gallery αMサラエボの街中、内戦の傷跡と思しき壁や道の亀裂に、少女がはまり込んでまどろんでいる。行き交う住民がぎょっとして振り向く。なぜこんなところに女の子が居るのかと。日常の風景に突如として挿入された身体は、この亀裂の原因にほかならない過去の悲劇にじっと耳を傾けているようだ。それとも、やがては綺麗に修復され舗装されてしまうだろう亀裂の運命に抗うべく、少女は意思的な退行を選んで時の流れに背を向けているのだろうか。
林加奈子の仕事の原点ともいえるサラエボでのアクションは、その後の彼女の世界に対する向き合い方を規定しているように思える。身ひとつで、機知とユーモアを武器に日常空間を変容させるその表現行為には、強引に現実をこじ開けるふてぶてしさもなければ、感情を逆なでするような戦略的な悪意もなく、ましてや観客を呼び止める雄弁もない。彼女の方法は、誰もが持っている幼児期の身体的な記憶を呼び覚ますようなきわめて単純な行為や所作を媒介に、過去と現在を接続する回路を作り出すことにある。そこでは五感を総動員するのではなくあえていくつかの感覚を遮断し、躍動するどころかむしろ抑制された行為でしか得られない世界との関係が探られる。それをあえて創造的な退行と呼んでみよう。
困難な現実を前に精神の土台が大きく揺らいだとき、ある種の退行は心身の安定を回復させる処方箋となろう。だが、同時にそれは林にとって、時間の奔流に逆らい、過去との濃密な対話を持続しようとする能動的な態度でもあるのだ。
アーティストトーク:2月18日(土)16時~17時
■シンポジウム「 成層/断層:再起動する美術」■
3月24日(土)17時~19時 予約不要
パネリスト:高橋瑞木、鈴木勝雄、田中正之+中井康之
この1年の出来事を踏まえ、2011企画「成層圏」を振り返りながら美術の行方を見つめます。
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