TARO NASU眼前に一つの像が結ばれる。それは実在するモノであると同時に、実体を持たないイメージと呼ばれる存在にもなりうる。万代洋輔の知覚世界において、イメージは外的条件や見るものの主観により常に変化するという諦念にも似た確信を持って立ち現れる。万代は活動の初期から、一貫して何かを何かに置き換えることで現れてくる真実を追求し続けてきた。
富士山の樹海に潜入し、そこに廃棄されているゴミを「彫刻」として積み上げて撮影した写真作品、ファウンドオブジェクトをスキャナーにそのまま置いて「撮影」する、カメラという「眼」の仲介を排除した「写真」作品、絵画の「擬態」たらんと試みる「写真としてのデジタル画像」など、彼の作品世界において、置き換えていくことの可能性は通底する重要な主題なのである。
眼前のモノが表すイメージと、それを眺める自分のなかで感じるものとの違和感やズレ。それこそが作品制作の原動力だと語る万代にとって、イメージと鑑賞者の間に生まれる関係は定着や完成をみることのない、持続的かつ往還的な認知活動である。とすれば彼にとって、絵画や写真は、その変化し続ける共犯関係のきっかけとなった魅力的な残滓なのか、あるいは出来事として外部化されたイメージをたたえるための空の容器なのだろうか。
まだコメントはありません