東京オペラシティ アートギャラリー一瞥で人体と認識するには難しい、多分に抽象化された人体の描き方についても考察してみたい。切れ切れの線を想像の力によって構築することを余儀なくされる鑑賞者は、自ら像を結びながら、それがはたして「正しい」のか否かを常に問うことになる。他の可能性がありやしないか。明日はまた別のものに見えてしまうのではないか。この揺らぎこそが大久保の絵画の魅力であり、鑑賞者が「わからなさ」を肯定しながら自分なりの物語を幾重にも紡いでいくことへの期待と信頼につながっている。
このことを裏打ちするように、大久保が新作のテーマとして選んだのが橘成季(たちばなのなりすえ)による『古今著聞集』(ここんちょもんじゅう)である。鎌倉時代に編纂された説話集である『古今著聞集』は、その名の通り伝承によって伝えられた古今の物語で、古くは平安時代にさかのぼる説話も収集されている。事実に基いた物語とされつつも、伝承の過程で語り手によって変化が加えられ、事実と虚構が入り交じった、ノンフィクションともフィクションともつかない物語の数々を、大久保は自らの絵画の制作、そして鑑賞者と作品の関係に重ね合わせる。描かれたモチーフ、今回は馬術の達人とされた橘成季にちなみ馬上の人物であるが、画面はもちろん物理的に変化することはなく、固定されている。しかしそれは観る者それぞれの感覚によって揺らぎ、変容しながら、物語が紡がれ、さらに更新され続けていく。「正しさ」と「わからなさ」、「変わらないこと」と「変わり続けること」こうしたアンビバレンスと両義性のなかにこそ、私たちの生の本質があるのかもしれない。そう思わせてくれるのが大久保の絵画である。
一瞥で人体と認識するには難しい、多分に抽象化された人体の描き方についても考察してみたい。切れ切れの線を想像の力によって構築することを余儀なくされる鑑賞者は、自ら像を結びながら、それがはたして「正しい」のか否かを常に問うことになる。他の可能性がありやしないか。明日はまた別のものに見えてしまうのではないか。この揺らぎこそが大久保の絵画の魅力であり、鑑賞者が「わからなさ」を肯定しながら自分なりの物語を幾重にも紡いでいくことへの期待と信頼につながっている。
このことを裏打ちするように、大久保が新作のテーマとして選んだのが橘成季(たちばなのなりすえ)による『古今著聞集』(ここんちょもんじゅう)である。鎌倉時代に編纂された説話集である『古今著聞集』は、その名の通り伝承によって伝えられた古今の物語で、古くは平安時代にさかのぼる説話も収集されている。事実に基いた物語とされつつも、伝承の過程で語り手によって変化が加えられ、事実と虚構が入り交じった、ノンフィクションともフィクションともつかない物語の数々を、大久保は自らの絵画の制作、そして鑑賞者と作品の関係に重ね合わせる。描かれたモチーフ、今回は馬術の達人とされた橘成季にちなみ馬上の人物であるが、画面はもちろん物理的に変化することはなく、固定されている。しかしそれは観る者それぞれの感覚によって揺らぎ、変容しながら、物語が紡がれ、さらに更新され続けていく。「正しさ」と「わからなさ」、「変わらないこと」と「変わり続けること」こうしたアンビバレンスと両義性のなかにこそ、私たちの生の本質があるのかもしれない。そう思わせてくれるのが大久保の絵画である。
HAZIME