SUCHSIZE(サッチサイズ)民俗学者・田中忠三郎が収集した襤褸(ボロ)は、単なる継ぎはぎの布や古着という形式を超え、私たちに数世代にわたる家族のつながりや、幾度も刺し継がれた刺し手の身体性を喚起し、はかなくも力強い継承の痕跡を宿しています。本夏展では、このボロのように、薄く延ばした陶土や粉状にした陶土の積層を通して、時間のはかなさと記憶の継承を表現するケイト・ストラカン(Katie Strachan)の作品を紹介し、無常の世界におけるモノを遺す行為について考えてみたいと思います。
粘土を布のように薄くし、時にはパウダー状にするなど、繊細で不定形な素材を使用するストラカンの陶は、丁寧な焼成を経て、脆さと強さという矛盾する存在感を同居させます。奥が透けるほど薄い層をドレープ状に重ねた《envelop》シリーズは、所々に裂け目が入り、作品内部を垣間見せます。これはあたかもボロの破れた隙間から先祖代々の布地が顔をのぞかせるかのようで、作家の無数の手業が断片的に現れ、身体的なエネルギーを遺しています。一方、《interval》シリーズは刺し子の運針を想起させる等間隔の切れ目をもち、装飾を極限まで削ぎ落としたミニマルな佇まいを見せます。この抑制された表現と、最小限の身振りで反復されるカッティングは、土という素材と炎の力を尊重する作家の姿勢であると同時に、無常の世界に対する受容を体現しています。
「作品は単なる物ではなく、遺物のように、異なる時間感覚への入口になり得る」と語るストラカンの眼差しのように、鑑賞者は作品を目の前にして、保存と崩壊が均衡する一瞬に立ち会っているかのような時間感覚をもちます。ボロにおいても、使用されていた過去の時代を想像させるだけでなく、使われてきた時間の総量が私たちの目に流れ込んできます。形あるすべてのものが崩壊し、循環し続ける無常の世界において、人が不可逆的な時間の流れの中でモノの形をとどめようとすること。それ自体が、自然の摂理とは異なる時間と向き合う行為と言えるでしょう。
手のひらの携帯電話が記憶の断片を紡ぎ出し、物が壊れる以前に新調する現代だからこそ、ストラカンの陶は遺物を目指し、悠久の時と添い遂げようとします。今にも壊れそうな瞬間が凝縮されたまま遺り続けるという、一瞬と永遠が同居する作品のイメージを携えて、私たちに無常の世界で生きているのだとささやくのです。
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トークイベント
日時: 8月23日(土)16:00〜17:30
会場: SUCHSIZE
料金: 入場無料 ※先着15名様は椅子席あり(予約不要)、日英逐次通訳あり
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