公開日:2025年12月11日

ジャカルタのアートシーン:Gudskulへの訪問から。ルアンルパらが運営する美術学校に見るコミュニティのかたち

近年、インドネシア・ジャカルタの活気あふれるアートシーンに注目が集まっている。教育プラットフォームとして多様な活動を行う「Gudskul」を訪問し、そこで見たネットワークのあり方や、戦時下の日本による植民地支配に対する抵抗を示す展示についてレポートする。 撮影:筆者

Gudskul 2階共用スペース

1000万人以上の人々が暮らし、東南アジア最大級かつ世界でも有数の大規模都市であるインドネシアの首都・ジャカルタ。巨大な高層ビルが立ち並び人々がひしめき合うジャカルタ中心部から40分ほど車を走らせると、人々の活気とのどかな雰囲気が同居した南ジャカルタ市に到着する。筆者はこの秋、初めてインドネシア・南ジャカルタ市を訪れた。訪問の目的は、ドクメンタ15でキュレーターをつとめたコレクティヴ・ルアンルパ(ruangrupa)、美術教育の研究グループ・セラム(Serrum)、版画を表現媒体とするグラフィス・フル・ハラ(Grafis Huru Hara)の3団体が中心となって運営する美術学校「Gudskul」(グッドスクール)の見学である。

Gudskul

「越境」するコミュニティの拡大:“Gudskul” への訪問を通じて

ルアンルパは、約20名程度のコアメンバーを中心に、100人近くにのぼる協力者を携え、様々な展覧会活動やコミュニティスペースを運営している(*1)。Gudskulの前身となったのは、様々なアーティストやコレクティヴが協働できる場所として誕生したグダンサリナ・エコシステム(Gudang Sarinah Ekosistem)。巨大な倉庫を拠点としてはじまったこの教育プラットフォームはジャカルタの若いアーティストたちにとってなくてはならない場所となり、このスペースを持続可能な形で発展させるためにGudskulの構想が生まれた(*2)。Gudskulは2018年に誕生した新たな拠点であり、アーティスト、キュレーター、研究者、ミュージシャン、建築家、ファッションデザイナーなど多様な活動を行うクリエイターたちが参画している。筆者はこのスペースのマネージャーを務めるAmy Zahrawaan氏を通じてGudskulへの訪問アポイントメントを取った。訪問の前日、Amy氏からはこんな作品写真が送られてきた。

音楽フェスティバル「Synchronize 2025」の中で開催されたruanrupa 25周年記念イベント内の展示風景

“MAKE FRIENDS NOT ART”、アートではなく友だちを作ろう。このスローガンは、ルアンルパがキュレーションを担当したドクメンタ15でも掲げられたメッセージである。専門家から高校生、地域の住民まで、多様な人とコミュニケーションをとりながらそこで得た成果を等しく分け合い、手をとり合いながら前に進んでいくこと。最新のマーケットやトレンド、権威的な美術のシステムとはまったく異なるかたちでのプラットフォームのあり方を象徴するような言葉である。GusdkulメンバーのGesyada Siregarは、過去のインタビューでGudskulが目指すコミュニティの在り方についてこのように語っている。

アートには、つねに相互的な交流が存在します。参加者として来てくれる人だけではなく、フェスティバルを開催するたびに、多くのボランティアが集まります。ボランティアの人々が友人を誘い、友情のネットワークを通して、このスペースに対する帰属意識を持つオーディエンスがさらに増えていくのです。(*3)

「ルンブン(Lumbung)」と「ノンクロン(Nongkrong)」

Gudskul

Gudskul入口すぐの場所にあったのは、オフィスとスタジオを兼ねた場所。ここにはプリントメイキングの機能があり、Gudskulメンバーはここで版画の制作を行っているほか、グラフィス・フル・ハラなどの参加者が過去に制作した版画のアーカイヴも保管されている。Amy氏は、壁に飾られているコレクティヴの初代メンバーの写真を指して「ルアンルパは、基本的には人を解雇することはない。結婚して別の島に移住したメンバーなどもいるけれど、かれはコレクティヴを辞めたわけじゃなくて、ジャカルタに来る頻度が減っただけ。いまもずっとつながっていて、これからも増えていく」と語ってくれた。

左:地元のイスラム教コミュニティの為に制作したラマダンのスケジュールデザイン 右:歴代のコレクティヴメンバーの集合写真がオフィスに飾ってある

ルアンルパの活動を象徴するようなキーワードとして挙げられるのが「ルンブン(Lumbung)」と「ノンクロン(Nongkrong)」である。ルンブンとは共同米蔵のことを指し、収穫した農産物を分け合うように物質的・知的資源も分け合うような精神を意味している。ノンクロンとは、仲間と一緒にお茶をしながらお喋りすることを示す。琉球方言に「ゆんたく(おしゃべりや交流の意味)」という言葉があるが、筆者の感覚ではノンクロンはこの感覚に近いように感じた。Gudskulのスペース内には色々なところに椅子やテーブルが置かれ、コミュニティ内の人々が気軽に立ち寄って話ができるオープンな環境が携えられている。じつは、インドネシアでこのような開かれた言論空間が立ち上がるまでには長い年月が必要であった。ルアンルパおよびGudskulの初期メンバーであるマルセリナ・ドゥイ・クンチャナ・プトゥリは、過去のインタビューにおいて約30年間におよんだスハルト政権の独裁政治が社会的な抑圧をもたらし、公教育や美術活動にも制限があったと語っている(池田、2022)。「ノンクロン」の精神は、スハルト政権下で厳しい言論統制や人種隔離の政策が敷かれていたインドネシアだからこそ、国民が自由を手にした現在の社会で渇望されるものなのかもしれない(*4)。

Gudskul 2階共用スペース。ソファはノンクロン用

インドネシアの視点からの「日本」:植民地主義への抵抗

続いて案内されたのは、ルアンルパおよび彼らのコミュニティに帰属するグループが過去に行った展覧会のアーカイヴスペースである。

展示風景

筆者の訪問時、このスペースでは、2025年3月8日、国際女性デーにGudskul講堂で行われた映像祭「Low End Theory」より、「Perempuan di Masa Pendudukan Jepang 1942–1945(日本占領下の女性 1942–1945)」「Kisah Ianfu & Refleksi Atasnya(イアンフ、慰安婦の物語とそれらへの省察)」のアーカイヴが展示されていた。

三亜運動下に拡散されたプロパガンダと、インドネシア政府が日本政府に送ったIanfuを含む戦争犯罪への賠償を求める書類

この展示プログラムは、ルアンルパの一部門として始まったインドネシアのメディアアートに特化したプログラム/フェスティバル「OK. Video」、インドネシアにおける「Ianfu(イアンフ、日本語における日本軍「慰安婦」の意)」の歴史などをアーカイヴするグループ「ARSIPARIA」、そして学術雑誌『Jurnal Karbon』との協働によってキュレーションされた。この展示において重要な役割を果たしたARSIPARIA は、2019 年のジャカルタ大洪水の際に、公文書に残らない家族の記録を救い出す必要性を認識したことがきっかけで結成されたコレクティヴである。現在、ARSIPARIA は、家族史、マイノリティの歴史や周縁化されてきた声のアーカイヴ化に取り組む活動を行っている(*5)。

室内に入ってすぐのスペースには、日本が1942年に実施したプロパガンダ運動「三亜運動」のポスターなどのアーカイヴが展示してあった。このプロパガンダ運動はインドネシアの民衆にとっては負の遺産となっており、国立美術館の常設展にはこれらのポスター原本が展示してある。日本を「アジアの光」「アジアの母体」「アジアの指導者」であるとスローガンに掲げたこの運動は、日本の属国ではなく独立国として主権を回復したいと志していたインドネシア人からの抵抗により半年足らずで終了する失敗に終わった(*6)。

展示風景

また、展示室内には「Ianfu」たちの歴史書に載らない歩みを可視化した年表も掲出されていた(*7)。現在、国際的な基準では「従軍慰安婦」という言葉は蔑称的かつ実際に行われた組織的な性奴隷制の実態を隠蔽するものであるとして使用されなくなり、引用符付きの「Ianfu」という言葉に代わっている。日本軍は、12〜25歳が中心の若い女性たちを、時に強制や誘拐を含む手段を通して各地の慰安所に配置した(Hamima, 2023)。インドネシアのみならず、中国、朝鮮半島、台湾、フィリピンなど、日本の侵略地域から数十万人の女性が動員されたとされる。この年表の中では南京事件についても言及があり、ここでは殺人行為だけではなく強姦も行われたことが明言されている。

Ianfuをめぐるオーラルヒストリ―はBBCインドネシア版にも特集が掲載されるなど、現地社会で高い注目を集めている

いまなお、正式に認められることのない戦争犯罪の被害者として存在し続けているIanfuたちだが、時の流れとともに直接的な自身の体験を語ることのできる人は減少している。ARSIPARIAは現在、高齢化が進むIanfu当事者たちの言葉をアーカイヴすることに取り組んでおり、ウェブサイトではこのようなテキストを発表している。

日本は「慰安婦」問題における軍の関与を否定し、慰安所は完全に民間によって商業目的で設立・運営されたものであり、軍事目的ではないと主張している。いっぽう、インドネシア政府は「慰安婦」問題を、被害者の権利回復や外交的和解の努力なしに忘れ去りたいと考えている。この姿勢と政策は共感に欠け、生存者たちの終わりのない苦しみをさらに永続させ、大多数が命を落とすまで続くのだ。(*8)

日本国内の芸術シーンにおいては、自国の戦争加害者としての側面を認めず、ときに歴史修正主義をもって作品への検閲を行う事例が散見される。たとえば、「あいちトリエンナーレ2019」で展示されたキム・ソギョンとキム・ウンソンの《平和の少女像》(2011)が猛烈なバッシングを受け、名古屋市長から撤去の要請がなされたことは記憶に新しい(*9)。報道によれば、当時の名古屋市長は会場を視察したうえで、慰安婦問題が「事実でなかった可能性がある」というコメントを残した。このような傾向は戦後80年を迎えた今年も続いており、朝日新聞は長崎原爆資料館の運営審議会において南京事件には歴史的根拠が無いとする意見が提出されたことを報じている(*10)。

臭いものにふたをするように加害展示を咎めたがる傾向は、日本という狭い島国の中ではこれからも続いていくのかもしれない。しかしそのいっぽうで、ARSIPARIAのような学際的なコレクティヴは現実に向き合い、被害者たちの声に耳を傾け続ける。インドネシアのIanfuたちの経験を歴史的かつ記録的に検証し記憶するための作業としてのアーカイヴは、過去に起きた戦争犯罪への追悼はもちろん、現在も続く戦争と性暴力の問題を改めて考える重要なきっかけになる。この展示はGudskul内で無料で公開され、これからの平和を考えるための重要な知的資料、すなわち「ルンブン」として地元に分け与えられている。どんな規制を敷いたところで、実際にこの世界に生きる人々の声や思いを消し去ることは不可能だ。このことは、日本という国が世界を相手に芸術活動を行うとき、植民地主義と正面から向き合うことがいかに重要かを物語ってもいるだろう。

円環的なコミュニティ運営

Gudskulには展示アーカイヴのほか、防音壁と空調を備え音楽イベントにも対応した大きな講堂、様々な場所から集めてきた蔵書とビデオをアーカイヴする公の図書館スペースなどがある。

Gudskul 2階図書館
図書館には政治をユーモラスに皮肉るような作品が置かれており、世界情勢に対する彼らのアティテュードが垣間見える
フィルムスクリーニングや演奏会も行える講堂。訪問時には展示はない状況だったが、多目的に使用できる
アーティストのシェアスタジオ

また、敷地内には子ども向けにワークショップを行うキッズスペース「Ruru Kids」が設置され、Gudskulの参加者は育児と自らの創作活動を両立することができるようになっている(*11)。

訪問時は閉まっていたが、子供のためのスペース「RURU Kids」も。メンバーに子供ができたことが設置の契機

さらに、庭にはコミュニティキッチンがあり、そこには共同冷蔵庫が備え付けられている。Amy氏によれば、この冷蔵庫には訪問者が好きな食べ物を保管して良く、名前を書いていない場合はほかの人が勝手に食べてもOKだそうだ。加えて、Gudskulの入口にはインドネシア式食堂(ワルン)が運営されていた。ここでは家庭料理が提供されており、地元のお客さんでも賑わっている。決まったメニューがあるわけではなく、毎日違った内容が提供されているようだ。また、Gudskulスペースの一角にはコンテナを再利用したアーティスト・スタジオも併設されている。

共同キッチンは現在、パレスチナカラーに染められている
キッチン
食堂(ワルン)は地元の人でにぎわう

次に筆者は、Gudskulのメイン校舎から少し離れた場所へ案内された。そこには大量のペットボトルやプラスチック製品、過去にルアンルパがイベントで使った垂れ幕や古着などが積みあがっていた。ここはもうひとつのワークショップで、こういったプラスチック製品や垂れ幕を加工して、バックパックや携帯ケース、ブックカバーなどの日用品を作っているのだという。ここで作った製品の売り上げはGudskulの活動の運営資金となるという。国際的なアートフェアなどマーケット主導の芸術シーンに渦巻く資本主義の熱気とは全く違う、徹底的にオーガニックで円環的なエコシステムがこの場所に息づいていた。

大量に詰まれたブロックも作品の材料
家具はプラスチックを再利用して作られている

Gudskul構内のツアーを終えた後、筆者はAmy氏とともにオフィスへと戻り、ジャカルタ市内で買ってきたパンダンリーフ味の餅を食べながら会話をした。Amy氏が率いる版画コレクティヴのGrafis Huru Haraは2025年11月から12月にかけて日本での滞在制作を行う予定であると教えてくれた(来たる12月7日、東京都千代田区の海老原商店にてプリントコラージュのワークショップと、作品を非貨幣的な物々交換でやり取りするプロジェクト「Barterin」の日本エディションを行う予定だという)(*12)。初めてジャカルタを訪れた者であっても暖かくもてなしてくれるGudskulのメンバーと触れ合ったことで、筆者も「ノンクロン」の経験をすることができた。経済的な成長の最中にある都市と隣り合わせでありながらも有機的かつ相互的に人と人とのつながりを育むGudskulのあり方は、これからの刻社会においても重要な参照点となるのではないだろうか。

*1──ルアンルパの活動は非常に幅広く、ジャカルタ訪問時期には市内で開催された巨大音楽フェス「Synchronize 2025」の中にホールを貸し切り、体験型インスタレーションの設置やワークショップの運営、トークショーなどを行っていた。今年でルアンルパは活動25周年を迎える。
*2── Lynch, L. and Mumtaz, M. (2022). Gudskul: Marcellina Putri, Gesyada Siregar, and MG Pringgotono. OnCurating Journal , Issue 54, pp.206–209.
*3──“There's always a mutual exchange in the arts. Apart from people coming in as participants, we also get a lot of volunteers whenever we have festivals. These volunteers then go on and invite their friends, and based on these friendship networks, we attract more and more audiences who have a sense of belonging to the space.”Lynch and Mumtaz (2022), pp. 206-207. 
*4──池田佳穂 (2022) 「地域社会との接点を広げ、他者と生き抜く。ルアンルパインタビュー」美術手帖オンライン、 https://bijutsutecho.com/magazine/interview/21189 [Accessed 28 Nov. 2025].
*5──本イベントの詳細については以下に詳しい。Sukma, V. (2025). Low End Theory #2 – Perempuan di Masa Pendudukan Jepang 1942–1945. [online] Arsiparia.com. Available at: https://www.arsiparia.com/2025/03/okvideo-jurnal-karbon-dan-arsiparia.html [Accessed 29 Nov. 2025].
*6── Anggraeni, D. (2020)「インドネシア人像とプロパガンダの手法との関係 ― 北原武夫『インドネシア人の性格』を中心に」、『 跨境:日本語文学研究』11号、pp.187–201.
*7──ニューヨークタイムズ紙は、自国の軍隊が犯した犯罪を認めるよう働きかける動きが高まった結果、日本政府は慰安婦問題について正当な謝罪を行っていると主張しているが、実際には被害者が求める賠償を成していないと報じている。慰安婦に対する国際社会の一般的な認識は劇的に変化し、現在の国際法は慰安婦制度を戦時中の強姦と性奴隷制を人道に対する犯罪として明確に認定した。しかし日本では、軍隊による性暴力に対しての認識は非常に甘く、たとえば現在でも沖縄で米兵によるレイプ事件が数多く発生しているが、多くの場合軍人は訴追されていない。Morelli, Vivian. “Fighting for Justice for Japan’s “Comfort Women.”” Nytimes.com, The New York Times, 6 Mar. 2025, www.nytimes.com/2025/03/06/world/asia/women-japan-comfort-women.html.
*8──Hamima, N.H. (2023). ”Deru Peluru, Perbudakan Seksual dan Lara ‘Ianfu’.” Arsiparia.com. Available at: https://www.arsiparia.com/2023/08/deru-peluru-perbudakan-seksual-dan-lara.html [Accessed 28 Nov. 2025]. 訳出は自動翻訳による。
*9──美術手帖編集部 (2019)「あいちトリエンナーレ2019」の「表現の不自由展・その後」、名古屋市長が《平和の少女像》の撤去を要請」 https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/20275 [Accessed 28 Nov. 2025].
*10──小川崇・坂本純也 (2025) 「南京大虐殺はでっちあげ」加害展示とがめる言説 各地で撤去相次ぐ」、朝日新聞、 https://www.asahi.com/articles/AST890HZ1T89TIPE01YM.html [Accessed 28 Nov. 2025].
*11──このスペースは、Gudskulメンバーに子どもが誕生したことをきっかけに作られたという。Gudskulのウェブサイトでは、Gudskul Studi Kolektifのテーマコーディネーターがどのように子育てと芸術的な活動を両立しているかが紹介されている。Wijaya, A. (2025). “Ketika Gudskul Menjadi Ucuy – Gudskul.” Gudskul. Available at: https://gudskul.art/ketika-gudskul-menjadi-ucuy/ [Accessed 28 Nov. 2025].
*12──イベントの情報はこちら。https://www.instagram.com/p/DRcPK9JD5_x/

齋木優城

齋木優城

齋木優城 キュレーター/リサーチャー。東京藝術大学大学院美術研究科芸術学専攻修士課程修了後、 Goldsmiths, University of London MA in Contemporary Art Theory修了。現在はロンドンに拠点を移し、研究活動を続ける。