公開日:2009年3月27日

佐々木加奈子「Drifted」展

逗留の風景

《Drifted in the middle  -中心に漂流して》
(タイプCプリント 2009) courtesy of MA2Gallery
佐々木加奈子の写真による展覧会『Drifted』が恵比寿のMA2Galleryで開催されている。

1階の空間に入って飛び込んでくる幾つかの写真のイメージはどれも、どこまでも広大な風景とそこにたたずむ人物を撮影したものだ。例えば曇天の空の下、くすんだ色の植物が繁茂する岩がちの岸辺に立ち、片手を掲げながら海を見下ろす赤い服の女。あるいは白夜のような薄明るい空の下、地平の果てまで続くような細いまっすぐな川に、船を浮かべ遊行する三人の影。
『Drifted』展示風景
courtesy of MA2Gallery《Drifted from iceland  -アイスランドから漂着して》
(インスタレーション) courtesy of MA2Gallery
振り返ると、壁面いっぱいに新聞紙で折った舟がとりつけられている。舳先をこちらに向けて、いくつかの舟はウールで編んだロープの錨を下ろし壁に一時、停泊しているようだ。

解説によれば、これらの写真は、佐々木加奈子がアイスランドに滞在中撮影したもので、現地に漂着し息絶えたシロクマのニュースから着想を得たものだ。ほとんどが海の地球の表面で、人類は漂流するように絶え間なく移動と逗留を繰り返してきたと佐々木は言う。アイスランドもまた航海の民ヴァイキングの末裔の住む国だ。その事実を補強するような、遠方への視線を感じさせる美しい写真イメージが印象的な展示。紙で折ったひとつひとつ箱舟が、その錨を揚げ、新しい風景を求めて今にも動き出しそうな気配だ。

一方、2階の展示室は、1階とはがらりと趣が変わり、来場者はまず懐中電灯を持って遮光された真っ暗な室内に入っていくことになる。写真展示というよりも、インスタレーション作品と呼べるだろう。入り口の解説のシートによるとこの空間はラスコーの洞窟壁画をモチーフにしているということだ。明かりをかざすと壁面にイメージが現れる。室内をぐるりと取り巻く画像は、広島市の航空写真、ロケット(現代の箱舟?)の打ち上げ時の画像、佐々木加奈子自身の作品など。現代における人類の移動/漂流のイメージがあふれている。グーグルアースのようなシステムが整った今、人類の視点は宇宙空間まで到達した。クロマニョン人が描いた洞窟壁画を発見した時のように、はるか後世の人類学者は、いつの日か現代の宇宙視点のイメージが満ちた空間を発見するはず、というのがこの作品のコンセプトのようだ。

宇宙への物理的到達や、地球全体をくまなく見渡すシステムの構築は、現代を生きる私たちにとってはすばらしい偉業に思えるが、遠い未来では人類の祖先が各地へと大移動したことや、大航海時代にヨーロッパの冒険家たちが「未知の世界」に到達したことと同列に、人類に置ける画期的な進展の、あくまでも一項目として位置づけられることだろう。とても長い時間の流れを想定したこの作品に私は、ほんのはささやかな皮肉やユーモア、いわゆる無常観のスパイスを感じ取った。
《Drifted with Undines -水の妖精と漂流して》
(タイプCプリント 2009) courtesy of MA2Gallery同時期に開催されていた第3回シセイドウ アートエッグ『Okinawa Ark』展(2009/2/6〜3/1 資生堂ギャラリー)で初めて佐々木加奈子の作品を鑑賞していた私は、この展覧会の印象に少し驚いた。(『Okinawa Ark』展レビュー)というのは、佐々木加奈子はその美しい写真で、現実の風景や、歴史上の個別の出来事に惜しみない賛歌を贈るタイプのアーティストだと考えていたからだ。しかしMA2Galleryで見た本展の印象はそれとだいぶ異なっていた。

『Okinawa Ark』展では、沖縄移民の人が作り上げたボリビアのとある村の様子をピックアップし、ドキュメンタリー要素の強い映像を作り出していた。そこでは地球に一つしかないオキナワ村という出来事、個別の出来事を集中的に取り上げている。

一方、本展ではアイスランドのシロクマのニュース、という個別の出来事に着想を得ているものの、作品があらわしているのはむしろ、地球上の表面を延々と移動する人類の儚さとか、どこか名前も知らない国、果てしなく遠い世界への畏怖や欲望、憧憬といった、やや抽象的で普遍的な人間の感情(そういった感情が人間を漂流へと導くのだろう)だったといえる。そして2階の展示が表すのは、全ての出来事を相対的にしてしまいかねない空間的、時間的に巨視的な視点である。

オキナワ村を取り上げたときのような歴史上の一つの出来事に対峙する視点と、移動していく人類を宇宙から追うような巨視的な視点との対比についてアーティストに尋ねる機会があった。聞くと、『Okinawa Ark』展のようなドキュメンタルな展示は新しいチャレンジであり、アーティスト自身はもともと後者の視点に興味を持ってきたという。今後、この二つの視点がどのような作品を作り上げていくのか、非常に興味深く感じた。

本展で発揮されたのは、ひとつひとつの写真から普遍的感覚を引き出していく手法だった。(『Okinawa Ark』展でも写真作品はこの手法を用いていたように思う)佐々木加奈子独特の、人物を用いた鮮やかなで厳かなイメージと、移動していく人類の象徴である舟のインスタレーションとが組み合わさることで歴史や宇宙の巨大なスケール感を日常的な感覚と交えながら楽しめる展覧会となった。

萬 翔子

萬 翔子

1983年福井県生まれ。女子美術大学研究補助員。 愛知県立芸術大学と多摩美術大学大学院で芸術学を専攻し、シンディ・シャーマンやマリーナ・アブラモヴィッチの作品調査をもとに現代の表現と社会制度との関わりを研究する。