受賞。2011年より震災復興支援プロジェクト「わわプロジェクト」を始動。さらに2012年からは東京・神田のコミュニティとの関わりの中でまちの創造力を高めていくプロジェクト、神田コミュニティアートセンタープロジェクト「TRANS ARTS TOKYO」を開始。

前編はこちら

[TABインターン] 山際真奈: 1994年千葉県出身。カリフォルニアの大学でリベラルアーツを専攻する大学生。アジア文学・哲学・芸術が集中研究分野。人間と自然の関わりの中から生まれる芸術表現の探求をライフワークとしたい。かぼちゃの煮つけとお散歩を常に欲している。夢は自給自足。

TABインターン

TABインターン

学生からキャリアのある人まで、TABの理念に触発されて多くの人達が参加しています。3名からなるチームを4ヶ月毎に結成、TABの中核といえる膨大なアート情報を相手に日々奮闘中! 業務の傍ら、「課外活動」として各々のプロジェクトにも取り組んでいます。そのほんの一部を、TABlogでも発信していきます。