巷房 (2)青木郁(あおき・かおる)の作品"another tale"は、一見すると何気ない光景を撮影したスナップ・ショットです。室内や室外、とりとめもなく集められたそれらの光景は、どのような意図で集められたものなのか、わかりやすいとは言い難いものです。その意味を探る鍵は、タイトルに隠されています。「もうひとつの物語」、では一体、もともとの物語は何だと言うのでしょうか? 実は青木は、これらの光景を、ある物語の映像のスチルを撮影するかのように撮り進めてきたのです。とりとめもなく想えたそれぞれの光景は、作家の中では、一本の物語を紡ぐための断片にも似た役割を果たしているのです。青木が念頭においていたのは岡崎京子の『リヴァーズエッジ』です。出口のない若者たちの焦燥と倦怠を描いたコミックは、それ自体映像的で、いまさらそれを画像に置き換えることの意味はわかりやすいとはいえません。けれども、私たちが何気なく目にしている光景が、実はさまざまな物語の舞台を抱くものであり、そこに複数の物語が横たわっていることは否定しようがないはずです。それにもかかわらず、人々はそうした目の前の光景そのものよりも、フィクションの中に明確に綴られた一本の線をたどることに終始しがちです。青木の切り取る光景は、そうした架空の光景に拘泥しがちな意識を冷たく引き剥がし、退屈だと思われていた光景の中にいやいやながらわたしたちを引き戻します。しかし、そのとき、言いようもない実感となって、その光景こそが物語をさ支えているものだという事実と出会うことになります。「もうひとつの物語」こそが、そもそもの物語だったのです。青木が頼りない手つきで掻き集める物語の断片。わたしたちは、確実にその中で生きています。その中にこそ、本当の物語があるということ。そうした意識に立ち戻ったとき、いたずらに死者の再生や、時間の逆行ばかりを利用する、今日の物語の貧相さが露呈されてきます。死者は去り、時間は戻らない。その中だからこそ綴られる物語があるはずです。ちょうどそれは、超越的なデウス・エクス・マキナの介入が悲劇を破産させるとしたニーチェの指摘をも想い起こさせます。
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