小学生の頃に上野の美術館でゴッホのひまわりをみて画家になろうと決意したというエピソードが物語るように、性格はじつにストレートそのものだ。砂漠や無人島で制作を試みるなど、規格外のエピソードには事欠かないが、「悪目立ちする」と自嘲するキャラクターは、何事にも囚われない自由なアーティスト気質にほかならず、その屈託のなさは融通無碍という言葉がぴったりする。 画家を目指したエピソードと同様に、顔をモティーフにするようになったのも、きっかけはいたってシンプルだ。2009年にマイケル・ジャクソンが急死し、死の直前まで準備していたライブツアーのリハーサルの模様を編集した映画「マイケル・ジャクソン THIS IS IT」をみて、感動と衝撃を受けたことだった。 もっとも、彼女はそこから顔にまつわる思索を深め、人間の美容への欲求や変身願望、さらには人種、性別などの外観の相違による差別や誤解、他者というものがもたらす身体的、社会的、政治的な影響にまでその考察を広げる。「芸術家は『人』を表現するのに『顔』だけに切り詰めることができる」と述べたのは和辻哲郎だが[*01]、水戸部はマイケル・ジャクソン、デイヴィッド・ボウイ、ドナルド・トランプらの顔を描きながら、その造形にはスターたちへの共感や哀れみが込められている。
水戸部七絵は、今回のproject Nでの個展に「I am a not Object」というタイトルを用意した。セクシャルハラスメントやLGBTQ(性的マイノリティ)への偏見に抗議する言葉で、差別や偏見なく、他者という存在を全人格的に受け入れる彼女の制作姿勢が色濃く窺われる。と同時に、この言葉(フレーズ)には、その際立った物質感ゆえに、モノとしての存在感を強く意識させる自作に対する自己言及も含まれているだろう。 彼女はこのタイトルを、SNSで見つけたという。昨年来のコロナ禍での制作において、水戸部は新たに〈Picture Diary〉というシリーズを手がけるようになった。絵に英文が添えられた文字どおりの絵日記で、英文にはところどころ綴りのミスも見受けられるが、バンクシーやバスキアなど、アートに関するニュースの見出しから、アフガン少女の悲痛なツイッター投稿など、彼女の目と心に触れた日々の出来事が取り上げられている。とくに後者は、「活き活きとした他者」としてのスターたちの顔から離れて、いわば“顔のない”無名の他者たちを主人公にした作品といえるだろう。 水戸部七絵は、理想的な美や普遍的な世界を追求する代わりに、決して綺麗ごとではない、偽らざる現実のありのままを表現する。研ぎ澄まされた感性を唯一の武器に、画一化した固定観念に異議を唱えるその果敢な挑戦こそ、水戸部七絵の本領といえるだろう。
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