アート・ラボ・トーキョー第24回ガーディアン・ガーデン「ひとつぼ展」グランプリ作家であり、柳幸典率いる旧中工場アートプロジェクト「金庫室のゲルトサイシャー」展(旧日本銀行広島支店)や「CHANELの世界」(CHANEL NEXUS HALL)—ともに2007年—などでも注目を浴びた若手作家・太湯雅晴の本格的インスタレーション個展。
“貨幣”という、私たちの日常生活に欠かせない存在をテーマに、その流通の不可思議さや、その価値の虚構性/実効性のはざまへと問題意識を向け、自らの名を冠した「太湯銀行」の発行券として、「無限円」「零円」などの“紙幣”を精緻な手法で作り続けている太湯が、本展ではギャラリーの向かい合わせの壁面に鏡を設置。その“合わせ鏡効果”によって、実際の空間に配された「太湯銀行紙幣」が擬似の無限空間を埋め尽くす趣向。
鏡像という虚構、さらにそこに映し出される「太湯銀行紙幣」という架空の価値—。折り重なる虚構性の多重な乱反射—実はこの状況こそが、「貨幣」という制度の本質的な姿ではないだろうか、と作家は我々に問いかけている。
なお、タイトルのOuroboros(ウロボロス)とは、自分の尾を噛んで環を作る蛇(または竜)で表現されるシンボル。その様子から、始まりも終わりもない完全なものとして、無限性、循環性、永続性などといった、幅広い意味を持っている。
太湯雅晴の紙幣はいわゆる本物に紛れ込む恐れはなくても、流通する可能性は持っています。彼の紙幣による支払いを、交換として互いに了解することができれば、それは紙幣です。現実と虚構の中間の存在としての紙幣。本物と贋物の間の区別はなくなり、本物の根拠も怪しくなってきます。
彼は紙幣が流通してしまうという謎、どこまで追いかけても無限に遠ざかってしまう通貨制度の根拠を突き止めようとしています。本当は根拠などないのです。しかしではなぜ根拠のないものが目の前で流通するのか、という謎が相変わらず残っています。
紙幣はその根拠のなさを覆い隠す手段をいくつも持っています。紙幣の過剰な精密さは贋札を排除するという口実のもと、権威を偽装します。太湯雅晴の紙幣は現実の権威主義的な偽装を完璧に模倣します。これはアートの状況にどこか似ている。
山野真吾(ミュージアム・シティ・プロジェクト運営委員長・横浜トリエンナーレ2005キュレーター)
オープニング・パーティー 9月1日(土)17:00〜
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