シュウゴアーツ昨年末、日本中の話題をさらったレクイエムシリーズの第二弾となる本展は、前作に引き続き「20世紀とは何であったか」をモリムラ流に検証する批評性をもった作品群で構成されます。展示は大型写真6点、映像作品2点のほか小品などもふくめ約16点の作品による見応えのある内容になっています。
森村はレーニンやゲバラといった20世紀の偉人・英雄が21世紀にもし生きていたら、彼らが現代をどのように捉えるか、その想像を手がかりに作品世界をつくりあげていきます。20世紀的なるものを検証し21世紀という現代とはどういう時代なのかを想像力でもってとらえることは、単純に過去を回帰したり否定することとは異なるのです。去り行く過去の歴史に深い敬意を払い記憶に深くとどめながら、我々の現在そして未来にむかって「レクイエム(鎮魂歌)」を森村は捧げているといえるでしょう。
かつて私は、映画女優をテーマとした作品群(通称、女優シリーズ)を制作しましたが、あれは20世紀的なるもののうち、「女性的なるもの」にフォーカスしたシリーズでした。20世紀における「女性的なるもの」の価値はどこに見いだせるかというと、「映画」のなかにあったと私はとらえました。「映画」の中で(極端にいえば、映画の中でのみ)、「女性的なるもの」は、光り輝く主人公であり、世界の中心として現れた。それが「女優」だったと、私は思っています。
では現実世界ではどうかというと、その主人公は「男性的なるもの」であったと言えるでしょう。ではそれはどこに見られるかというと、「政治」の世界、そして「政治」と関係の深い「戦争」の世界という「荒ぶる世界」だった思います。20世紀の現実の歴史を作ったのは男達であり、20世紀にフィクションの世界を輝かせたのは女達であったというのが、私の20世紀という時代のとらえかたです。この、現実とフィクションのふたつをともに語ることで、はじめて20世紀の総体がとらえられるのだと、私は考えています。
女優シリーズで、私はすでに「フィクションの中で輝く女性的なるもの」というテーマを扱いました。今回は、もうひとつの20世紀の物語である、「政治と戦争の中に現れた男性的なるもの」というテーマを扱っています。そしてこの「政治と戦争」はどこに数多く記録されているかといえば、それは「報道写真」でしょう。「女性的なるもの」の時には「映画」をテーマとしたように、「男性的なるもの」をテーマにする今回は、数々の20世紀の「報道写真」をテーマとしています。
[画像:森村泰昌「A Requiem: Infinite Dream / CHE」(2007) Gelatine Silver Print]