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[画像: 吉田博《日田筑後川の夕》1927]

「第4期コレクション展」

大分市美術館
終了しました

アーティスト

吉田博、吉村益信
・近代版画と大分の版画家たち
さまざまな文化や印刷技術が流入した明治時代、江戸時代以来の伝統を持つ浮世絵師たちも、近代的な風物や時事的な出来事を主題に制作を行うようになりました。そして徐々にその活躍の場を新聞や雑誌の挿絵に移し、伝統的な浮世絵は衰退していきました。また、西洋から「美術」の概念が移入され、版画は職人の印刷技術として、「美術」の枠外へと位置付けられました。
それに対して、山本鼎らは美術雑誌『方寸』での版画の紹介を通して、版画は「美術」であると主張しました。その後、恩地孝四郎らの版画作品集『月映』も創刊されるなど、版画を自立した芸術表現として捉える動きは盛りあがり、1919(大正8)年「自画・自刻・自摺」を標榜する日本創作版画協会が設立されました。
一方、同じころ、衰退した浮世絵の伝統再興を目指す動きも起こりました。橋口五葉や川瀬巴水らは、版元・渡邊庄三郎のもと浮世絵の伝統的な技法と新鮮な表現を融合させながら新しい浮世絵―「新版画」を制作し、これらは西洋においてジャポニスムの文脈で高い評価を受けました。
その後、洋画家たちも版画制作に積極的に参入し、版画芸術の幅を広げました。また、武藤完一らは、書籍の出版や、版画講習会開催によって中央だけでなく大分にも版画を普及させました。現在でも版画は、芸術表現のひとつとして輝きを放ち続けています。
本展では、近代版画の大きな流れを紹介するとともに、大分における版画家たちの活動を紹介します。近代から現代まで、そして、中央から地方まで豊かな広がりを持つ版画の世界をお楽しみください。

・「没後10年 吉村益信展」
吉村益信(1932-2011)は、大分市出身の戦後美術を代表する美術家の一人です。1949(昭和24)年に第一高等学校(現・大分上野丘高等学校)を卒業し、武蔵野美術学校に入学します。夏休みに帰省した際に、大分市のキムラヤ画材店のアトリエを集会所とする美術サークル・新世紀群の結成に立ち会いました。新世紀群には、サークルの命名者でもある磯崎新(1931-)が所属し、赤瀬川原平(1937-2014)や風倉匠(1936-2007)も出入しました。
1960(昭和35)年、吉村は赤瀬川、荒川修作(1936-2010)、篠原有司男(1932-)ら、才能溢れる芸術家が所属する「ネオ・ダダ」を結成します。ネオ・ダダの「作品」は、廃品を用いた破壊的なオブジェとスキャンダラスなデモンストレーションでした。ネオ・ダダの終焉後に吉村は渡米し、帰国後は、アクリルガラスなどの工業素材を使用し、作家が設計図を描き、制作を工場等の第三者の手に委ねる発注芸術と呼ばれる作品や、ライトやネオンなどの発光体を駆使し、芸術とテクノロジーが融合したライト・アートの作品を発表し、吉村は評価を高めていきます。1970(昭和45)年の大阪万国博では、さまざまな場面でバラエティーに富む才能を発揮しました。その後も、数多くの問題作・話題作を発表し、我が国の美術界に刺激を与え続けました。
本展では、当館が所蔵する作品を中心に、吉村の豊かな芸術活動を紹介します。

スケジュール

2022年1月5日(水)〜2022年4月10日(日)

開館情報

時間
10:0018:00
休館日
月曜日
毎月第1月曜日は開館し翌日の火曜日が休館
※特別展会期中の火曜日は開館
年末年始休館
入場料一般 310円、大学生・高校生 210円、中学生以下・障害者手帳提示と付き添い1名 無料
会場大分市美術館
http://www.city.oita.oita.jp/bunkasports/bunka/bijutsukan
住所〒870-0835 大分県大分市大字上野865
アクセスJR日豊本線・豊肥本線・久本本線大分駅より徒歩20分、JR大分駅上野の森口(南口)よりバス「大分市美術館」下車
電話番号097-554-5800
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