関内文庫ハッシュタグ「#マンガみたいな恋をしに行く」にて、作者本人を投影した「イマイ君」を主人公とするマンガを執筆する今井新(イマイ アラタ)が、彼の架空のガールフレンドであるミキちゃん(作者いわく、彼女はたしかに実在するらしい……)と関内文庫に住み、清濁併せ持つ横浜の街をデートする。横浜の街を通して、二人はそれぞれを見つめ直す生活を送る。……という設定の本展。そこに展示される作品はマンガだ。そして、マンガの展示手法に関しては、以前からさまざまな議論がある。いちばんの難問は、そもそも美術館やギャラリーが一点物の作品の展示に特化している施設である以上、出版を前提とする芸術形式であるマンガをカバーする機能を持っていないという問題だ。マンガの形式とはなにか? それを端的に表すと次のようになる。すなわち、ひとつのページが複数のコマに分割され、そのコマの中に絵と文字が書かれている。コマとコマの間には映画のモンタージュ技法に似た時間の連続性があり、読者はその流れを読み解くことで物語を理解する。このような形式の芸術は19世紀前半に活動したスイスの作家ロドルフ・テプフェールの発明だと言われている。そしてテプフェールは、後にコミックやマンガと呼ばれることになる自身の発明を「版画物語」と呼んだ。つまりマンガは、発明された瞬間から版画=コピーの頒布を前提にしている。それがマンガの定義だ。マンガは複製芸術である。だからマンガは、本やネット配信用の画像データになってはじめて作品になる。作家が描いた原稿は製版のための素材でしかない。けれども、本やデータはごく当たり前に書店やネットで流通しているコピーなので、それを展覧会で見せられても観客は喜ばない。だから、マンガ展は一般的に生原稿や作家が執筆時に用いた道具を聖遺物のごとく展示する。これは当たり前のことだ。なぜなら、展覧会という枠組そのものが一種の聖遺物の展示に特化した制度なのだから。では、そのような展覧会の制度に合わせたマンガを作ることは可能だろうか? つまり、ギャラリーでの展示を前提としたマンガを作る。けれどもマンガは複製メディアでの鑑賞が前提となる芸術形式であり、それがマンガの定義である。だから、展覧会に展示された作品のコピーは、当然「ちゃんとした」マンガとして頒布する。マンガは展示可能か? 可能だとしたら、どんな展示のあり方が妥当か? そんな現代美術っぽいことを考えつつ、イマイ君、ミキちゃんとともに冬の横浜を堪能していただきたい。あなたがそこで目にするものは、キラキラした横浜のイメージだけではないのかもしれないが。
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