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菅亮平 「なら、ここは聖地ではないか」

gallery G
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アーティスト

菅亮平
gallery Gで は、2024年2月27日(火)より3月10日(日)まで、広島を拠点に活動する美術作家 菅亮平の個展「Then we should call this a sacred place / なら、ここは聖地ではないか」を開催します。

「何もない・空っぽ」を意味する「空虚(ヴォイド)」を主題とした創作に取り組んできた菅は、2013年以降ドイツに滞在し、世界大戦の悲劇や喪失を空白の空間をもって指示する、戦後西洋美術史におけるヴォイドの表象の系譜に関心を寄せてきました。

2020年に広島に移住した菅は、世界で初めて原子爆弾が投下された広島の歴史性を踏まえて、アジアの戦後美術史における世界大戦への応答に関心を向け、2021年には原爆ドームの第5回保存工事で使用された塗料による絵画作品《K 15-30D》の制作を開始するなど、想起の芸術の今日的な可能性を追求しています。

2023年には、広島県立美術館と縮景園連携企画「記憶の庭」において、戦前の縮景園に設立された国内最初期の私立美術館である観古館や、園内の蔵に保管され被爆による焼失を免れた能道具から着想を得た一連の作品を発表し、歴史に対するイマジネーションと慰霊の在り方を幅広い表現メディアを通して問いかけました。
菅は広島県立美術館の展覧会に際して、旧広島藩主浅野家の大名庭園である縮景園に1913年に開館した観古館を、広島の近世と近代の結節点となる文化的エポックとして注目しました。1945年の原子爆弾投下により完全に焼失した観古館ですが、正門の石柱4本は被爆による破壊を免れました。そのうちの2本の石柱は1971年に広島県三次市大田幸町の塩町中学校の正門として移設され、現在も保存されています。これらの石柱は、かつての観古館の存在の痕跡を今に伝える唯一の文化遺産と言えます。

本展は、石柱の精巧な3Dデータに基づく原寸大レプリカを中心に構成され、原子爆弾投下後から三次市に移築された経緯を追跡調査した内容について、関連資料と関係者のインタビュー映像を通して発表します。観古館の門柱の来歴とその保存に係る地域の人々の姿を見つめることで、広島の近世・近代史の伝承の意義について再考を促します。
会期中には、オープニングトークイベント「なら、ここは聖地ではないか」、ラウンジトークイベント『アートにおけるテーマとしての「ヒロシマ」』を開催し、本展で菅が設定した主題とアプローチについて多角的な議論を共有する場を設けます。また、ワークショップ「広島市内の被爆門柱を訪ねて」では、ギャラリー付近の幾つかの被爆門柱をめぐり、広島に残された世界大戦の記憶を参加者とともに見つめ直します。

[関連イベント]
1. オープニングトーク[なら、ここは聖地ではないか]
日時: 2月28日(水)18:00〜 ※予約不要
2. ワークショップ[広島市内の被爆門柱を訪ねて]
日時: 3月2日(土)13:00〜 ※要予約
3. ラウンジトークイベント[アートにおけるテーマとしての「ヒロシマ」]
日時: 3月9日(土)17:00〜 ※予約不要
※それぞれのイベントの詳細はギャラリー・ウェブサイトをご覧ください

スケジュール

2024年2月27日(火)〜2024年3月10日(日)

開館情報

時間
11:0019:00
最終日は17:00まで
休館日
月曜日
入場料無料
展覧会URLhttps://gallery-g.jp/exhibition/kan-kankokan/
会場gallery G
https://gallery-g.jp/
住所〒730-0012 広島県広島市中区上八丁堀4-1
アクセスJR広島駅南口より徒歩15分
電話番号082-211-3260
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