ただしこれらはひと目見ただけではそれと分からないくらい視覚的には非常に美しい作品であり、その完成度の高さとは対極にあるおぞましくも幼稚ないたずら心が私は好きだったわけだが、新作「Transfer」は全く異なる作風の映像作品であった。
奥村の自宅であろうか、屋内に浮かぶ黄色い風船。それは突如破裂し、破裂音と共に画面が切り替わる。新たに現れた屋外の風景には、素振りのような「ぶんっ」という音と共に黄色い風船が出現する。現れた風船は風に揺れたりしているが、またすぐに突如として破裂する・・・この繰り返しである。最後には展示会場であるビルの階段室に風船が出現し、画面がホワイトアウトして終わる。風船の破裂音と軽やかな画面の切り替わり、風船が再現する時の「ぶんっ」という空間移動のような音が心地よい作品だ。
なぜ黄色い風船なのかはさておき、奥村直筆のプレスリリースを見ても、どうやら今回の作品では「物質」ではなく「時空」の問題を扱っているようだ。タイトル「Transfer」にあるように、あたかも風船が様々な場所を「移動」していくかのような映像に作品は仕上がっている。
ところが現実的には、割れた風船は決して再生しないし、瞬間移動することもない。あくまでこれは、映像トリックによる虚構のストーリーなのだ。ただひとつ、可能性として「黄色い風船A」が横浜で破裂したその次の瞬間に、「黄色い風船B」が多摩川で今にも破裂する瞬間を待っている、ということはあり得るだろう。
誰しも幼い記憶の中に、風船についての記憶を持っている。ついに家まで持ち帰って、数日経つとしぼんでゴムの塊になっていた、という記憶は少し物悲しいものがあるが、ふいに風に飛ばされて遠く空に消えてしまったり、あるいは奥村の作品の如く、何かの拍子に破裂してしまうか、だいたいその結末は決まっている。
しかし風船が割れる時のあの感覚は独特で、物が「壊れた」と言うよりは、やはり「消えた」という感覚なのだ。消えた風船はどこへ行ったのか?そんな幼稚な妄想を現実的なひとつの可能性としてこの作品は提示していると捉えることもできるかもしれない。風船は「移動」しているのではなく、実はただ「存在」しているだけだったのだ。
奥村の作品を特徴づけるキーワードは、もしかしたら幼稚性なのかも知れないと改めて感じる展示であった。
Makoto Hashimoto
Makoto Hashimoto