公開日:2024年2月16日

「男になれない」男とユダヤ的ユーモア。映画『ボーはおそれている』レビュー(評:藤田直哉)

『へレディタリー/継承』(2018)、『ミッドサマー』(2019)のアリ・アスター監督最新作『ボーはおそれている』が2月16日から全国公開。評論家の藤田直哉によるレビューをお届け

『ボーはおそれている』 © 2023 Mommy Knows Best LLC, UAAP LLC and IPR.VC Fund II KY. All Rights Reserved.

*このレビューでは、映画の結末まで記述しているので、ネタバレを気にする読者の方は、映画の鑑賞後にお読みになられることをオススメします。

強い父が不在のエディプス・コンプレックス

フロイトの精神分析的な主体化の構図が現在では変わってしまっていることを寓意的に描く神経症コメディであり、おそらくはユダヤ民族の歴史と深く関わる寓話であろう。

フロイトの図式では、男の子は母を独占する父と対決し、象徴的に殺すことで一人前の大人として主体化する、とされてきた。その過程で、男の子は、父からの近親相姦の禁止を内面化し、法や倫理の命令の源泉として個人の中に「超自我」が形成されるとした。そこには、母親との近親相姦の欲望と、それへの懲罰としての去勢という脅迫が関わっている。これらが複合した葛藤を「エディプス・コンプレックス」と呼ぶが、本作は、まさにそのようなコンプレックスを映像化したような作品である。ただし、もはや強い父はおらず、強大な母がおり、息子も反抗や対立もしない(現代人も、そうなってきているように)。

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これまでのアリ・アスター監督の作品も「家族・家族的共同体の両義性」のおぞましさ、とくに母的なものを中心に描いていた。『ヘレディタリー/継承』ではまさに二世代の母の問題が描かれていたし、『ミッド・サマー』では、母的なるものでイメージされがちな自然と人々が調和した共同体が、再生産=出産と人口の調整のためにどれほどおぞましいことをしているのかを扱っていた。その延長線上に、本作もある。

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映画は4つのパートに分かれている。第一幕(と仮に呼ぶ)では、孤独に暮らす男の住まいに、色々な「他者」が入り込んでしまう。それは、まるで移民などに対する恐怖や脅威の感覚の寓話であるかのようである。

第二幕では、戦争で息子を失った裕福な夫妻が、ボーを息子の代理にしようとする。しかし、その陰で無視されている実の娘は精神を病んでおり、自殺を試みすらする。

第三幕では、コミューンのような共同体が描かれる。そこに「森の孤児たち」と呼ばれる劇団があり、洪水でバラバラになった家族が再会しようとする劇を演じる。ボーはそれに深く感情移入し、劇と現実の区別も曖昧になっていく。

そして第四幕では、母のいる実家に帰り、母と対決することになる。これらは、それぞれに、家族や共同体の問題に、別の角度から光を当てたものであろう。

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全体の物語は、父親の命日に母親にいる実家に帰ろうとするが、帰れない。その後、母が亡くなり、ボーが来るまで埋葬できないと知らされるが、なかなか帰れず、焦燥の中で帰宅は遅延させられる。「母」や「故郷」を喪失し、そこに辿り着けない、という物語として全体は展開する。

「こんなことが起こったら嫌だ」ということがまさに現実化し続け、しかもエスカレートしていく神経症コメディは、第四幕に至って、「家族・共同体、母」の問題と激しく重なり合う。

父親は射精によるエクスタシーを感じると死んでしまう病を抱えており、ボーもそう思い込んでいたので、これまで童貞であった。しかし、それは母のついた嘘かもしれない。ボーは、勇気を出し、その呪縛を断ち切り、初めての性交に及び、死ななかった自分を発見する。──だが、代わりに相手が死んでしまう。

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「起こったら嫌だ」という不安神経症を克服し、勇気を持って不確定な未来に飛び込む「一人前の男」になったかと思いきや、悪いことが立て続けに起こり、一人前の男=大人=主体として自立することができない。そのセックスすら母親が監視し、誘導していたことも判明してしまう。それどころではない。カウンセラーに話した母への葛藤も全部筒抜けになっていたのだ。

ネットの弱者男性論界隈では、母親が過干渉で過剰に介入するがゆえに、男の子は自発性や自主性を失い、自身の意志や欲望もなくして弱者男性になるという議論がある。その真偽のほどは知らないが、内向的で孤独なボーと母親の関係は、確かにそのように見える。母親はとても成功した経営者でもあり、息子は不能であり、父の影は薄い。

経営者として、経済的に成功し、リーダーとして権力を持ち采配も振るい、知名度も名声もあるという母親像は、社会で成功しようとする「強い」女性のひとつの類型だろう。だが、父に代わって君臨する母は、また別の抑圧と暴力を自身の子供(あるいは次世代に)発揮してしまうことにならないか、という問いかけが本作にはあるだろう。

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ボーは、母親に殺意を持っている。自由になるために、母親を(象徴的に)殺さなくてはならないと感じているが、それには強い罪悪感が伴う。父と息子をモデルにしたエディプスコンプレックスに対して、母と息子との対立と葛藤による主体化の劇が本作なのだ。

出産から始まり、子宮を思わせる水の中に、かつては父や神がその位置にいた超自我(審判者)の機能すら果たす母によって沈められる本作は、強大すぎる母親とその監視によって、自我が如何に殺されるかのドラマ、主体化が如何に不可能にされているか、というドラマだと読み取ることができるだろう。

それは、西側的な価値観を持つ社会において、男性性や父性が力や権威を失い、女性性や母性が力を持った社会において、エディプスコンプレックスモデルがもはや機能しなくなり、別のモデルが必要であることをあけすけに提示していると言えるだろう。

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ユダヤ人の『ロード・オブ・ザ・リング』

「父」は、「禁止」を命じることで、超自我の源泉になり、その延長に法律や国家や権力や神などが重なってくるとされてきた。というか、父をモデルに、人は「神」をイメージしてきたと言っていい。とくに、ユダヤ教における旧約聖書の神は、人間が約束を破るとすぐに苛烈な懲罰を与えるような「禁止」「法」「処罰」の側面が強い存在であった。

それに対し、本作は、その「神」の位置に、父ではなく母を据えている。インタビュー「A Nice Jewish Boy: Ari Aster on Beau Is Afraid and godlike moms」で、アリは「母親が神の位置を置き換えてしまうことは、とてもユダヤ的なアイデアだ(There’s something very Jewish about the idea of the mother replacing God)」と述べている(*1)。だから、本作は、「超自我=神」の位置に、母親が来るという、エディプス・コンプレックスのモデルの変化を描きながら、同時にユダヤ的な何かを語ろうとしているのだと考えることができる。

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アリ・アスターはユダヤ系の家系に生まれたユダヤ人であり、彼のこれまでの作品もユダヤ性と結びつけて語られてきた。本作についても、監督自身が。「これは壮大で巨大な作品」「これはユダヤ人の『ロード・オブ・ザ・リング』みたいなものなんだ。」(*2)と言っている。

これはどういうことなのだろうか。ライムスター宇多丸が、トークショーでこのように言っていることがヒントになるかもしれない。「劇中で描かれる家族の離散の描写についても『それこそユダヤ的。パレスチナ問題のベースにもあるユダヤという民族がずっと負っている恒常的な“恐怖”──常に居場所がなくて、『怖い』と感じる部分が描かれている』とユダヤ民族の歴史を重ね合わせ」て語ったという(*3)。

家族の離散と、再びの集合を願う主人公の旅を、ユダヤ民族のそれと重ねて観るという読解の方法は、ありえるだろう。しかし、そうすると、全体の寓意はどのようになるだろうか。

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悲惨な時代の「ユーモア」

ユダヤ的、と監督が自作を呼んでいることを、もう少し考えてみたい。『Sight and Sound』のベン・ウォルターズは、本作が『ヨブ記』を思い出させると書いている。佐川和茂によると、ユダヤ人たちのユーモアの中には、延々と受難が続く不幸な人間を扱ったものがあるという。そのひとつがシュレミールという人物を描いたものであり、彼は不幸から逃れようと色々と試みるが延々と失敗する。それは、「神に選ばれた」民だとされながらも、現実には迫害され、社会的地位の低さゆえに多くの失敗と挫折を強いられてきた民族が、理想と現実のギャップを埋め、現実の境遇に耐えるために必要とされてきたユーモアなのだと言う。

そうだとすると、本作は、理不尽な神による受難を受け続ける者を描くという「ユダヤ的ユーモア」の系譜の上にある作品だと思われる。ユーモアとは、それに距離を置き、客体化させることで、人を生きるように励ます機能をも持つものである。神経症的な不安と恐怖に駆られ、母親から監視され罪悪感に駆られているこのホラーも、それを極端化させ笑いを引き起こすことでそこから人を救う機能があるのかもしれない。

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父性や男性性が没落し、母性や女性性が力を持っていく時代における弱者男性的な存在の、主体化できなさ、負け犬っぷりを、ユダヤ的な人物であるシュレミールと重ねて描く事に、どのような狙いがあるのだろうか。現実に、パレスチナとイスラエルが大変なことになっているこの状況で不用意な解釈を行うことは控えざるを得ないだろう。しかし、これほどまでに全世界的に競争が過酷化し、世界一豊かな国であるはずのアメリカで格差が拡大し絶望のあまり「絶望死」などが蔓延し、「負け犬」や相対的剥奪感を抱えている者がネットで見た陰謀論にハマったり過激化して事件を起こしたり極右政党などに投票して世界をひっくり返す「ワンチャン」を狙っているような状況を見ていると、惨めさや敗北、「男になれなさ」を徹底的に描きながらそれをユーモアとして受け止める心理的な技法を世の中に提示しようとした本作の狙いを、解釈せずにいるのも難しい。それは、ちょっとした没落や衰退の危機などで吹きあがって「グレートアゲイン」と言ったりしてしまう人々に対して、故国の喪失と迫害という苦難を長く経験してきたユダヤ民族の視点からそれを見たらどうなのかを想像させ、相対化させる機能もあるのだろう。そして、インタビューや対談などで監督が、描かれているのは、ボーの視点からのものであり、主観性が強く被害妄想的なものかもしれないと示唆していることにも注意を払うべきだろう。

なにはともあれ、悲惨さや苦難を受け止め、ともに乗り越えるためにこそ、ユーモアはある。本作がそう受け取られることを願う。本作が、不安神経症やパラノイアや被害妄想の時代を吹き飛ばすほどの笑いを生むことはないかもしれないが、静かにそれを噛み締めて耐えられる程度の効果はあるかもしれない。

*1──「A Nice Jewish Boy: Ari Aster on Beau Is Afraid and godlike moms」https://letterboxd.com/journal/beau-is-afraid-ari-aster-interview/
*2──「アリ・アスターが新作の新映像で語る『負け犬の気分を味わわせてあげたい』」https://natalie.mu/eiga/news/518714
*3──「レポート『ボーはおそれている』「トークイベントにライムスター宇多丸&大島依提亜が登壇!『こういう映画は絶対に必要』」https://www.anemo.co.jp/movienews/report/beau_07-20240201/


【座談会】アリ・アスター監督×大島依提亜×ヒグチユウコ

『ボーはおそれている』
監督・脚本:アリ・アスター
出演:ホアキン・フェニックス、ネイサン・レイン、エイミー・ライアン、パーカー・ポージー、パティ・ルポーン
配給:ハピネットファントム・スタジオ 原題:BEAU IS AFRAID
R15+|2023年|アメリカ映画|上映時間:179分
©︎ 2023 Mommy Knows Best LLC, UAAP LLC and IPR.VC Fund II KY. All Rights Reserved.
公式HP: https://happinet-phantom.com/beau/

藤田直哉

藤田直哉

ふじた・なおや 批評家。日本映画大学准教授。1983年北海道生まれ。東京工業大学社会理工学研究科価値システム専攻修了。博士(学術)。著書に『虚構内存在』『シン・ゴジラ論』『攻殻機動隊論』『新海誠論』(以上、作品社)、『新世紀ゾンビ論』(筑摩書房)、『娯楽としての炎上』(南雲堂)、『シン・エヴァンゲリオン論』(河出新書)、『ゲームが教える世界の論点』(集英社)、『百田尚樹をぜんぶ読む』(杉田俊介との共著、集英社新書)ほか。