公開日:2009年7月7日

「ことばのかたち工房」展 武蔵野美術大学apmg

装いの場、体験の場、振り返る場

武蔵野美術大学apmgは、武蔵野美術大学9号館6階608号室にあるスペースで、芸術文化(apm)コースが所有する。所在地を見てもわかるように、校舎内の一室を展示室としてリニューアルしたものだ。

「ことばのかたち工房」展 武蔵野美術大学apmg
「ことばのかたち工房」展 武蔵野美術大学apmg

そんなapmgで4月21から5月15日まで開かれた「ことばのかたち工房」展(企画:吉川久美子)は、練馬区立東大泉児童館で2008年度からスタートした「アーティスト・イン・児童館」(後述)において、第一回招聘アーティストの西尾美也が行った同名のプロジェクト(2008年10月〜2009年3月)の展示である。

西尾は「ファッションスケープ」をテーマに、服飾とコミュニケーションの関係性を、ワークショップやパフォーマンス、インスタレーションや場/空間のデザインなど様々な形で操作する。それは、抽象的なものではなく、私たちがいつも普通に生活している状況で、コミュニケーションの延長線上で行われる。美術や教育や福祉などの領域をまたいで、国内はもとより、海外でも様々な活動を行っている。

西尾は、服飾の記号的な性質を利用してコミュニケーションのルールを操作し、人の出会いとその服に対して介入していく。行為の主体は西尾自身であることもあれば、ワークショップの参加者であることもある。そして、ある方向性を持ったルールに沿ったプロセスを実行していくことで、衣服や「装う事」、身に着けるものを選択する人も含めた、意味のアルゴリズムの絡まりを、絡み合ったまま組み換えていく。

アート好きの読者には、水戸芸術館で昨年10月から今年1月にかけて開催された「日常の喜び Happiness in Everyday Life」展や、BankART Studio NYKで2007年11月に行われた「感情の強盗」展などで、インスタレーションやワークショップ、パフォーマンスを目にした方もいらっしゃるのではないだろうか。また、取手アートプロジェクト2006(TAP2006)の際には、スタッフユニフォームのデザインを手がけている。これはユニフォームという言葉から浮かぶものとは裏腹に、スタッフ一人ひとりの私物から、テーマカラーのオレンジのものを収集し、その収集したものがそれぞれのユニフォームになるように、一着ずつ仕立てたものだ。

「ことばのかたち工房」

今回展示された「ことばのかたち工房」プロジェクトについては、西尾のウェブサイトに簡潔なコンセプトが上げられている。引用しよう。

「ことばのかたち工房」では、練馬区立東大泉児童館を舞台にさまざまな「ことば」からイメージされる「かたち」を作っていきます。さまざまな「ことば」は、作家が東大泉の町を散策して拾ってきた「ことば」です。それは、観察やインタビューを通して、ある〈かたち〉から導きだされた「ことば」です。しかし、その「ことば」の元になったある〈かたち〉たちの正体は、ここでは明かされません。「正体」に惑わされることなく、自由にあなたのイメージする「かたち」を 作って下さい。
「ことばのかたち工房」では、「かたち」を作る素材として、いらなくなった古着を使います。切ったり貼り付けたりしながら、「かたち」を作っていきます。普段、傷つけてはいけない身近なものを壊すことから、作る行為を始めます。
最後には、「ことば」の元になった〈かたち〉たちの正体と、みんなが作った「かたち」たちを見比べ、置き換えてみます。その時、この東大泉の町はどんなふうに捉え直されるでしょうか。
「ことばのかたち工房」は、こんなふうにして、児童館と東大泉の町を舞台に、みんなで遊んでしまおうとするプロジェクトです。

コミュニケーションから生まれた様々な「かたち」が並ぶ
コミュニケーションから生まれた様々な「かたち」が並ぶ

ポップで大胆な色使いや、見慣れた衣服の形状、見慣れた写真の構図により、一見して見る人に緊張感を感じさせない西尾のプロジェクトの成果物は、日常を離れないコミュニケーションの延長にある。その場での(おそらく)自然なコミュニケーションのプロセスを想起させつつ、同時に、時に暴力的なラディカルさを持っている。この矛盾する要素が同居していることが、言語を超えた日常的な感覚で感じられる。

拙い言葉でもう少しその魅力を説明すると、西尾が操作をしている対象は、抽象的な「服と人の関係」などではなく、具体的な「服と、服のパーツと、人の体と、人のパーツと、それを着る人の理由」だ。これらの、バラバラな物として扱うことが不可能な、絡み合った関係性の結び目を、西尾は無理にほどいたり切断することはしない。作家としての特権を振りかざすのではなく、自然なコミュニケーションの中で「結び変えて」いく作戦を採っている。その結果、具体的な物と意味の水平的な関係が生まれ、決して一人の人間の頭の中で操作されたものではなく、複数の人間のコミュニケーションによって生まれる、身体と社会が結びついた状態で個々が状況を操作する可能性が生まれる。この状況は、理想としての「公共圏」(パブリック・スフィア)と対比させて、より現実に近い「人間空間」とでも呼びたくなる。

というわけで、私は西尾が児童館でのプロジェクトを行ったということに非常に興味を覚えた。なぜなら、児童館は、まずもって大人の世界よりも濃密な「人間空間」の場であろうということが、自分の経験からも容易に思い出されるからだ。全ての人が児童館に行っていたわけではないだろうが、かつて子供でなかった人はいない。

今回の展示の後、「ひょっとしたら、人が服を選び、着て、他の人の服を見るのは、成長とともに“むやみに他の誰かになってはいけない”というルールを社会性という名の下に押し付けられた結果かもしれない」とか、「そのルールに慣れていく一方で、人は窮屈で薄い人間関係に染まってしまうから、服を通じてコミュニケーションを変質させようとする行為は、かつて子供であった全ての人が、新しく人間空間の濃密さを取り戻そうとする行為の一種としても捉えられるのかもしれない」などと考えてしまった。

「ことばのかたち工房」のより詳しいプロセスは、次に説明する「アーティスト・イン・児童館」のブログサイトで、豊富な写真とともに掲載されている。

「アーティスト・イン・児童館」

レジデンス中に作られた成果物
レジデンス中に作られた成果物
「アーティスト・イン・児童館」とは、子どもたちの遊びの場である児童館にアーティストを招聘するプログラムです。アーティストには創作・表現のための作業場として児童館を活用してもらいます。しかし、子どもたちにとって、アーティストは先生でもゲストでもありません。子どもたちの遊びの活動とアーティストの創作・表現の活動は対等なものとして児童館に共存します。アーティストは子どもたちの遊びの中に創作・表現の活動を見い出すかもしれません。また、子どもたちはアーティストの創作・表現の中に遊びを見い出すかもしれません。こうした遊び・創作・表現を通して、子どもたちとアーティストが出会っていく場を作っていくのが、本プログラムの目的です。(アーティスト・イン・児童館 ディレクター臼井隆志によるマニフェスト)

大人同士の人間関係では、普段見知った相手が自分の知らない何者かに変身することは、何かの一線を超える出来事だ。前後不覚に酔っ払ったり、激怒したり、ベッドの上、ハンドルやマイクを握ったとき、色々なシチュエーションはありえるものの、ところが、子供同士では、いつ誰が何者に変身するかさっぱりわからないのが日常である。味方にも敵にも、魔王にも勇者にもなれるし、宇宙人にも婚約者にもなれる。この変身能力と創造性の前には、大人たちがルールを一方的に強制しない限り、演技論や芸術家の特権性などは霞んでしまう。

「先生でもゲストでもない」とは、人間空間の一個人となることを意味する。アーティスト・イン・児童館は、作家にとってもエキサイティングな場であることは間違いないだろう。地元のまちづくりセンターの助成を受けるなど、地域に根ざした試みとしても注目に値する。
[新聞掲載記事: ことばのかたち工房 想像働かせ子供と作る : 毎日新聞]

プロジェクトの展示

ところで、こうした試みが、展覧会という形で振り返られる場に観客として足を運ぶということにどんな意味があるのだろうか。これは、プロセスを組み立てていく作家の展示をする際には必ず問題になる。

今回の場合、仮に、児童館でのプロジェクトの現場に、単なる外部の観客として我々が踏み込むとすると、その行為自体が、現場に異質なルールを押し付けてしまうことになりかねない。例えば、「アーティストの製作現場を見に行く」という一定の予断を持って来た人間の存在によって、子どもたちの振る舞いが変わり、それだけに留まらず、それまで作家が滞在しながら築いてきたその場所の雰囲気を強制的に破壊することにもなりかねない。純粋な観察は不可能であると認識する必要がある。

しかし、だからといって、プロジェクトで作られた物、行われたコミュニケーションの記録から、視覚的/空間的な体験の形に圧縮された情報を、さらにまた展示物という断片の連続を「博物館」的に並べるだけでは、現場の状況を体験的に伝える事はできない。


この問題に対して、今回の展覧会では、個々の展示物に対して饒舌に説明を加えるのではなく、また壁を立ててゾーニングしたり、ばらばらの展示台で断片として見せるのでもなく、形態もボリュームも様々な展示物を一つの空間に並べることで回避を試みていた。また、展示のみならず、DMを兼ねたユニークなパンフレット、興味深いゲストによるトークイベント、来場者が参加できるイベントなどを組み込んでいて、それぞれが効果的に作用しているように感じた。

本展の企画者の吉川は、アートマネジメントユニット「C5」のメンバーである。西尾とアーティスト・イン・児童館だけでなく、apmgとC5の次の活動にも期待している。

ちなみに、apmgは大学公式のスペースだが、武蔵野美術大学には、学生が使われていないスペースを見つけて展示スペースとして使ったり、学内に自分のアトリエを持っている人がそこを展示スペースとして使っていることがある。ふと出かけていった先で思いがけず「ヘンなもの」に出会える可能性があるのは楽しい。また、建物も様々な建築家による凝った不思議なものが多く、実際の使い勝手は不明だが、外部からの来訪者にとっては見ていて楽しめる「ザ・美大」なのは言うまでもない。皆さんもぜひどうぞ!

作田 知樹

作田 知樹

先端の映像・アート・科学領域を扱うミュージアム、イベント事務局、民間非営利シンクタンク等に勤務する傍ら、これらの領域をめぐる制度や法・政策について、現場の運営と個人の創造性への影響、人材育成の視点からの研究をしています。2004年、弁護士らと共に表現/芸術活動を支援する法律家NPO"Arts and Law"を設立、代表理事を務めています。行政書士。武蔵野美術大学、京都精華大学非常勤講師。早稲田大学第一文学部、一橋大学ロースクール中退。東京芸術大学美術学部先端芸術表現科卒業。東京大学大学院人文社会系研究科文化資源学専攻文化経営学専門分野修了。武蔵野美術大学造形学部芸術文化学科、同大教養文化研究室非常勤講師。京都精華大学芸術学部非常勤講師。『クリエイターのためのアートマネジメント』著者。記事内容は所属先組織の見解を述べたものではありません。