しおん

母校の隣には朝鮮大学校があった。当時は深く考えず交流をしていたが、在日コリアンという自らの所在をいつも探し求めている彼らの内側を、今ようやく考える。

武蔵美との朝鮮大のプロジェクトが衝撃的だった。自分より少し上の先輩たちのプロジェクトと知ってはいたものの、そこにある軌跡は単に美しいものではなく、『2:2で対話していたが、1人休んで2:1になった時、流されないようにと構えた』『何を話してもマジョリティになってしまう』『私たちがテーマを与えなくてはいけないのか』…などの、赤裸々で痛々しい言葉たち。

また、在日コリアン2世のパートナーをもつアーティスト高嶺格の結婚式を記録した作品は特に印象的だった。『あなたの在日コリアンへの嫌悪感はなに?』というパートナーの一言で始まるマイノリティへの偏見や無自覚さへの対峙。
結婚式でそれぞれの伝統を模した衣装や文化を取り入れ、それを取り次ぐドラッグクイーンという超越した存在。
在日コリアンの方々は、自分の先祖やその歴史を自分の一部として受け入れ吟味し、今もなお考え続けているのに
マジョリティ側の『偏見はない』という偏見が、彼らの葛藤を押しつぶす暴力性に気がついた。
自分か何かのカテゴリーにおいて、マイノリティであっても、誰かにとってのマジョリティにもなることに、視野を広げられると、みんなが当事者意識を持てるのではないだろうか。

北朝鮮の日本人妻達への取材作品は、その対面にひたすら海の映像が流れており、海が日本と朝鮮を繋ぐのに、海が日本と朝鮮を切り離しており、その憤りを感じた。

個人的に、先日直島でも見た李禹煥の作品を見れたことがとても嬉しかった。