なぜ、ミラクルひかるなのか? アーティスト田村友一郎が聞く「ものまね」論。サルの時代からAI時代までを生き抜く芸

豊田市美術館で開催中の展覧会「未完の始まり:未来のヴンダーカンマー」に参加している田村友一郎が、映像作品に出演を依頼したものまね芸人、ミラクルひかると対談。

田村友一郎、ミラクルひかる 撮影:金子怜史

ものまねとアート、そこにはどんな関わりや類似が考えられるだろうか? 今回、人気芸能人から草間彌生、落合陽一まで独自のバリエーションを持ち、卓越したスキルでジャンルを越えた幅広い支持を集めるものまね芸人のミラクルひかると、アーティストの田村友一郎の対談が実現。5月6日まで愛知県の豊田市美術館で開催されている展覧会「未完の始まり:未来のヴンダーカンマー」で田村は新作のインスタレーション作品を発表しているが、その映像にミラクルひかるが出演している。作品への参加は今回が2度目というが、なぜ田村はミラクルひかるを起用したのだろうか。

そしてものまねとはいったいなんなのか、その根源的な面白さや模倣のあり方について、ものまね芸人の視点から語られた、画期的なインタビューとなった。【Tokyo Art Beat】

*展覧会のレポートはこちら

ものまねはラップに似ている

田村:ミラクルひかるさんとの作品制作は2回目です。最初の作品は2020年の兵庫県豊岡市で行われた、城崎国際アートセンター+豊岡市立美術館-伊藤清永記念館-+日本・モンゴル民族博物館 共同企画展「ISDRSI 磯人麗水」という、地域資源を活用するプロジェクトのために制作した作品。Wikipediaで豊岡市について調べていたところ、ミラクルさんが豊岡市出身であることを知り、協力をお願いしました。

ミラクル:当初はよく理解できないまま参加しました。田村さんの作品はふだん私達が知っているわかりやすいアートではなく、超ハード系な、ごりごりなものでしたので。

田村:豊岡市はカニが名産で、道路に巨大なカニの看板があったり、そのカニ看板を専門に作る彫刻家が近郊にいたりもする土地。その看板サイズのカニが実在していたら、さぞや大変だろうという発想から、人間が滅亡した未来の世界に大きなカニがいるというSF設定の作品を構想しました。その設定の未来の豊岡の廃墟にモニターがあって、そこには人のカタチをした生物が何やら喋っている。その生物をミラクルさんにやっていただいたんです。

「ISDRSI 磯人麗水」より 提供:田村友一郎

その素材撮影で僕は初めてミラクルさんの芸、というかものまねを近距離で体感し、その芸に衝撃を受けたんです。ミラクルさんはどうしてこんなに面白いんだろう、そして、そもそもものまねが、なぜにこんなに面白いんだろうと考えるようになりました。お笑いというジャンルで言えば、漫才やコント、落語なら、話の流れや構造があり、オチがある。でも、ものまねにはそんなものはなく、ただ人の特徴を模倣し、カリカチュアライズしているだけ。なのに面白い。ものまねの面白さや魅力が何に由来するのか興味もあって、関わっている大学では「なぜ、ミラクルひかるか?」という研究会を立ち上げたくらいです。

名古屋芸術大学美術領域 &京都芸術大学美術工芸学科・大学院芸術専攻による協働研究プロジェクト「なぜ、ミラクルひかるか?」

ミラクル:漫才や落語を面白く感じるためには、物語性やコミュニケーションの志向、人間的な経験などを必要としますが、ものまねはそれを必要としていません。それって、ものまねがおそらくはサルの時代からコミュニケーションの手段として使われていたものだからだと思うんです。ものまねのようなジェスチャーを通して、相手が自分を認識していることがわかる。すると、そこには無意識に笑いと同質なものが生まれる。ものまねは、ある意味でサルにとっては言葉と同質のようなものだったんじゃないかって、私はすごく思うんですよね。

田村:それで言うと、笑いのなかではもっとも歴史が古い。

ミラクル:生物って消化器官が最初に作られ、そこから発達していったっていうじゃないですか。ミミズなんて消化器官しかありませんよね。ものまねはお笑いのなかでは、生物でいう消化器官にあたる原初の部分だと思うんです。

田村:そんなプリミティブと言ってしまえる芸なのに、文明が発達し、落語や漫才といった多種多様な芸が生まれて発達した現在でも、ものまねが滅びずに残ってるということのみならず、さらに発展し、いまも人気であることが非常に興味深いなと思っていて。

田村友一郎 撮影:金子怜史

ミラクル:どう考えても残ってるのが変なんですよね。古くから残ってる芸事や伝統芸能って、芸術家団体があったり、後世まで伝えようみたいな保存活動があったりするものですが、ものまねだけはまったくそんな動きがない。しかも、このコンプライアンスのご時世に、ものまねだけ怒られることもないし、無法状態に近い。ほかのお笑いのジャンルと一緒にすると明らかに浮いていますしね。

私はものまねって、存在やベクトルみたいなところで考えるとほかのお笑いジャンルよりもラップに近い気がしています。ラッパーたちと話してると「ものまねはサンプリングと一緒だ」って言うんですネタ元の特徴的なフレーズや音声、仕草を部分的に取り込んで、パフォーマーのオリジナル作品として昇華していく点が似ている、と。ラッパーの人に、ものまねを見てるとすごくヒントがあるって言われたこともありました。

田村:自分の作品も似たようなことを言われたことがあります。僕の作品は妄想や連想といった繋がりを積み重ね構築していくものが多いのですが、それがラップの「韻を踏む」行為に似ていると。ラップは、音が似ているだけで言葉と概念を繋げていき、パンチラインやフローを作っていく。

ミラクル:作品の成立に理屈を必要としていないんですよね。だから、ラップやものまねはいつの時代でも面白いのかもしれない。

ミラクルひかる  撮影:金子怜史

アートとものまねにおける模倣

田村:そもそも、ミラクルさんはなぜものまねを始めたのですか?

ミラクル:最初は2歳前後です。父が「『俵孝太郎です』ってやってみろ」って。それで「(鼻声で)こんばんは」って、赤ちゃんのときにやったことを、いまでも覚えてるんですよ。そして、小学校3年生のときに本格的に取り組んだ。

田村:相当早い時期から始められたんですね。

ミラクル:自分の性格や精神的な部分が関係しています。当時、人間関係を作るにあたって、人とどう接すればいいのかわからなくなってしまったんですよ。みんなにいい顔をしたいし、みんなと仲良くしていたい。クラス40人と仲良くするには、ひとつのキャラクターだけではいけないと思い込んでしまった。先生に対してはこのように振る舞って、このお友達にはこんな感じ、あのお友達にはこんな感じ、と自分を細分化するようになってしまう。

田村:面白いですね。けど、いっぽうではそれは非常につらい作業にも思えます。

ミラクル:地元が関西だったので、ツッコミかボケかで目立つ、目立たないが決まってくる。パワーバランスもキャラクターによって変わる。ある程度目立っている存在でいたい気持ちがある。そうなると、学校の帰り道で「きょう私はこうだった、あの人はこうだった、あのときはこういう感じで立ち振る舞うべきだった……」みたいなことを、ずっと考えるようになり、どんどん苦しくなっていく……。そんなとき、クラスにものまねをする女子が現れたんですよ。彼女のコロッケさんとか田原俊彦さんのものまねでクラス中がめっちゃ盛り上がる。それが私にとっては非常にうらやましかったんですよ。で、「私もやる!」ってなって。そこからその子とふたりで、ほぼ毎日、9年間くらいものまねをするようになったんですね。

そして、ものまねでいろんなキャラクターをやることで、みんなに喜ばれていくうちに、自分は別に何者でもいいんだって気持ちになれたんです。すると、自分の中からそれまで使い分けていたキャラクターがいろいろ抜けていって、本当の自分だけが残ったんですよ。精神的に危うい感じから脱することができたんです。

ミラクルひかる  撮影:金子怜史

田村:ものまねにはそんな効果もあるんですね! そこからいまのお仕事としてやっていこうと思ったのは、どんなきっかけがあったんでしょうか?

ミラクル:エステティシャンや、美容師など接客業をやっていたんですが、施術中にものまねをするとお客さんが非常に喜んでくださるんです。で、どんどんエスカレートしていきました。ただ不器用だったので、本職の腕はなかなかあがりませんでした。そこで、人生一回切りなんだから、試しにものまねで食べてみるかと思うようになりました。社会人最後の2年間は、1日に2〜3時間ものまねの練習をして仕上げにかかっていましたね。そして練習したネタをひっさげて、事務所やテレビ番組のオーディションを受けました。

田村:ミラクルさんがメディアに登場したあのときの強いインパクトは、そこまで磨きあげていたものだからだったんですね。そう言えば、以前、撮影の時にミラクルさんがおっしゃっていた「私がやっているのは偽物ではない」という言葉が強く印象に残っています。

田村友一郎 撮影:金子怜史

ミラクル:ものまねって、バッタもんや偽物って言葉で語られがちですけど、自分たちの芸においてはオリジナルでしかないんです。私たちものまね芸人は、喋り方や動作のクセ、雰囲気を似せる技を持っていますと自慢したい人種であって、その人の偽物になりたいとも影武者になりたいとも思ってないんですよ。よく「本人へのリスペクトがあってこそ、このクオリティですよね」と言われるんですが、私たちがその人をリスペクトしていようがしていまいが、芸には関係ない。真似しているご本人への気遣いやエクスキューズとして、こうした言説に芸人も乗っかったりしますが、本当は芸の質とリスペクトは別物です。たしかにリスペクトしている人間と、どうでもいい人間とだったら、リスペクトしている方のほうが濃密に研究できるっていうのはありますが。

田村:リスペクトのあるなしではやはりモチベーションも変わってきますか?

ミラクル:モチベーションももちろんですが、対象を見つめるレベルが怖いくらい変わります。非常に細かいところまで観察します。たとえば、この世の中に存在しているすべてのものごとは、ものまねできる、と考えて観察すると面白いですよ。人だけじゃなくて、自分の好きなファッションや家具、職業などすべてに応用できると思っています。

田村:世界のあらゆるものはものまねできる。非常に面白い考え方です。僕は美術大学に関わっていますが、是非ともその考えを学生たちと共有したい。作家はオリジナルのもの、唯一無二のものを作らなければいけない、という幻想に苦しんでいる学生が結構いたりするところで。じつは、あらゆるものが模倣でできあがっているという前提に立つことが大事な気もしています。 

《TiOS》展示風景 提供:田村友一郎

AI時代にアートとものまねはどこへ向かう?

田村:現在、豊田市美術館で開催中の展覧会「未完の始まり:未来のヴンダーカンマー」で展示している僕の作品《TiOS》にミラクルさんに出演いただいています。骨とチタンを中心に、ジョン・レノンやiPhone、ゴルフ場やUFOなど様々なイメージが結びつき、広がっていく映像インスタレーション作品です。ミラクルさんには映像部分で、二足歩行を始めた猿人のルーシー、そして映画『LUCY』でスカーレット・ヨハンソンが演じていた主人公ルーシーを真似ていただきました。

《TiOS》撮影風景 提供:田村友一郎
《TiOS》撮影風景 提供:田村友一郎

ミラクル:スカーレット・ヨハンソンは、田村さんから『LUCY』の話をうかがってから初めて見て研究しました。セクシーでもあり、アクションもできる人というイメージでした。ただ、似ても似つかなかったんですよね。結果、化け物みたいになっちゃったんですけど(笑)。反面、猿人のものまねはとてもやりやすかったです。じつは小学校のときサルのものまねをやって人気者になったので。

田村:初期のレパートリーだったんですね。

能勢陽子(豊田市美術館学芸員):今回、田村さんの作品で面白いなと思ったのが、ジョン・レノンの声を生成AIで再現させてビートルズの『ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンズ』(1967)を歌わせているんですが、それがものすごく下手なんです。

《TiOS》展示風景 提供:田村友一郎

田村:そうなんです。現時点では生成AIはしゃべることはできるんですけど、歌うことが下手。歌の概念が、まだでき上がっていない。AIが得意なのって過去を吸収して未来を語ることなんですが、この点がものまねと非常に似ていると感じています。たとえば、ミラクルさんの演じる長谷川京子さん。長谷川さんの過去の振る舞いをそのままトレースするのではなく、「このひとが振る舞うであろう、語るであろう」という、ミラクルさんによる予測を含んだ誰も見たことがない長谷川さんが出現している。これってAIに近い振る舞いなんじゃないかな、と思っていますがいかがでしょうか。

ミラクル:確かに近いですね。ものまねって、相手の過去を掘り起こして再構築し、そこに自分の解釈を加える作業です。なので私はAI的な思考を目指しているかもしれない。

田村:作品《TiOS》では、iPhoneなどの携帯端末から私たちの情報が吸い上げられ、その情報をもとに私たちの行動がAIによって規定されていくという未来を描いた作品です。また、「回転」をキーワードにもしています。かつてはレコードやカセットテープ、フロッピーディスク、CD、DVDなどに代表される記憶媒体は、回転することで記録、再生が行われていました。けれども、現在では回転する記憶媒体がどんどん姿を消しています。そのような回転していたものが担っていた記録、再生という機能や装置に代わるものはなんなのか?というところで、AI的な象徴として登場するのがミラクルさんです。

《TiOS》展示風景 提供:田村友一郎
《TiOS》展示風景 提供:田村友一郎

ミラクル:この制作のお手伝いをしているとき、テレビ番組でリアルな漫才師とAIのどっちが面白い作品を作れるかっていうコーナーがあったんですよ。私、AIのほうが面白いと思ってしまったネタもありました。AIは賢いから、そのうちベタな作品もコアな客が喜ぶ作品も一気に作ってくるように思います。

田村:そんなAIが席巻する状況で、ものまねは今後どうなっていくのでしょうか?

ミラクル:結局、根源的なものに戻っていくっていうことなのかな。先程出てきたフレーズだと消化器官。内臓に戻る。芸人がAIに勝てる部分って、結局生身の人間であるということだけなんです。記憶力の部分、知能とか、脳が司る部分でAIには負けてしまうかもしれないけど、消化器官はAIにはありません。外から来たものを消化・吸収する。でも、結局は口から入ったものは便となって出る、ただの筒っていう、そこでありたいっていうか。

田村:ものまねはただの筒であるっていう。

ミラクル:考える筒抜けの葦である、みたいな。

能勢:受動態みたいなものなんでしょうか。霊感のことを英語でインスピレーションって言うじゃないですか。この言葉のもともとの語源には、神が息を吹き込むという意味があります。笛としてのアーティストに息を吹き込んで、音が鳴るというというような。

ミラクル:そんな感じですね。AIが歌えないのは筒じゃないからなんですよ。筒がないから響かせることができない。

田村:ミミズから人間まで、動物って筒ですものね。何かを入れて出す筒。

ミラクル:同時に、ものまねはそれぐらいシンプルなものであり、人間にしかできない仕事だぞっていう感覚はあります。そして、その筒に必要なのは「朝一の温かい白湯です」(ナチュラルに生きているインフルエンサーのような口調で)みたいな。

田村:いいワードいただきました。白湯。

ミラクル:まあ、本当は朝一の白湯って身体によくないらしいですけど(笑)。「AI 対 筒」、そんな時代がやってくるんでしょうね。

田村友一郎、ミラクルひかる 撮影:金子怜史

*「未完の始まり:未来のヴンダーカンマー」の参加作家であるタウス・マハチェヴァのインタビューはこちら

イベント情報
【未完の始まり展】ミラクルひかる✖️田村友一郎対談 タムラのモンキーマジック vol.2 「誰でもない誰か」

出演:ミラクルひかる(ものまね芸人)、田村友一郎(出展作家)
日程:2024年5月4日 14:00〜16:00
場所:講堂
定員:150名
聴講:無料(ただし、企画展観覧料が必要です)
*要申込

申込期間:4月13日正午~4月26日正午
あいち電子申請・届出システムから(近日中に公開)

詳細は美術館の公式サイトをご確認ください。

浦島茂世

浦島茂世

うらしま・もよ 美術ライター。著書に『東京のちいさな美術館めぐり』『京都のちいさな美術館めぐり プレミアム』『企画展だけじゃもったいない 日本の美術館めぐり』(ともにG.B.)、『猫と藤田嗣治』(猫と藤田嗣治)など。