世田谷美術館分館 宮本三郎記念美術館今年度、当館は開館10周年を記念して、宮本三郎(1905-1974)の約50年にわたる画業を3つの時期にわけて回顧し、収蔵品による展覧会を開催いたします。第Ⅰ期となる本展では、「修行時代から滞欧期まで」と題し、当館所蔵の宮本作品としては最初期の《不詳(妹・志乃像)》(1922年)をはじめ、1938年から1939年にかけて訪れたヨーロッパ滞在中に制作した作品までを、宮本が携わった雑誌の表紙絵や連載小説挿絵の仕事とあわせてご紹介します。
1920年代から1930年代、つまり宮本が10代後半から30代半ばの年齢だった頃は、彼が画家として独立していくために画学校等で切磋琢磨し、その努力もあって作品が周囲から認められていく時期にあたります。それは宮本が、1927年に「第14回二科展」で初入選を遂げたのち、1935年に生涯の制作拠点となるアトリエ兼住居を現在の世田谷区奥沢に新築、翌年の「第23回二科展」で二科会員に推挙されたことからもうかがい知れるでしょう。しかし一方、1929年頃からはじめた雑誌の表紙絵や挿絵の仕事が、展覧会で発表する油絵に通俗的な意味で影響していると意見されることもありました。新進画家として高く評価され、一見順調にも見える足取りの中で、宮本自身葛藤の日々を送っていたと言えます。
宮本は1938年10月に日本を離れ、翌1939年9月まで初めての長期ヨーロッパ滞在を果たしますが、これは、多忙をきわめた挿絵の仕事から離れ、油絵の本場で西洋美術の古典をつぶさに見つめ、自己の制作と向き合うことが目的でした。生まれ故郷・石川県を15歳で離れ、東京を基盤にし、画家として一人立つべく奮闘した宮本三郎の青年時代の軌跡をご覧ください。
[画像: 宮本三郎 「赤い背景」 (1938) カンヴァス、油彩 ]
まだコメントはありません