高松市美術館 フォローする
アーティスト 芥川(間所)沙織、福島秀子、桂ゆき、草間彌生、田中敦子、蜷川実花、やなぎみわ、鴻池朋子、宮永愛子、明石朴景、鴨政雄、北原千鹿 他
・常設展示室1「駆ける女たち―コレクションに見る女性美術家たち」 高松市美術館は、今年2024年に芥川(間所)沙織(1924~1966)が生誕100年を迎えるにあたり、彼女の作品を所蔵する全国の10館の美術館と共に、各会場で自館の芥川作品を展示するプロジェクト「Museum to Museums)」に参加します。 沙織は1942年、東京音楽大学(現・東京藝術大学)声楽部に進み、同窓である作曲家の芥川也寸志(あくたがわやすし)と戦後すぐの48年に結婚します。しかし、のちにインタビューで「私が歌をうたうと主人がコボすので『音のない』絵に転向したんですわ。」と語っているように、音楽を諦め、50年代の初めより油絵を猪熊弦一郎、染色を野口道方に学ぶようになり、絵画にのめり込みます。その主題は、自画像あるいは彼女の女性観ともいうべき「女」シリーズであり、喜怒哀楽の激しい感情を画面に託しました。それら「女」の姿は古事記等の神話を借りてスケールアップし、当館所蔵の《神話・神々のタンジョウ》(1956年)に見られるように自由奔放な想像力と独自の解釈によって充実した作品を生み出していきました。この頃也寸志と離婚し、59年には渡米、そしてアメリカで生活を共にした間所(まどころ)幸雄と再婚し、渡米前の半具象から抽象画に方向転換してこれからという41歳で突然他界してしまいます。 本展は、女性の活躍が珍しかった、沙織と同時代の福島秀子や田中敦子等の作品を展示すると同時に、当館が2016年にリニューアルした後、個展やグループ展等でその活躍を見せてくれた女性美術家たちのバラエティ豊かな展開ぶり、そして高松にゆかりの、洋画家・藤川栄子とニューヨークに活動拠点を置く依田順子の作品も紹介します。沙織はじめ先人の女性美術家を顕彰するとともに、時代と共に駆け抜けていく逞しい女性たちの作品や姿を目の当たりにすることで、世代を越えて私たちの未来をも鼓舞されることでしょう。 ・常設展示室2「工芸界の牽引者たち―明石朴景と鴨政雄を中心に」 高松市美術館の前身・旧高松市立美術館(栗林公園内)が開館したのは1949(昭和24)年でしたが、その初動期より二人の嘱託学芸員が美術館の運営に携わっていました。一人は、戦地から引き揚げ、故郷高松の惨状を文化で復興しようと美術館の開館に尽力した漆芸家の明石朴景(1911~92年)であり、もう一人は、戦後直後の1947(昭和22)年に地元でその明石や音丸耕堂等といった若手、中堅の工芸家たちにより結成された新しい工芸団体「匠人社(しょうじんしゃ)」に参加した金工家の鴨政雄(1906~2000年)です。 鴨は、兄の鴨幸太郎と同じく東京美術学校(現東京藝術大学)金工科に進み、1927(昭和2)年、同郷の工芸界の先駆者・北原千鹿が主宰する「工人社」の結成に、大須賀喬、信田洋、山脇洋二等と共に参加しました。この年は、第8回帝展に第四部「美術工芸」部門が設置され、近代工芸史に新しいページが刻まれた時代であり、鴨はそれまでの伝統的な彫金とは異なる表現を模索し研鑽を積みました。 鴨の5歳年下の明石は、香川県立工芸学校(現香川県立高松工芸高等学校)で漆芸家の磯井如真に学び、1934(昭和9)年に東京美術学校(現東京藝術大学)図案科を卒業し、和歌山県工業試験場漆器部の勤務を経て、高松に戻ります。そして、1947(昭和22)年には後の「うるみ会」の前身となった「工芸七彩会」を加島信夫、窪田良次、真子実也等と結成します。この会は「新しい泉を掘ろうと集まった同人達。(中略)明るい、新しい工芸を創ろう。」をスローガンに掲げ、その精神は49年に改名された「うるみ会」へと引き継がれました。 明石・鴨二人共に、戦前・戦後の工芸界の新風を受け、時には自らが先頭に立ち、工芸界を牽引し続け興隆に貢献してきました。本展では、二人の代表作をはじめ、14作家による作品30点を展示することで、昭和初期に胎動した鮮烈な工芸運動や、戦後約10年に余る香川の意欲盛んな工芸家たちの仕事を紹介いたします。
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