「沢田教一と一ノ瀬泰造」

日本カメラ博物館
2月1日終了

アーティスト

沢田教一、一ノ瀬泰造
日本カメラ博物館(館長 櫻井龍子)では、2025年9月30日(火)から2026年2月1日(日)まで、特別展「沢田教一と一ノ瀬泰造」を開催します。

沢田教一と一ノ瀬泰造は、ともに紛争地帯の最前線に身を置き、激戦の様を記録してきた報道写真家です。彼らが写した写真はさまざまな媒体でとり上げられ、いまも多くの人びとに深い感銘を与えています。

沢田は1936年青森県青森市に生まれ、三沢基地内の写真店に勤務し、のちに夫人となるサタと出会います。1961年にUPIの職を得て、1965年に自費でベトナム戦争を取材。7月にUPIサイゴン支局写真部に赴任し、同年9月に撮影した写真「安全への逃避」が世界に配信され、翌年ピュリツァー賞を受賞。その後もアジアの紛争地で取材を続けますが、1970年、移動中に銃撃を受け、34歳で戦場に没しました。

一ノ瀬は1947年佐賀県武雄市に生まれ、日本大学芸術学部写真学科卒業ののち資金を貯め、1972年カンボジア、ベトナムへと入国し、このときの写真がUPI月間賞を受賞するなど各媒体に掲載されました。1973年11月には友人宛の手紙に「地雷を踏んだらサヨウナラ」と記しアンコールワットへと潜入し、その後消息を絶ちます。このとき26歳。9年後の1982年、プラダックの草原に埋葬された一ノ瀬の遺骨が発見されました。

沢田と一ノ瀬は、報道写真家として生き、戦場に殉じました。しかし、ふたりが捉えていた被写体は戦闘ばかりではなく、戦地へと赴く以前や、戦場での撮影の合間にもさまざまな写真を撮影していました。彼らのフィルムには、人の営みが感じられる風景や、そこに生きる人々の姿が記録されています。日本カメラ博物館で開催するこの企画は、これまで発表される機会が少なかった作品も含め、戦場とはまた異なる視線で見つめた2人のまなざしを、写真と数々の資料でたどる特別展です。

沢田が遺したフィルムには、故郷青森の三沢基地、下北半島など各所をはじめ、恐山のイタコ、1964年の新潟地震、同年の東京オリンピック、そのほかベトナムやカンボジア、香港など、そこに生きる人々の姿が写し込まれています。

一ノ瀬の写真には、学生時代にテーマとした大学闘争やデモ、自身も打ち込んだボクシング、山谷でのアルバイト中に撮影した工事現場、故郷の佐賀、下宿先の自室で撮影した父の記念写真など、身近な人々もテーマとして写しとられ、戦場に至るまでの一ノ瀬の青春をたどるかのような作品群が遺されています。

このほか、沢田が使用していたライカM2やヘルメット、IDカード、ピュリツァー賞賞状や数々のトロフィー、一ノ瀬の被弾したニコンF、配信に使用していたタイプライター、学生時代に打ち込んだボクシングのグローブ、自作の写真集など、貴重な資料も展示いたします。

隣接するJCIIフォトサロンでは、10月に沢田教一、11月に一ノ瀬泰造の写真展を開催し、ベトナムやカンボジアの紛争地帯最前線の記録など、代表作を含む写真の数々を紹介します。第2次世界大戦終戦から80年、ベトナム戦争終結から50年を迎えた本年、戦場に散った2人の報道写真家について、あらためて思いをはせる機会としていただければ幸いです。

スケジュール

開催中

2025年9月30日(火)〜2026年2月1日(日)あと48日

開館情報

時間
10:0017:00
休館日
月曜日
月曜日が祝日の場合は月曜日開館し翌日休館
12月27日~1月4日は休館
入場料一般 300円、中学生以下 無料
展覧会URLhttps://www.jcii-cameramuseum.jp/news/2025/08/19/37488/
会場日本カメラ博物館
https://www.jcii-cameramuseum.jp
住所〒102-0082 東京都千代田区一番町25 JCII一番町ビルB1F
アクセス東京メトロ半蔵門線半蔵門駅4番出口より徒歩5分、東京メトロ有楽町線麹町駅3番出口から徒歩11分、JR中央線・総武線四ツ谷駅麹町口より徒歩17分
電話番号03-3263-7110
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