公開日:2026年5月14日

バンコクに生まれた新たなアート・デスティネーション。タイ初の国際現代美術館「Dib Bangkok(ディブ・バンコク)」開館レポート

タイ・バンコクに新しい美術館「Dib Bangkok(ディブ・バンコク)」が2025年12月に開館し、想定の3倍もの来場者が訪れる新たなアートスポットとなっている。館長兼アーティスティック・ディレクターの手塚美和子、キュレーターのアリアナ・チャイヴァラノンへのインタビューもふくめ、展覧会「(In)visible Presence / ล่องไม่เห็น」とタイ初の国際現代美術館としての全貌をレポートする

ディブ・バンコク(Dib Bangkok)のコートヤード

想定の3倍の来場者が訪れる、バンコクの新たなアートスポット

バンコク、スクンヴィット通り40番地。1980年代の倉庫を改装した巨大な建物が、東南アジアの新たな現代アートの拠点として注目されている。2025年12月21日に開館したDib Bangkok(ディブ・バンコク)は、タイを代表するアートコレクターの故ペッチ・オサタヌグラの30年来の夢が、その息子チャン(プラット・オサタヌグラ)の手によって実現した美術館だ。

スボート・グプタ《Incubate》(2010)。ステンレスの食器や日用品に覆われた卵型のオブジェが積み重なり、シャンデリアの光を浴びる

オープニング展覧会「(In)visible Presence / ล่องไม่เห็น」では、モンティエン・ブンマー、ジェームズ・タレル、アンゼルム・キーファー、杉本博司、アリシア・クワデほか40名の現代アーティストによる81点が展示されている。テーマは「見えない存在」。視覚だけでなく身体感覚や精神性に働きかける、大規模インスタレーションが多数を占める展覧会となっている。

キュレーター・アリアナ・チャイヴァラノンが語る「なぜタイ、なぜいま」

今回のキュレーションはどのように進んでいったのか、キュレーターに話を聞いた。

作品のキャプションを見なければ、どれがタイ人アーティストの作品かわからないってお客さんに言われたんです。それが本当に嬉しかった

ハーバード・アート・ミュージアム、ワシントンD.C.のナショナル・ギャラリー・オブ・アート、北京のUCCAなどで経験を積んだキュレーターのアリアナ・チャイヴァラノンは、そう語る。「タイのアーティストが国際的なレベルで制作しているということを、知らなかったとおっしゃる来場者が多い。そのこと自体が、この美術館がすでに成し遂げている成果だと思っています

「(In)visible Presence」展示風景

この言葉の重みは、このオープニング展がどれほど小さなチームで実現されたかを知ると実感できる。チャイヴァラノンのキュレトリアルチームは彼女を含めてアシスタントキュレーターと、キュレーターフェローというわずか3人の布陣だ。

私が合流したのは2年前」というタイミングも、この展覧会のスケールを感じたあとに聞くと、にわかには信じがたい。開館から3ヶ月が経った頃、チームは全員でこう言い合ったという。「"We made it. We're alive." やり遂げた、生き延びた、って(笑)」。前例のないことに挑んでいると分かっていたから、課題にぶつかるたびに学び、乗り越えていけた、と振り返る。

来場者の中には展示室で涙を流す人も少なくないという。「作品には、とても人間的な物語がある。戦争、愛する人の喪失、変わりゆく故郷と街。そのことが人々に届いて、感情でつながるとき、アートが持つ力を実感します」とチャイヴァラノンは言う。

モンティエン・ブンマーの《Prayer of Abihsot》の前で話すチャイヴァラノン

モンティエン・ブンマーは1970年代にパリとローマで学び、アルテ・ポーヴェラの潮流を吸収しつつ、ジョン・ケージの音楽とも出会った。ケージ自身が禅仏教から影響を受けていたことを考えれば、その交流は一方通行ではない。「ロバート・ラウシェンバーグも1983年にタイを訪れ、シルパコーン大学を訪問した際、自分に影響を与えたと感じる作品を目の当たりにした。対話はずっと続いていた。ただ、それが正しく語られてこなかっただけです」。チャイヴァラノンにとって、ディブ・バンコクの使命のひとつはその「語られてこなかった歴史」を文脈ごと可視化することだ。「研究者も、キュレーターも、どうやってその会話を変えていくか。数十年前から続いてきた対話を、正しく認識させる語り方をどう作るか」と彼女は言う。

ディレクター・手塚美和子が語る「なぜバンコクへ」

このタイの新たなアートスポットとなった美術館は、日本人が館長を務める。開館に至る流れを聞いた。

彼が亡くなる直前に、一度来なさいって言われたんです。もう75%以上できているから、と

館長兼アーティスティック・ディレクターの手塚美和子は、創設者ペッチとの最後のやりとりをこう振り返る。

ペッチとの出会いは、2012年に遡る。アジア・ソサエティ・ミュージアムのキュレーターとして香港センターのグランドオープニング展を手がけていた手塚は、アジアの古典美術と現代アーティストをつなぐ展示を構想していた。「必ず1人は東南アジアのアーティストを入れよう」、そう決めたとき、真っ先に頭に浮かんだのがタイ出身のアーティスト、モンティエン・ブンマーだった。彼の作品の所蔵先を探すうちに、ペッチ・オサタヌグラという個人コレクターの存在に行き着いた。

モンティエン・ブンマー Lotus Sound 1992/1999–2000

最初は何者なのか全然わからなかったんです。タイの方はラストネームが長いので、"ミスター・O"として紹介されて」。なかなか返事の来ないままメールを送り続け、ようやく連絡がつくと、ペッチは大喜びでブンマーの大作《Lotus Sound》の貸し出しを承諾した。香港の展示会場での作品設置が、二人が初めて顔を合わせた場だった。

そこからの縁は、ゆるやかに長く続いた。アートフェアの場でばったり顔を合わせたり、日本のアーティストの話が出るとテキストが届いたりした。その間ずっと、ペッチは「バンコクに自分の美術館を建てる」と言い続けていた。そして建設の進捗報告が届くたびに、担当する建築家の名前が変わっていった。

開放感あふれるコートヤードは3000㎡にもなる

最初はコンセプチュアルなフランス人建築家、次はタイのローカル事務所——紆余曲折を経て、ある時「SANAAでほとんどデザインが完成する」という知らせが届いた。妹島和世と西沢立衛による日本人ユニットの名前に、「そこまで進んでいるんだ」と驚いた。しかし結局、クラパット・ヤントラサースト(WHY Architecture主宰)に落ち着くまで、建築家は7組を数えた。「タイ出身で国際的に活躍している建築家が、タイ初のこのスケールの美術館を手がけるというのは非常に重要なことだし、ある意味で良いところに収まったと思う」と手塚は言う。

正式に館長職の声がかかったのは、ペッチが亡くなる直前のことだった。

彼と彼のご家族と、ペッチと親交のあるアーティストと集まって、どうしようかな、と真剣に考え始めたところで、いきなり亡くなってしまったんです

2023年、ペッチは美術館のオープンを見ることなく逝去する。30年来の夢がかたちになる直前のことだった。

彼の息子のチャンが後を継いでやるなら、実現するような気がするな、と思って

正式な返事をしたのは、チャンに再度声をかけてもらった後だった。「不思議な、不思議な縁で引き受けました」と手塚は語る。ニューヨーク生活に幕を引き、拠点をバンコクへ移した。

夜の中庭に立つ手塚美和子。背後にはアリシア・クワデの石球が浮かぶ

ペッチがかつて手塚に語っていた言葉がある。「スロー・ミュージアムでいたい。ツーリストをぎゅうぎゅうに押し込むかたちのスペースにはしたくない、みんながゆっくりメディテーションできるような場にしたい」と。予約制・入場者数制限というディブ・バンコクの運営方針は、この言葉から来ている。それでも、オープン後2ヶ月は想定の3倍もの来場者が訪れ、チームを驚かせた。「本当に嬉しい悲鳴でした」と手塚は笑う。

3フロアで体験する「見えない存在」

展覧会「(In)visible Presence」の全貌を見ていこう。3層にわたる構成は、建物そのものと呼応し、「見えない存在」はフロアによって異なる顔を見せる。

マルコ・フジナート Constellations 2015-2025

美術館入口のボロボロになっている壁は、マルコ・フジナート《Constellations》(2015–25)。バットを壁に振り降ろすと、120デシベルもの大爆音が響き渡る、ぜひ体験したい作品のひとつ。バットを持つ来場者はもちろん、美術館建築そのものまでが揺さぶられる。

イ・ブル Willing To Be Vulnerable - Metalized Balloon V3 2015/2019

イ・ブルの大型彫刻インスタレーションが1Fのギャラリースペースで出迎える。銀色の巨大な飛行船状の立体が1Fのロングスパン・ギャラリーの天井から吊られ、モザイクタイルの床に映り込む。

ヒュー・ヘイデン Untitled Threshold (After Victor Horta After Charleston) 2019

ヒュー・ヘイデンの金属探知機を模した作品は、来場者がくぐり抜けると、ビープ音が鳴り、カウントが進む。音とデジタルカウンターのほかになにかが起きるわけでもなく、拍子抜けするが、「安全とは何か」という問いが突きつけられる。

スラシー・クソンウォン Emotional Machine (VW), 2000-2001/2002/ (Permanently Damaged) 2025

緑のカーペットの上に逆さに置かれたフォルクスワーゲンが吊られている。来場者は中に入り、横たわって本を読む、スラシー・クソンウォンの参加型作品。壁際にはスナックやドリンクの自動販売機が設置され、美術館とは思えないリラックスした空間が広がる。

階段を上がって向かう2Fは、一転して静謐な作品が並ぶ。

スンブン・ホムティエントン The Unheard Voice 1995

タイのアーティスト、スンブン・ホムティエントンの《The Unheard Voice》(1995)は、朽ちた柱がいくつも安置されているインスタレーションだ。タイ北部のメー・サリアンの骨董品店でアーティストが手に入れた寺院の柱群が、吹き抜けの空間に置かれている。親しい友人の亡骸を静かに見守っているかのような空気が漂う。

スラット・オサタヌグラ Dream Cage “Vanishing Bangkok” series 1999

2Fの常設展示の一角には、ディブ・バンコク創設者ペッチ・オサタヌグラの父であり、ファウンディング・チェアマンであるチャン(プラット・オサタヌグラ)の祖父でもあるスラット・オサタヌグラの写真作品も展示されている。世代を超えて受け継がれてきたアートへのまなざしが、ディブ・バンコクの背景に静かに息づいていることを感じさせる。

荒木経惟 Future 2015.11.14 - 2040.5.25

荒木経惟によるポジの写真がライトボックスに置かれたインスタレーションが、暗いフロアで目を引く。作家の野坂昭如や、大駱駝艦の麿赤兒の姿も見つけられる。

ルイーズ・ブルジョワ Untitled 2005

このほか、タイを代表するアーティスト・映画監督でもあるアピチャッポン・ウィーラセタクンの映像《Morakot (Emerald)》(2007)や、レベッカ・ホルンの《The Lover’s Bed 》(1990)、ルイーズ・ブルジョワの立体やドローイングが並ぶ構成になっている。

アンゼルム・キーファー Der verlorene Buchstabe 2019

最上階の3Fではアンゼルム・キーファーが巨大な作品で印象づける。《Der verlorene Buchstabe》(2019)は、鉄、木材、鉛、写真、樹脂製ひまわりからなる、タイ初展示となる大型インスタレーション。タイトルは失われた手紙を意味し、ユダヤ教の聖典に由来する。

そしてこのオープニング展を締めるのが、モンティエン・ブンマーの回顧的な特集展示だ。先述の《Lotus Sound》は今回500個の鐘が初めて完全なかたちで展示された。

モンティエン・ブンマー Zodiac Houses 1998–1999

生前最後の大作《Zodiac Houses》(1998–99)では、鉄骨の構造物群が3Fのホワイトキューブに林立する。下から覗くと、上部に空いた穴から星空のような天球が見える、立ったまま瞑想できるような作品だ。

ここまでが今回のオープニング展だが、開放感ある美術館の屋外には半常設・または恒久設置となる作品が並ぶ。

ジェームズ・タレル《Straight Up》(2025)。タイ初制作となるスカイスペース。円形の開口部から空を見上げ、光の変容を体験する

ジェームズ・タレル《Straight Up》は、タレルのタイ初制作となるスカイスペースだ。円形の開口部から空を見上げ、光の変容を体験する。バンコクの中心部ではあるが、夜は星空もくっきりと見える。

ディブ・バンコクのテラス

テラスに置かれたピナリー・サンピタック《Breast Stupa Topiary》(2013)はステンレス製彫刻群として、女性の身体と仏塔を思わせる立体作品だ。そのほか、まるで惑星のようなアリシア・クワデの《Pars pro Toto》(2020)がコートヤードに鎮座するほか、背後のショウ・シブヤによる《MEMORY》(2025)は、85mの壁面で屋外空間を彩っている。

バンコクは新たな現代アート都市になるか

バンコクはここ数年、現代アートの文脈で急速に注目を集めている都市だ。コレクターの国際化が進む中、公立・私立を問わず美術館インフラの整備は長年の課題だった。ディブ・バンコクの開館は、その空白を埋める重要な一手となっている。

ローカルな文脈にアクセスするためには、言語的な近さが重要になる。キュレトリアルチームにはタイ現代美術を専門とするキュレーターを置き、国際的な文脈とローカルな文脈を同時に扱える体制を整えた。「地域に根ざしながら国際的に活躍できる人材を育てること、それもこの美術館の役割です」だとチャイヴァラノンは言う。

現在の美術館の来場者はタイ人と外国人がほぼ半々。そのバランスは「バンコクが持つ国際性そのもの」。

アートを経験として体験できる場所。展示物を眺めるのではなく、作品と出会う場所。ディブ・バンコクはそういう美術館でありたいと思っています

「(In)visible Presence」展示室内で作品解説するアリアナ・チャイヴァラノン

ディブ・バンコク以外にも複数のタイ財閥によるアートプロジェクトも水面下で進んでいる。バンコク・クンストハーレが仕掛ける、2025年2月にスタートした山岳地帯での「カオ・ヤイ・アートフォレスト」も世界のアートファンに人気のデスティネーションだ。また、「Tokyo Gendai」にも出展していたバンコク市内のSACギャラリーは、オーナーによるチェンマイでの個人美術館開設の構想があるほか、コマーシャルギャラリーとしての活動はひと区切りをつけ、レジデンスや修復事業を続けていくという。そのほかバンコク・シティシティギャラリー(Bangkok Citycity Gallery)も財団化を進めているなど、アートシーンの成熟化が顕著だ。

取材のタイミングで、バンコク・クンストハーレでは、カオ・ヤイ・アートフォレストのためのガラ・ディナーが開催されていた

さらにこの秋、バンコクのアートシーンにもうひとつの大きな波が来る。Bangkok Art Biennale(バンコク・アート・ビエンナーレ)2026が、10月29日から2027年2月28日にかけて開催される。その4人のキュレーターのひとりに、ディブ・バンコクの建築を手がけたクラパット・ヤントラサーストの名がある。館長の手塚も「ビエンナーレのタイミングに合わせて、コラテラル・プロジェクトを進めていこうとしています」と話していた。

この困難な時代にミュージアムを運営する意義を「ディプロマシーや言語だけで解決できないことに、アートの必要性がある」と語る手塚。アジア・ソサエティ時代にポットラックパーティーをし、コミュニティ形成していた経験も活かされていきそうだ。

タイ国内のアーティストを国際的なコンテクストで位置づけると同時に、東南アジアを越えた観客に向けて扉を開くという二重の使命を担う美術館、ディブ・バンコク。杉本博司や荒木経惟以外にも多数の日本人アーティストのコレクションを所蔵しており、日本のアートファンからの期待も高まる。東南アジアの新たなアート・デスティネーションのひとつとしてももちろん、今後のタイのアートシーンを占ううえでも欠かせないスポットから目が離せない。

展覧会タイトル:「(In)visible Presence / ล่องไม่เห็น」
会期:2025年12月21日〜2026年8月3日
開館時間:木〜月 10:00〜19:00(火・水曜休館)
入場料:タイ国籍 550バーツ/外国人 700バーツ(事前予約制)
住所:111 Soi Sukhumvit 40, Phra Khanong, Khlong Toei, Bangkok 10110
ウェブサイト:https://www.dibbangkok.org

Xin Tahara

株式会社アートビート 取締役

Xin Tahara

株式会社アートビート 取締役

Tokyo Art Beat Executive / Brand Director。 アートフェアの事務局やギャラリースタッフなどを経て、2009年からTokyo Art Beatに参画。2020年から株式会社アートビート取締役。植物育成が趣味。

Tokyo Art Beat Mail Magazine

アートの最新情報を、毎週お届けします。
登録は無料です。