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神武天皇(じんむてんのう) 八咫烏(やたがらす)の道案内 秋尾園 墨・紙 297×295mm(円形の幻燈画部分)

「明治の幻燈 中島待乳の妻・園の幻燈画の世界」

JCIIフォトサロン
終了しました
JCIIフォトサロンでは、古写真シリーズの48回目として、来る2025年7月29日(火)から8月31日(日)まで、「明治の幻燈 中島待乳の妻・園の幻燈画の世界」展を開催いたします。

江戸時代中期に「マジック・ランタン(幻燈機)」が初めて日本に輸入されると、国内で独自の発展を遂げ、関東では「写し絵」、関西では「錦影絵」と呼ばれたアニメーションの元祖のような芸能が人気を博しました。それは絵師がガラス板(種板)に物語を場面ごとに描き、その種板を挟む木枠に細工を施し、語り手に合わせて画像を動かしながらスクリーンの裏側から投影するものでした。明治期に入ると、政府主導により最新の教育機器として新たに幻燈(ランタン・スライド)の普及が進められ、「写し絵」のように技術が無くても誰もが簡単に上映できるようになり、明治後期には家庭でも幻燈機を購入し、好きな幻燈を集め、家の障子に映して楽しむようになりました。

明治7年(1874)に浅草の材木町で写真館を開業した中島待乳は、当時の高名写真師の一人で、明治10年(1877)頃に写真雑誌「脱影夜話」を読み興味を持ち、幻燈や幻燈器械の製造に着手したそうです。明治13年(1880)には、文部省より師範学校の教授が使う教材としての幻燈製造の依頼を受けました。待乳は明治19年(1886)には幻燈器械の光源に使う石油ランプをより明るい石灰灯(ライムライト)に改良するなど、日本の幻燈の発展に貢献しました。

今回の展示では、待乳の妻である女流画家・秋尾園が描いた幻燈画(待乳の幻燈に使う下図)をご紹介いたします。文久3年(1863)に沼田藩士・秋尾利義の三女として生まれた園は、少女時代から洋画や浮世絵などに興味を持ち、日本初の官立美術学校で本格的な西洋美術教育を行う工部美術学校の画学科に明治9年(1876)に13歳で入学し、アントニオ・フォンタネージ(Antonio Fontanesi)に師事しました。当時の女子生徒は、後に日本初のイコン画家となる山下りんなど6名しかおらず、園は最年少でした。フォンタネージは明治11年(1878)にイタリアへ帰国しますが、園はその後も工部美術学校で学びました。その後、明治13年(1880)に工部美術学校を退学し17歳で中島待乳と結婚した園は、夫の幻燈製造を手伝い、幻燈画を描き、彩色も行いました。

当館で所蔵している園が描いた幻燈画(下図)は全部で95枚あり、裏打ちされ丁寧に保管されていました。今回はその内の61枚を展示いたします。そこには、日本神話から奈良時代、平安時代、鎌倉時代と続き、園が生きていた明治時代に至るまで、神々や天皇、平家と源氏、モンゴル帝国による元寇や後醍醐天皇による建武の新政、織田信長と豊臣秀吉、加藤清正や明智光秀、徳川家康や井伊直弼、そして戊辰戦争や西南戦争など、日本の歴史的な人物や出来事がドラマチックに描かれています。また会場では、明治時代の皇族や子供達、日本各地の風景など、中島待乳が製造した幻燈(写真)21点もスライドショーでご覧いただく予定です。

スケジュール

2025年7月29日(火)〜2025年8月31日(日)

開館情報

時間
10:0017:00
休館日
月曜日
月曜日が祝日の場合は月曜日開館し翌日休館
入場料無料
展覧会URLhttps://www.jcii-cameramuseum.jp/photosalon/2025/06/18/37104/
会場JCIIフォトサロン
https://www.jcii-cameramuseum.jp/photosalon/
住所〒102-0082 東京都千代田区一番町25 JCIIビル
アクセス東京メトロ半蔵門線半蔵門駅4番出口より徒歩5分、東京メトロ有楽町線麹町駅3番出口から徒歩11分、JR中央線・総武線四ツ谷駅麹町口より徒歩17分
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