公開日:2024年3月29日

ナン・ゴールディンのドキュメンタリー『美と殺戮のすべて』を観て(評:笠原美智子)

3月29日より全国公開。笠原美智子(石橋財団アーティゾン美術館副館長)によるレビューをお届け。

『美と殺戮のすべて』 © 2022 PARTICIPANT FILM, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

ローラ・ポイトラス監督による、写真家ナン・ゴールディンのドキュメンタリー映画が3月29日より全国公開される。ヴェネツィア国際映画祭最高賞(金獅子賞)受賞、アカデミー賞ノミネートなど、世界で話題を呼んだ本作を、笠原美智子(石橋財団アーティゾン美術館副館長)がレビュー。日本の美術館で初となるジェンダーの視点からの展覧会「私という未知へ向かって 現代女性セルフ・ポートレイト」(東京都写真美術館、1991)を企画し、本展等でナン・ゴールディンを紹介してきた笠原は、この映画をどう見たか?【Tokyo Art Beat】

美しい映画

ナン・ゴールディンのドキュメンタリー、ローラ・ボイトラス監督「美と殺戮のすべて(原題:All the Beauty and the Bloodshed)」を観た。

美しい映画だった。始まった途端に引き込まれ、最後まで一気に観た。一コマ一コマが丁寧に編集されていて、一瞬一シーンたりとも見逃したくない、心地よい緊張感に満ちた見事な映画だった。

美しいのはナン・ゴールディン(以下、ナン)のありようなのだろう。

映画は監督であるローラ・ポイトラスのナンへのインタビューに沿って進む。ポイトラスの問いかけにナンが応え、生い立ちから10代、そしてアーティストとしての歩みを彼女の語りと写真で追っていく。そこに挿入されるのは彼女が近年取り組んでいるオピオイド危機に対するP.A.I.N.(Prescription Addiction Intervention Now/処方箋中毒の介入)の活動である。

『美と殺戮のすべて』 © 2022 PARTICIPANT FILM, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

オピオイドと呼ばれる麻薬性鎮痛薬の依存症や中毒患者が急増した。2016年、アメリカでは毎日、115人が過剰摂取で死んだと報告された。その原因となったのが、米製薬会社パーデュー・ファーマが製造したオキシコンチンである。同社は従来のオキシコドンやヘロインよりも依存性が少ないとことを「売り」にして、医療関係者に強引な売り込みをかけた。依存性の少なさについては、もちろん、科学的に証明されていない。過大広告を打ち、営業には高い報奨金を出し、医師にキックバックする。現場では早い時期から依存症や過剰摂取の危険が指摘されていたがその声は無視され排除された。そうして莫大な利益を手にしたのは、芸術文化の庇護者、フィランソロピストとして名高い大富豪サックラー一族だった。

ナンほど薬物依存の辛さや残酷さ、本人だけではなく友人や家族、社会までが蝕まれていく悲劇を身にしみている人もいないだろう。それは彼女の人生や作品の一部と言っても過言ではない。彼女は2014年にベルリンで手術をした際に鎮痛薬オキシコンチンを処方され、一夜にして依存症となった。生活はオキシコンチンを手に入れるために回り出した。その後「地獄の苦しみ」のリハビリを経て克服するが、その過程で自分を蝕んだこのオピオイドが何万人もの命を奪っている構造を知る。

『美と殺戮のすべて』 © 2022 PARTICIPANT FILM, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

映画はナンが2017年に設立したP.A.I.N.の活動を初期から追っていく。2018年にはサックラー一族の名前を冠した棟を有するメトロポリタン美術館で抗議活動を行った。デンデゥール神殿前の池に「メトロポリタン美術館の主要寄贈者であるサックラーがあなたのために処方しました」とラベルに書かれた空の処方箋ボトルを撒き、ダイイン、犠牲者に擬して床に横たわった。観客が彼女たちに呼応する。P.A.I.N.の活動の成果を知っている現在から見れば、怒れる大集団の抗議活動かと勘違いされるかもしれないが、彼らはたった12人だった。抗議を始めようと告げるナンの静かで低い声は震えているように聞こえた。それは恐ろしいだろう。相手は巨額の寄付を長年続けて世界中の美術館に絶対的権力を誇る一族である。メトロポリタン美術館にはナンの作品も収蔵されている。一介のアーティストなど吹けば飛ぶような存在だろう。P.A.I.N.のメンバーは実際、2019年にニューヨーク州の公聴会に呼ばれた後、抗議集会に参加して逮捕されている。

『美と殺戮のすべて』 © 2022 PARTICIPANT FILM, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

姉バーバラの存在

ナンは仲の良かった姉、1965年に18歳で列車に飛び込んで自殺したバーバラについて語る。閉鎖的なボストン郊外の保守的なユダヤ人家庭で、自由奔放で同性への指向があり反抗的だったバーバラを、両親は向き合おうとはせずに精神疾患と決めつけ施設や病院に放り出した。白人中産階級の女性の理想像から逸脱するバーバラを、そしてナンを理解しようとすらしなかった。その母親も親族から性的虐待を受けていたのだという。ナンは映画の後半、バーバラの診断記録を取り寄せ、自宅で寛ぐ両親の姿を背景に淡々と語っている。病んでいたのは母親だったと。

ナンの作品の骨幹には姉バーバラの存在があった。姉と同様に、両親に反抗したナンは14歳で里子に出され、その後、16歳でフリー・スクール、サトヤ・コミュニティ・スクール(Satya Community School)に通う。対人恐怖症で半年も口をきかなかったという。親に愛されなかった子供は自分に存在価値があると思えなくなる。学校でデヴィッド・アームストロング(写真家)に出会い、写真を撮り始め、少しずつ自分に対しての自信を取り戻していく。

クッキー・ミューラー(俳優)など多くの友人と出会い、彼らとの生活をつぶさに撮った。親密さとそれゆえの葛藤、セックス、ドラッグ、パーティ、暴力。友人のセックスを撮るなら自分のも撮らなければ狡いと思った、と笑うナン・ゴールディンの印象的なシーンがあった。ボストン美術館大学で写真を学び、卒業後の1978年ニューヨークのバワリーに移ってドラァグ・クィーンの友人と同居し、フィルム代を稼ぐためにバーテンダーやダンサー、時にはセックスワーカーをしながら、引き続き自分の生活を写し続けた。

時は1970年代後半から80年代、1969年のストーンウォール反乱後のゲイ・リベレーションの真只中、イアン・デューリーが「セックス、ドラッグ、ロックンロール」と謳った頃である。バワリーではピーター・フジャーがカリスマ的な存在となり、ナンの写真の師、デヴィッド・ヴォイナロビッチが闊歩する。姉を自殺に追いやった、夫と専業主婦という白人中産階級の「幸福な」伝統的家族像に対して、ナンは友人たちとの生活に拡大家族、新たなつながりを創り出していた。

ナンの作品は、音楽をつけたスライドショーのかたちで、最初はナイトクラブで発表し始めた。批判や反発ばかりだったという。1986年、写真集『性的依存のバラード(The Ballad of Sexual Dependency)』が出版される。この本は写真界・美術界に衝撃をもたらした。その頃、シカゴ・コロンビア・カレッジの大学院にいたわたしは、ゼミでも喧々諤々の賛否両論が起こったのを覚えている。いまだ従来の第三者が「客観的」に写すドキュメンタリーを「正しい」とする見地に対して、当事者が日記のように私生活をつぶさに、それも女性が奔放な性を自ら表しているのである。女性を写される側に留めて権力を行使したい保守的な男性たちが嫌悪したのも無理はない。

ナン・ゴールディンの写真家としてのその後の活躍は知っての通りである。写真集を出版した翌年の1987年にはアルル国際写真フェスティバルに招聘され、1996年にはホイットニー美術館で、2002年にはポンピドゥー・センターで個展が、その他、世界中で展覧会やスライドショーが開催され、2006年にはハッセルブラッド賞が授与された。去年(2023年)、『アートレビュー』誌の「パワー100」ではアート界でもっとも影響力のある人物に選出されている。

『美と殺戮のすべて』 © 2022 PARTICIPANT FILM, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

エイズ危機からオピオイド危機へ

しかし平坦な道のりではなかった。作品が評価されればされるほど、ナンの存在や作品が伝統的家族像を重んじる保守的な価値観の人々にとって脅威と受け止められた。いっぽう、ナンはアルコールや薬物中毒に苦しめられてきた。『性的依存のバラード』で生き生きと呼吸していた多くの友人は、時にドラッグの過剰摂取で、時にアルコール中毒が引き起こした病気で、そして多くは人災とも言えるエイズによって次々に斃(たお)れていった。親友のクッキーは1989年、エイズが引き起こした肺炎により40歳でこの世を去った。ピーター・フジャーもデヴィッド・ヴォイナロビッチも多くの才能あるアーティストが若くして命を落とした。アメリカではレーガンが、イギリスではサッチャーが政権を取った1980年代、「行き過ぎた自由」に対するバックラッシュの時代でもあった。当初、レーガン政権はエイズになんの施策も施さなかった。ゲイや麻薬中毒者がかかる特殊な癌としてあからさまな差別を堂々と表明していたのである。

1989年、ナンが企画・構成したエイズがテーマの展覧会は「健全な芸術」ではないとして、国立芸術基金からの助成を撤回された。反面、ゲイ・コミュニティはお互いに助け合い、ナンも参加した「エイズとともに生きる人々」アクト・アップなど啓蒙・抗議活動が展開された。それが後年、P.A.I.N.の活動に生かされたとナンは述懐している。

言葉さえ失っていた少女が、仲間と協力して、司法をも動かす巨大権力に立ちはだかり、尾行や嫌がらせの妨害をものともせず、メトロポリタン美術館やルーブル美術館、グッゲンハイム美術館などからサックラーの名前を消し、破産してまで責任を回避しようとした製薬会社やサックラーの責任を詳らかにして、中毒治療やリハビリ、薬物依存への偏見や差別を軽減するための教育へサックラーが資金提供するよう世論と政治を動かして、大きな成果をあげたのである。

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美と痛みのドキュメンタリー

この映画が美しいのは、自立と依存の狭間で苦しみながら、友人たちとともに生き抜いているナンの半生を、彼女の写真と語りと活動をとおして、美化された記憶ではなく、まさに彼女の写真のように、淡々とありのままに描いたことだ。両親の現在の姿もそこに写されている。彼らは変わらないし変わる気もない。そうした両親にナンは辛辣だけれども、そしてたぶん決して許すことはできないだろうけれども、「両親」であることは受け入れている。ナンは歳をとるごとに思慮深く大胆で、静かで、そして美しくなっている。この映画は現実をありのままに見据える写真で時代を切り拓いてきた、ナン・ゴールディンの美と痛みのドキュメンタリーである。また、現代美術がいかなる力を持っているか、実証してくれている。

蛇足だけれど、帯状疱疹後神経痛の激痛に常時、苦しめられている身としては、いま、この痛みから解放してくれるのであれば、中毒性があろうとなかろうと、わたしは即座に薬を飲むだろう。痛みで苦しんでいる人をより痛めて巨額な富を得る人々、恥を知れ。痛いの。

『美と殺戮のすべて』

3月29日(金)より新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町、グランドシネマサンシャイン池袋ほかにて全国公開

監督・製作:ローラ・ポイトラス
出演・写真&スライドショー・製作:ナン・ゴールディン
2022年/アメリカ/英語/121分/16:9/5.1ch/字幕翻訳:北村広子
原題:ALL THE BEAUTY AND THE BLOODSHED/R15+/配給:クロックワークス
公式サイトURL:https://klockworx-v. com/atbatb/ 

笠原美智子

笠原美智子

かさはら・みちこ 石橋財団アーティゾン美術館 副館長。1983年明治学院大学社会学部社会学科卒業。1987年シカゴ・コロンビア大学修士課程修了(写真専攻)。東京都写真美術館学芸員(1989〜2006)、東京都現代美術館学芸員(2002〜06) を東京都写真美術館事業企画課長(2006〜18)を経て2018年より現職。主な著作に『ジェンダー写真論 増補版』(里山社、2022)、『写真、時代に抗するもの』(青弓社、2002)、『ヌードのポリティクス 女性写真家の仕事』(1998、筑摩書房)ほか。主な展覧会として、「わたしという未知へ向かって 現代女性セルフ・ポートレイト」展 (1991) 、「ジェンダー 記憶の淵から」展(1996)、「ラヴズ・ボディ ヌード写真の近現代」展(1998)、「ラヴズ・ボディ 生と性を巡る表現」展(2010)、「日本の新進作家vol. 11この世界とわたしのどこか」展(2012)、「ダヤニータ・シン インドの大きな家の美術館」展(2017)、「愛について アジアン・コンテンポラリー」展(2018)、ほか。第51回ヴェネチア・ビエンナーレ美術展日本館コミッショナーとして「石内都:マザーズ 2000〜2005 未来の刻印」展(2005)を開催。