群馬県立館林美術館明治22年に館林に生まれた日本画家・岸浪百草居(1889-1952)は、南画家であった父・岸浪柳(1855−1935)や、同じく館林出身で近代南画のリーダーであった小室翠雲(1874-1945)に学び、大正から昭和の文展、帝展、日本南画院展などで活躍しました。本名は定治(さだじ)と言い、比較的長く使用した号に「静山(せいざん)」「百艸居(ひゃくそうきょ)」「百草居」があります。
はじめは中国の文人画に由来する概念である「南画」の画家、南画家として出発しましたが、中国や欧米を訪れたこともきっかけとなり、自宅の庭の植物などの写生を通じて画風を転換し、徐々に魚類を描く画家として認められるようになりました。蛙などをモティーフとした愛らしい戯画的な作品にも大変魅力があります。戦中・戦後には、三越百貨店美術部で何回か個展を開いており、第二次世界大戦末期から戦後にかけて、群馬県西部の南蛇井に1年ほど疎開したこともありました。
晩年にはNHKラジオの看板クイズ番組「二十の扉」やテレビにもたびたび出演するなど知名度も増し、東京大学教授で魚類の研究者であった檜山義夫との共著で挿絵を提供するなど、さらに活躍が期待されていました。ところが、残念なことに病に倒れ、《魚類図鑑海魚の部》に引き続いて昭和天皇に献上する予定であった《淡水魚の部》については完成させることができず、東京都世田谷区に住んでいた昭和28年、聖路加病院でその生涯を閉じています。
百草居に関しては、小杉放菴(1881−1964)との親しい交流が知られていますが、ほかにも様々な文化人との交流があり、特に小杉放菴宅で在野の漢学者・公田連太郎を招いて1927(昭和2)年に始まった漢籍の勉強会「老荘会」では幹事的な役割を果たしました。財界人や文士などを集めたこの集まりには出光興産創業者の出光佐三なども出席しており、洋画家・中川一政(1893−1991)との交流も深まっています。また、「如水画談会」で東京商科大学(現在の一橋大学)関係者に絵を教えており、1934(昭和9)年には第1回展も開かれました。
生誕120年にあたって群馬県立館林美術館で行う今回の展覧会は、館林市第一資料館で1998年に開かれた「岸浪柳渓・岸浪百草居−その芸術と足跡 −」展以来、11年ぶりの大きな回顧展となり、前回出品されなかった作品も多数出品されます。現代にも通じる百草居作品の知られざる魅力をぜひ展覧会会場で発見していただければと思います。
関連イベントに関してはウェブサイト上でご確認ください。
まだコメントはありません