公開日:2017年4月11日

「エイリアン襲来」によって国境線への意識は変わるのか? 川辺ナホ『The Children of Icarus』レビュー

境界線と変換を題材にした社会的なインスタレーション、恵比寿 WAITINGROOMにて

島国である日本は、海が外国との地理を物理的に隔てているため、国境が意識されにくい。しかし、ひとたび海外へ出れば、地面の上に見えない境界線が引かれていることに気付くだろう。地理的に、あるいは政治的に引かれたこの線によって、その土地に根ざす人々の人種、法律、文化といったさまざまなナショナリティが分かたれる。しかし、宇宙レベルから俯瞰して見たときに、この「目に見えない境界線」は私たちにどのような影響をもたらすだろうか。
2001年よりドイツに暮らす川辺ナホ(b.1976)は「境界線」や「変換」を題材に作品を発表してきた。
恵比寿のWAITINGROOMにて開かれている個展『The Children of Icarus』では、インスタレーションを含む新作・近作の約9点が展示されている。

川辺ナホ個展「The Children of Icarus」展覧会風景(撮影:天野憲一)
川辺ナホ個展「The Children of Icarus」展覧会風景(撮影:天野憲一)
©︎Naho KAWABE, courtesy of WAITINGROOM

「宇宙人」としての自分

武蔵野美術大学映像学科で学んでいた川辺は、留学をきっかけに2001年よりドイツを拠点に活動している。「日本にいるときには意識しなかった」という国境線を越え、異邦人としてドイツに住まう自らのことを「宇宙人のよう」だと話す。マテリアルの変換が制作のベースにある川辺は、もともと専攻していた映像が「変換の装置」であることに気付いた。
さらに、「国境線という事象が、私にとっては”変換の境目”が現実となって、現れ出たように思われた」と言うように、何らかの境界線を越えたときに関連して変換が起こることにも注目する。
「国境線に興味があり、2008年頃から意識的にテーマにしています。自分も異邦人として国境を越えてきましたが、日本にはない現象だったので興味がわきました。始めは意識的ではありませんでしたが、思えば最初からテーマにあったような気がします」と話す。
「ビデオは、その構造自体が虚構と事実の揺らぎのようなメディアだ」と唱える川辺は、社会的な問題をはらませながら、虚実両方における境界線を作品化した。

《Continent of Africa (Ver. A) #1〜8》

アフリカ大陸の国境線が表す現実

複雑な形に切り抜かれたカラフルな紙の輪が重なり合う《Continent of Africa》は、ひとつひとつの紙の輪郭線がアフリカ大陸の国々の形を表している。壁に打たれたピンにかかっている紙の輪は、指で引っぱればすぐに千切れてしまいそうなほど弱々しい。
近年、特に激しい変化を繰り返すアフリカ大陸の国境線は、でこぼこしているところもあれば不自然に直線的で単純な部分もある。植民地化を進めた領主国が、地球の経緯線に沿って都合よく国を分割したからだ。
また、使われている紙の色分けにも意味がある。ピンクがフランス領イスラム教圏、薄茶色がイギリス領キリスト教圏、黄色がイタリア領、赤がドイツ領、黒がどこの領地でもなかった国。単純でポップな色が重なる姿が、かえって植民地時代を経た複雑な歴史を際立たせる。占領によって均一化され、強引に土地を隔てられたアフリカ諸国は現在も内戦や独立運動が続き、その境界線はあいまいに揺れ動いている。アフリカ大陸の国境線は、非常に脆弱なマテリアルとイコールの関係を結んでいる。

川辺ナホ個展「The Children of Icarus」展覧会風景(撮影:天野憲一)
川辺ナホ個展「The Children of Icarus」展覧会風景(撮影:天野憲一)
©︎Naho KAWABE, courtesy of WAITINGROOM

ベンヤミンが最期に歩いた抜け道

ドイツの思想家、ヴァルター・ベンヤミン(b.1892〜1940)は、滞在していたフランスからスペインへと抜けるピレネー山中の国境越えに失敗し、服毒自殺をしたとされている。第二次世界大戦中、ユダヤ人だったベンヤミンがナチスの追っ手から逃れるために歩いた亡命のための抜け道は、現在もフランスへの密入国の道として使われているという。

2008〜2009年作の《Der Weg I》は、ベンヤミンが最期に通ったとされる抜け道を実際に歩いて撮影した映像作品。その上にレイヤーとなって重なる言葉は、歩きながら思索にふけることも多かったというベンヤミンの作品から、歩くことや道に関係する言葉だけを抜き出したものだ。
その隣に、2013年以降にもう一度同じ道を歩き撮影した《Der Weg II》が並ぶ。3層構造になっており、最下層にデジタルコラージュした山道の写真、2層目に黒の半透明のラッカースプレーで転写されたベンヤミンの知人の住所録の一部、最上層にピレネー山脈の高低差を表現した木炭が重なる。
小さな手記に書かれたベンヤミンの住所録は、ほぼ原寸大のポケットサイズとなって出版されている(Fischer-Defoy, Christine『Walter Benjamin: Das Adressbuch des Exils 1933 – 1940』2006年)。転居などの理由からか、線を引いて消されている住所もある。山道の写真に重なる黒いマテリアルは、まるでベンヤミンの行く手を阻むように、画面中央に虚像の壁として立ちふさがる。科学的なラッカースプレーで転写された土地を示す記号である住所を当てにできず、木炭が表現する急勾配の山道によって遮られた抜け道。
ベンヤミンは論考『複製技術の時代における芸術作品』(1936年)で知られ、写真や映画などの複製可能なメディアを使った芸術の道を切り開いた人だった。映画などの芸術作品を通してプロパガンダを推進するファシズムを批判したベンヤミンは、現実の国境線を越えられなかった。

川辺ナホ個展「The Children of Icarus」展覧会風景(撮影:天野憲一)
川辺ナホ個展「The Children of Icarus」展覧会風景(撮影:天野憲一)
©︎Naho KAWABE, courtesy of WAITINGROOM

「エイリアン襲来」によって国境線は意味をなくすのか?

ギャラリーの中央を仕切る銀色のシートの向こう側には、照明を落とした暗いスペースが広がる。最初のスペースが現実を表現していたのとは違い、こちらでは空想上の宇宙の物語が展開されている。

世界各国で手に入れたプラスチック、紙粘土といった様々な素材の球が、テグスで吊り下げられている《Argon Navis》。ある一点からLED照明を当てると、「CANOPUS」の文字が壁面に影となって浮かび上がる。アーサー・C・クラークのSF小説『幼年期の終わり(Childhood’s End)』(1953年)に登場するエイリアンの故郷で、地球でいうところの太陽にあたる星の名前だ。
カノープスは実在する恒星で、南天の代表的な星座であるりゅうこつ座にあたる。かつてアルゴ座という大きな星座の一部だったが、あまりに巨大すぎるという理由から1922年に分解して作られた比較的新しい星座のひとつ。人間が設定した境界線によって構成が変更された過去を持っている。
《Argon Navis》は向かいに設置された地球儀とセットになっている。太平洋のドイツ語「PAZIFIS」に繋がるように「TISCH」の文字が壁に付け足され、平和主義を意味する「PAZIFISTISCH」の文字が完成する。

同じ手法で作られている《The Black Cloud》の球を照らすと浮かび上がる「JOE」は、フレッド・ホイルのSF小説『暗黒星雲』(1957年)に登場する意思を持った星雲の生命体の名前だ。人間が台風に付けるように、迫り来る星雲のエイリアンにも名前を付けた。

《Solaris》は、アンドレイ・タルコフスキー監督が映画化したことでも知られる、スタニスワフ・レムのSF小説『惑星ソラリス』(1961年)がモチーフになっている。原作本に登場する「I」の字を切り抜き、製本のりを使ってリネンの糸でつなげた。「私」が集まれば、果たして私たちを表す「We」になるのだろうか。

これら3つのSF小説とも、エイリアンと人間とがコミュニケーションをとる描写がある。もしも異星人であるエイリアンがやって来たならば、国境も人種も宗教も関係なく「私たち」となって、地球の平和を守れるのかもしれない。

《Solaris》部分
《Solaris》部分
2016、スタニスワフ・レムの小説『惑星ソラリス』(1961年)の中の「I」、リネンの糸、製本のり、65 × 20 × 15 cm
Installation view, photo: Kyo Yoshida


作中に登場しない「イカロス」とレースのカーテン

『幼年期の終わり』は各国で翻訳されており、フランスでは『Les Enfants d’Icare』=イカロスの子供達というタイトルが付いている。しかし、この物語にイカロスは登場しない。さらにフランス版のタイトルを英訳した『The Children of Icarus』が今回の展覧会名になった。
ギリシャ神話でのイカロスは、蝋技術=テクノロジーによって翼を作り、太陽=自然に近付き過ぎた人間の傲慢さを戒めている。今展では、地球と宇宙の境界線の突破を試みた人間の象徴としても機能している。
また、《Meteorit》で使われているように、外と中、光と影、自然と人間とを隔てるレースカーテンのモチーフは、境界線上を揺れ動く存在として川辺の作品に度々登場する。
「川辺ナホは、世界をあたかも集合体のように現す」(『オブザーバー・エフェクト』2013年、ルードヴィヒ・ザイファート 論「風に舞う木の葉 川辺ナホが表現する廃墟について」より)と表現されるように、ある集合体があってこそ、その境界線が設定され、それを越える存在が生まれる。
青い空にぽっかりと浮かぶ雲の輪郭や、砂浜が波に浸食されていく様子、雪の白を三原色に分解すること、時間を過去・現在・未来に分けること。別室にある過去の映像作品にも、世界を集合体として捉える川辺の視点が表れている。

川辺ナホ個展「The Children of Icarus」展覧会風景(撮影:天野憲一)
川辺ナホ個展「The Children of Icarus」展覧会風景(撮影:天野憲一)
©︎Naho KAWABE, courtesy of WAITINGROOM


NASAが開発した銀色のシートの役目

空間を仕切る銀色のシートは「エマージェンシーブランケット」と呼ばれるもので、防風・防寒・防水・断熱・保温性に優れ、薄くて軽い。NASAが開発した人工衛星を覆う断熱材はアルミニウムを蒸着したシートになっており、これを発展させたものが広く市販されている。
アウトドアやサバイバル、レスキューなどの現場で人命を救うシートとして認知され、激しい内戦から国境線をくぐり抜けて逃れた難民たちはまず、このエマージェンシーブランケットに包まれて保護される。
宇宙空間へ突破した人工衛星に使われた素材が、国境を越えた難民たちを救う防災グッズとして活用されている。場の転換を図りながら、現実と虚構の境界をつなぐ重要な役目を銀色のシートが担っている。

現実世界を扱った作品は境界線に阻まれているが、銀色のシートの裏に広がる虚構の世界では、境界線はむしろ越えられる存在として扱われている。
エイリアンが襲来するSF小説のように、宇宙レベルまで想像力を膨らませることが、現在も不安定な社会情勢を見せるアフリカやメキシコの国境線、シリアの内戦・難民問題や、人種、宗教、文化など、川辺が作品内でマテリアルに置き換える差異を捉え直すことにつながっていく。

■展覧会詳細
川辺ナホ『The Children of Icarus』
会期:2017年3月10日(金) 〜 4月9日(日)
会場:WAITINGROOM
住所:〒150-0021 東京都渋谷区恵比寿西2-8-11渋谷百貨ビル3F(4B)
開廊時間:月 17:00~23:00 / 木・金・土 12:00~19:00 / 日 12:00~18:00
http://www.waitingroom.jp/
http://www.tokyoartbeat.com/event/2017/81D3

Kyo Yoshida

Kyo Yoshida

東京都生まれ。2016年より出版社やアートメディアでライター/編集として活動。