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[画像: 水戸部七絵《Baron Pierre de Coubertin》 油彩, 顔料, グラファイト, 石膏像, 麻, パネル 200.0 × 125.0 cm 2021 photo: Atsushi Yoshimine]

「project N 85 水戸部七絵」

東京オペラシティ アートギャラリー
終了しました

アーティスト

水戸部七絵
決してエキセントリックではないが、水戸部七絵は多くの点で規格外のアーティストだ。彼女が絵画だと固執する作品は、粘土の代わりに大量の絵具をもちいた塑像のようで、その重量ゆえにクレーンを使用しないと移動できないものもある。画面の厚みは40~50cmにも達し、一般的な公募展では出品規程に抵触して応募すらできない。そうした作品を、都心から60kmほど離れた千葉県の九十九里浜に近い場所に、広さ300平米あまりのスタジオスペースを構えて制作する。
規格外は作品ばかりではない。大学入学後わずか3日で授業の課題がつまらないという理由で退学を申し出たり、大学の枠を超えて同世代、同時代のアーティストを大結集した「99人展」(2008年)、「460人展」(2010年)を企画している。2020年に愛知県美術館に作品が収蔵されたかと思えば、2021年には東京藝術大学の大学院に入学し、今も在籍中だ。また、足の踏み場もない、“ゴミ屋敷”のようなアトリエの様子が川本史織の写真集『堕落部屋』(2012)やテレビのバラエティ番組で紹介されるという“黒歴史”がある一方で、つい最近は、G-SHOCKのプロモーションビデオに出演したり、菅田将暉のCDのジャケットに作品を提供している。

小学生の頃に上野の美術館でゴッホのひまわりをみて画家になろうと決意したというエピソードが物語るように、性格はじつにストレートそのものだ。砂漠や無人島で制作を試みるなど、規格外のエピソードには事欠かないが、「悪目立ちする」と自嘲するキャラクターは、何事にも囚われない自由なアーティスト気質にほかならず、その屈託のなさは融通無碍という言葉がぴったりする。
画家を目指したエピソードと同様に、顔をモティーフにするようになったのも、きっかけはいたってシンプルだ。2009年にマイケル・ジャクソンが急死し、死の直前まで準備していたライブツアーのリハーサルの模様を編集した映画「マイケル・ジャクソン THIS IS IT」をみて、感動と衝撃を受けたことだった。
もっとも、彼女はそこから顔にまつわる思索を深め、人間の美容への欲求や変身願望、さらには人種、性別などの外観の相違による差別や誤解、他者というものがもたらす身体的、社会的、政治的な影響にまでその考察を広げる。「芸術家は『人』を表現するのに『顔』だけに切り詰めることができる」と述べたのは和辻哲郎だが[*01]、水戸部はマイケル・ジャクソン、デイヴィッド・ボウイ、ドナルド・トランプらの顔を描きながら、その造形にはスターたちへの共感や哀れみが込められている。

水戸部は、作品の制作に長いものでは10年以上の年月をかけている。最近では石膏像を画面にコンバインするが、そんな彼女の新作をみていると、バルザックの短編『知られざる傑作』をつい連想してしまう。
架空の天才画家フレンホーフェルは、芸術の使命は自然の模写ではなく自然を表現することにあるとの信念のもと、10年を費やして《美しき諍い女》を完成させる。だが、それは、カンヴァスの隅に「一本のムキだしの足」だけが見える盛り上がった絵具の壁だった。作品を前にプーサンが吐いた台詞は、まるで水戸部の絵に向けられたもののようだ[*02]。
小説にはもう一人の画家ポルビュスが登場し、当時のアカデミックな絵画観を代弁する[*03]。自然を模写するためデッサン(骨組み)を重視する宮廷画家の目には、《美しき諍い女》は「骨組みのない生命」に映ったに違いない。大量の絵具を塗り重ねた水戸部の作品も、同じく「骨組みのない生命」といえるだろう。実際、彼女が表現するのは、ポップなアイコンとしてのスターたちの華麗な表層などではなく、その存在自体が否応なく内包する毀誉褒貶の総体といってもよいものだからだ。

水戸部七絵は、今回のproject Nでの個展に「I am a not Object」というタイトルを用意した。セクシャルハラスメントやLGBTQ(性的マイノリティ)への偏見に抗議する言葉で、差別や偏見なく、他者という存在を全人格的に受け入れる彼女の制作姿勢が色濃く窺われる。と同時に、この言葉(フレーズ)には、その際立った物質感ゆえに、モノとしての存在感を強く意識させる自作に対する自己言及も含まれているだろう。
彼女はこのタイトルを、SNSで見つけたという。昨年来のコロナ禍での制作において、水戸部は新たに〈Picture Diary〉というシリーズを手がけるようになった。絵に英文が添えられた文字どおりの絵日記で、英文にはところどころ綴りのミスも見受けられるが、バンクシーやバスキアなど、アートに関するニュースの見出しから、アフガン少女の悲痛なツイッター投稿など、彼女の目と心に触れた日々の出来事が取り上げられている。とくに後者は、「活き活きとした他者」としてのスターたちの顔から離れて、いわば“顔のない”無名の他者たちを主人公にした作品といえるだろう。
水戸部七絵は、理想的な美や普遍的な世界を追求する代わりに、決して綺麗ごとではない、偽らざる現実のありのままを表現する。研ぎ澄まされた感性を唯一の武器に、画一化した固定観念に異議を唱えるその果敢な挑戦こそ、水戸部七絵の本領といえるだろう。

01和辻哲郎「面とペルソナ」(『和辻哲郎随筆集』、岩波文庫、1995年所収)
02「僕の目に見えるものといったら、ごちゃごちゃに寄せあつめて、無数のへんてこな線で抑えてある色だけだ。絵具の壁になっている色だけだ」(バルザック『知られざる傑作 他五編』、水野亮訳、岩波文庫、改版1965年、p.185)。
03「すなわちデッサンは骨組みをつくり出す。色は生命だ。けれど骨組みのない生命は、生命のない骨組みより、もっと不完全なものだからね。」(バルザック同上、p.167)。

スケジュール

2022年1月13日(木)〜2022年3月25日(金)

開館情報

時間
11:0019:00
休館日
月曜日
月曜日が祝日の場合は開館し翌火曜日休館
年末年始休館
入場料一般 1400円、大学生・高校生 1000円、中学生以下 無料
展覧会URLhttps://www.operacity.jp/ag/exh248.php
会場東京オペラシティ アートギャラリー
http://www.operacity.jp/ag/
住所〒163-1403 東京都新宿区西新宿3-20-2
アクセス京王新線初台駅東口より徒歩3分、小田急小田原線参宮橋駅より徒歩11分、都営大江戸線西新宿五丁目駅A2出口より徒歩12分
電話番号050-5541-8600 (ハローダイヤル)
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