公開日:2023年3月3日

映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』レビュー。マルチバースSFでありクィア・ムービーでもある本作が見せる“優しさ”とは(評:王谷晶)

3月3日より全国公開となる映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』。ミシェル・ヨー主演、本年度アカデミー賞最多ノミネートを誇るスタジオA24史上最大のヒット作を、小説家の王谷晶がレビュー。

『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』 © 2022 A24 Distribution, LLC. All Rights Reserved.

気鋭のスタジオA24が贈る、マルチバースSF×カンフーアクションの超話題作『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』。ミシェル・ヨーとキー・ホイ・クァンが第80回ゴールデングローブ賞で主演女優賞と助演男優賞をそれぞれ受賞し、本年度アカデミー賞では10部門11ノミネートと躍進が続く。

本作がすでに世界中で熱狂的に愛されているのは、ポップでサイケデリックなヴィジュアル・インパクトとマルチバース設定、ド派手なアクションといった面白さだけでなく、現代を生きるマイノリティの物語として、多くの人の心を掴んだことも大きいだろう。アジア人・中年・女性・移民といった、アメリカの大規模映画ではこれまで主役になりえなかった人物を主人公に定め、その人生を深みをもって描き出した。娘がクィアであることも含め、映画における様々なマイノリティ表象をアップデートするものでもある。

今回はシスターフッド・バイオレンスアクション小説『ババヤガの夜』をはじめ、女性やクィアたちの物語を多数発表してきた小説家・王谷晶に、本作をレビューしてもらった。【Tokyo Art Beat】


『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』 © 2022 A24 Distribution, LLC. All Rights Reserved.

「A24」のインディー魂

俳優でもなく監督でもなく、製作スタジオの名前でまず注目されるような映画界のムーヴメントは、かなり久しぶりじゃないだろうか? A24のことである。

Wikipediaで調べると、A24は2012年に設立されたアメリカのインディペンデント系エンターテインメント企業で、ニューヨークを拠点に映画やテレビ番組の製作、出資、配給をしているとある。まだ設立して10年かそこらのピカピカの新人スタジオだ。しかし現在の主だった賞レース、そして映画ファンの話題をさらっている台風の目は間違いなくここだ。日本の映画オタクの間でもまず「A24が製作・配給している」というだけで、期待値を上げたり興味を持ったりする人が多い。その期待も、ただ面白い映画というだけでなく、「また、何かとんでもないものを観せてくれるのではないか?」という思いから生まれているようだ。

A24の名を世に広く知らしめたのは、やはりアリ・アスター監督の『ヘレディタリー/継承』(2018)、『ミッドサマー』(2019)だと思うが、以降もメジャースタジオではなかなかお目にかかれないピーキーな企画を通し続け、去年日本で公開されたものだけでも『アフター・ヤン』(2021)、『MEN 同じ顔の男たち』(2022)、『ホワイト・ノイズ』(2022)と話題作をどんどん送り出している。ミニシアター全盛期、バンドでもアートでもファッションでもインディーズがなんでもイケてた時代に青春を過ごした身としては、あのころの「インディー魂」がビジネスパーソンとしての手練手管も身に着けて復活してきたのを、まぶしく眺めるような気分だ。

マルチバースSFであり、深い人間ドラマ

そしてここに来て「A24がまたなんだかとんでもない映画を作ったらしい」という噂と共に公開されたのが『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(2022)。すでに世界では好評価につぐ好評価、アカデミー賞ノミネートもバンバンされていて傑作なのは観る前から約束されているような雰囲気だが、どういう了見か知らないが日本での公開が世界最遅となったため、ホゾを噛んでネタバレを避けるためインターネットをツイスターゲームのように渡っていた。それがついに観られる。ついに。

『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』 © 2022 A24 Distribution, LLC. All Rights Reserved.

主人公は中国から夫のウェイモンドと共にアメリカに移民した中年女性エヴリン。ほそぼそとコインランドリーを経営しているがギリギリの自転車操業で、同居している実父は頑固だし夫は頼りないし娘のジョイは中国語がどんどん話せなくなっているうえ女の子の恋人を連れてきた。そのうえ国税局から確定申告の不備をつっつかれ、修正申告しないと店も何もかも差し押さえられてしまうという未曾有の危機が迫る。冷たく強権的な国税庁職員を前にしてエヴリンの頭には「人生、こんなはずじゃなかった」という思いが過るが、その時、突然ウェイモンドがまるで別人のように豹変し、エヴリンにとんでもないことを告げる……。

本作はSF映画だ。「マルチバース」という概念は近年のMCU等のヒット作品のおかげでSFオタク以外にもひろく知れ渡ったが、要するにこことは違う平行世界、いまの自分とは違う選択肢を選んだ未来を題材にしている。

『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』 © 2022 A24 Distribution, LLC. All Rights Reserved.
『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』 © 2022 A24 Distribution, LLC. All Rights Reserved.

ミュージックビデオ監督としてキャリアをスタートさせたダニエル・クワン&ダニエル・シャイナートのユニット・ダニエルズの映像は派手でキッチュで可愛らしさに溢れているが、そのポップな見た目と奇想天外なSF設定のなかで非常に深い人間ドラマを描いている。家族との関係、思い描いていた人生と現実とのギャップ、生活に追われ自分の大切な人のことを考える暇すらないこと、お金の問題、生まれた場所とは違う国で生活するということ……。多くの人が抱える不安や悩みを描きながら、そういうままならないカオティックな人生を包み込んでくるような優しさがある。ただハジけているだけのお祭り騒ぎ映画ではない。だからこそたくさんの観客を熱狂させたのだろう。

強いけれど疲れたオカンと、可憐なヒロイン夫

『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』 © 2022 A24 Distribution, LLC. All Rights Reserved.

主人公エヴリンを演じるミシェル・ヨーが素晴らしい。過去にはボンドガールもつとめた香港映画界を代表するアクションスターのひとりだが、その優美な身体能力はそのままに、いつもとは違った疲れた中年女の顔を見せてくれる。一家の大黒柱として気張って働き、司令塔と実働部隊を兼任しながら店の経営に客あしらいに子育てに老父の世話に家事から確定申告までこなす彼女の姿は、特にオカンが強かった自営業家庭で育った人間には感動(爆笑かもしれない)必須の「それっぽさ」だ。私も母の顔を思い出した。その彼女の表情が、姿が、マルチバースをまたぐ戦いに巻き込まれていくなかでどんどん変化していくのが大きな見どころになっている。

『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』 © 2022 A24 Distribution, LLC. All Rights Reserved.

初期の構想ではエヴリンは男性キャラクターの予定で、演じるのもジャッキー・チェンを想定していたという。主役を女性に(そしてミシェル・ヨー)に変えたのは大正解だと思うが、つまり当初の予定のままでいったならキー・ホイ・クァン演じるエヴリンの夫ウェイモンドは「妻」だったわけだ。そうして観ると、ウェイモンドのキャラクターというのはとても「ヒロイン」っぽい。もっと具体的に言うと、エヴリンは『マトリックス』のネオであり、ウェイモンドはトリニティなのだ。またキー・ホイ・クァンがウェイモンドを「可憐」としか言いようのないアプローチで演じているのも素晴らしい。彼でないとウェイモンドというキャラに説得力と魅力を持たせることはできなかったと思う。各賞にノミネートされ称賛されているのも納得の演技だ。

新たなクィア・ムービーの誕生

『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』 © 2022 A24 Distribution, LLC. All Rights Reserved.

ネタバレはできるだけ避けたいので詳細は書けないが、本作がクィア・ムービーとしての面を持っていることも嬉しい驚きだった(逆にもっとそこ宣伝してくれよ! とも思う)。それも、女性のクィア、レズビアンが大きくフィーチャーされている。そこが同じレズビアンとしてめちゃくちゃ嬉しかった。LGBTQ+が“流行”(Dr.イーブルの顔をしていると思ってください)として映画やドラマに登場する機会の増えた昨今だが、そこでもどうしてもシスゲイ男性表象が前面に立ちがち。

そんななかでステファニー・スー演じるジョイの存在は、観ていて踊りだしたくなるくらい眩かった。恋人と愛し合いながら家族との関係に悩む等身大の若いクィアであり、物語に素晴らしいドライヴをもたらすキャラクター。ステファニー・スーの目まぐるしく変わる表情、身体表現。彼女のことを永遠に見ていたいと思わせるほど。なぜか日本の宣伝広告ではステファニーがほとんどスルーされてしまっているが、本作の核(コア)は間違いなく彼女の存在感だ。どうか刮目して見てほしい。

『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』 © 2022 A24 Distribution, LLC. All Rights Reserved.

『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』

3月3日(金) TOHOシネマズ 日比谷 他 全国ロードショー
監督:ダニエル・クワン ダニエル・シャイナート
出演:ミシェル・ヨー、キー・ホイ・クァン、ステファニー・スー、ジェイミー・リー・カーティス
© 2022 A24 Distribution, LLC. All Rights Reserved.
配給:ギャガ
公式サイト:https://gaga.ne.jp/eeaao/

王谷晶

おうたに・あきら 小説家。1981年東京都生まれ。著書に『探偵小説には向かない探偵』(集英社オレンジ文庫)、『完璧じゃない、あたしたち』(ポプラ社)、『BL古典セレクション3 怪談 奇談』(左右社)、『どうせカラダが目当てでしょ』『ババヤガの夜』(ともに河出書房新社)など。