鈴木ヒラク×藤本壮介 十和田市地域交流センター(とわふる)壁画作品《光と遊ぶ石たち》公開記念対談

アートを核とした街づくりが注目されている青森県十和田市に、2022年に誕生した十和田市地域交流センター(愛称・とわふる)。その壁画作品を手掛けたアーティストの鈴木ヒラクと建物を設計した建築家の藤本壮介が公開記念対談を行った。ふたりの会話から浮かぶ「根源的な所でつながるもの」とは?

左から十和田市現代美術館の鷲田めるろ館長、アーティストの鈴木ヒラク、建築家の藤本壮介。十和田市地域交流センター前にて  撮影:小山田邦哉

青森県十和田市内に2022年9月に開館した十和田市地域交流センター(とわふる)。その外壁に、考古学や宇宙科学からインスピレーションを得て「ドローイング」の領域を拡張し続けているアーティストの鈴木ヒラクによる壁画作品《光と遊ぶ石たち》が設置された。これを記念して開催された、鈴木ヒラクと同センターの設計を手がけた建築家の藤本壮介による対談(モデレーター:十和田市現代美術館館長・鷲田めるろ)の様子をお届けする。


2022年9月に開館した十和田市地域交流センター(とわふる)。外壁に描かれているのが、鈴木ヒラクの壁画作品《光と遊ぶ石たち》

日常の場所であると同時に、異世界につながる特別な場所

鷲田 藤本さんと鈴木さんにお話しいただく前に、私から十和田市の街のことについて少しご説明します。といいますのも、この十和田市地域交流センターが建っている場所が、非常に意味のある場所なんです。

対談のスライドより

十和田市はグリッド状の街になっていて、南北方向の中心となる通りが中央商店街、それに直交する東西方向の中心となっているのが官庁街通りです。私が館長を務めている十和田市現代美術館は、この官庁街通り沿いにつくられています。そして、今回新しくできた十和田市地域交流センターは、この官庁街通りと中央商店街の交差点に面して建てられています。つまり、十和田市のいちばん真ん中、中心部に建っていると言えます。

西沢立衛さんの設計による十和田市現代美術館は、白い箱がバラバラと散在するような建物になっています。そして、その向いにある広場や、官庁街通り沿いにもアート作品が点在しています。つまり、十和田市現代美術館は、建物の中だけでなく街全体が美術館であるというコンセプトで構想されているのです。2008年に十和田市現代美術館がオープンした後、2014年には中央商店街沿いに十和田市市民交流プラザ「トワーレ」という施設が隈研吾さんの設計によって建てられました。それをきっかけに、この中央商店街沿いにも作品が設置され、街全体が美術館という十和田市現代美術館のコンセプトが南北方向にも広がっていった経緯があります。

壁画作品ができる前の十和田市地域交流センター © Masaki Iwata + Sou Fujimoto Architects

これは壁画ができる前の十和田市地域交流センターの写真です。この建物自体もちょっと変わったデザインになっていまして、どうしてこういう形になったのか、藤本さんからお話しいただけますか。

藤本 この写真の正面に見えている大きな箱状の部分は、建物っぽく見えますが、じつはその中が全部空っぽの中庭になっています。屋根のない大きな中庭に自由に入っていけるようになっていて、その中庭に取り付くように、L字型にギャラリーや多目的室、カフェなどが配置されています。

十和田市地域交流センターの中庭 © Masaki Iwata + Sou Fujimoto Architects

十和田のいちばんの中心街に面したところに、このような中庭をデザインした理由は、十和田市現代美術館の建物の中のホワイトキューブと、屋外に点在するアート作品の中間のような場所をつくりたいと思ったからです。屋内の展示室と屋外のアートの間に、展示室のような白い箱だけれど屋外でもあるスペースがつくれたら、今の状態を補完できるのではないかと考えました。空っぽで色々なことが行える場所を十和田の中心街につくることができたら、アートと市民の方々の活動が共存する、両者が出会える場所になるのではないかと思ったのです。

完全にオープンな広場にすることもできたのですが、なぜこの壁で囲んだか。ひとつは、あえて部屋のようにすることで、屋外の展示スペースのように見ていただくこともできるかなと考えました。お祭りでもフリーマーケットでもその他のイベントでも、自由に使える大きな屋外の部屋、市民の方々のための部屋をつくってみたかった。

十和田市地域交流センターの中庭 © Masaki Iwata + Sou Fujimoto Architects

もうひとつは、空を切り取るようなかたちで、壁はあるけれど屋根はない状態をつくることで、特別感のある異世界のような不思議な空間をつくりたかった。この中庭は白い壁で囲まれていることもあって、外から見てもかなり明るくて、そこだけ異世界が入り込んできたかのように見えるんですね。そして、中に入ると空しか見えない。十和田の空と白い壁により、特別な場所がここに現れているんだという感覚をつくれるのではないかと。市民の方々のための日常の場所であると同時に、どこか異世界につながるような特別な場所になれば、この場所に来ること自体を目的にしてもらえるのではないかとも考えました。そうした色々な思いのレイヤーが重なってこういうデザインになっています。

語り合うアーティストの鈴木ヒラク(中央)と建築家の藤本壮介(右)。左はモデレーターの鷲田めるろ・十和田市現代美術館館長。十和田市地域交流センターにて 撮影:小山田邦哉

過去と未来をつなぐ通路としてのドローイング

鷲田 壁に囲まれることによって、人が集まる部屋のような機能を持つ。いっぽうで、空が完全に開いていることによって、それがまた違う世界につながっていたり広がっていったりする。そういう特徴を持った中庭を囲う壁面に壁画をつくるのが、今回の鈴木さんの制作だったわけですね。鈴木さん、この壁画の背景にある考えやモチーフについて聞かせていただけますか。

十和田市地域交流センターの外観 撮影:小山田邦哉

鈴木 今回、藤本壮介さんの建築に描く機会をいただいて本当に幸せでした。初めて僕がこの建築に足を踏み入れたときの体験は、すごく強烈なものでした。先ほど藤本さんから異世界という言葉がありましたけれど、なんというか、中に入ったら外だったというか、中に入ったはずなんだけれど、そこには「新しい外」があったという感覚がありました。内と外が入れ子になりながら新しくつなぎ直されるような、そういう空間体験をしたんですね。

僕は広い意味でのドローイングをやっていますが、それはつまり線を通して何かと何かをつなぐということです。内と外、光と闇、人間と非人間、過去と未来、そういう対極を線でつなぎ直すことをずっと考えてきました。

鈴木ヒラクが作成したダイアグラム

これは、10年ほど前に自分の制作の構造を図にしたもので、ドローイングを通していろんな領域が接続されていることを示しています。僕にとって、この考古学と宇宙科学が非常に大きな関心としてずっとあります。つまり過去に広がる未知の領域と、未来に広がる未知の領域についての探求です。この過去と未来をつなぐ通路として、ドローイングがある。それは時間や空間のなかで離れている二つの領域をつなぎ直したり、見えなくなっている関係性の線を見出していく、あるいは「発掘」していくことです。

ドローイングとは新しい線を作るだけでなく、こうしたチューブ状の線を「発掘」し、交通を生むということでもあります。僕は平面だけでなく、彫刻や映像、パフォーマンスなどの制作もしていますが、とくに壁画は、非常に重要な仕事です。人間がなぜ描くという行為を始めたのかとか、言葉と絵が分かれていなかった頃の線とか、記号の起源などについて、僕はフィールドワークと自らの制作の中で考えてきました。四角い紙やキャンバスが発明される数万年も前から、人類は洞窟というチューブ状の空間で壁画を描いています。そういう意味では、壁画は近代以降の一般的な絵画の概念とは違うわけです。

フランスのラスコー洞窟の壁画などが有名ですが、実はここからそう遠くない北海道にも2か所、フゴッペ洞窟(余市町)と手宮洞窟(小樽市)という続縄文時代の線刻壁画が残っています。実際にこういう壁画を見ると、ドローイングの方法論や空間との関係性に親近感をおぼえるし、描いた人の息遣いを感じます。

鈴木ヒラクによるフゴッペ洞窟での壁画スケッチ

古代の壁画をいま時を超えて見ることができるように、今回の壁画も残っていくかもしれない。目の前にいる人に向けて描くというより、数万年後の未来に向けて描いているような部分もあるんですね。そういう意味では、壁画を描くというのは新しい遺跡をつくるようなことかなと思っています。

人々が集う現代の環状列石

鈴木 僕たちが線を描く前に、すでに世界には色々な線に溢れています。たとえば、この写真のなかにも無数の線があるわけですね。電線や建物の輪郭線、道路の白線、植物の線、先ほどの写真には飛行機雲の線もありました。雨が降れば雨の線とか、雪の線が見えたり、あとは光の線、つまり光線もありますね。そして、それを見る人間の目線もあるし、さらにこの場所にずっと流れている時間も複数の線としてとらえることができる。なので、この壁画の線は、そういった変化していく多数の線の一部なんです。

十和田市地域交流センター前にて 撮影:小山田邦哉

さらに、シルバーは光の反射によって環境にある様々な線を映し、時間帯や天候、見る角度によって変化します。単に環境との調和というより、むしろ環境やその変化を、積極的に受け止めていく。場所と相互に浸透していくような装置として、この壁画を構想しました。

この壁画は《光と遊ぶ石たち》というタイトルなんですけれど、石と光についても少しお話ししたいと思います。まず「石」について。壁画のモチーフのひとつになったのが環状列石です。十和田の近くには縄文時代後期につくられた小牧野遺跡(青森市野沢)と大湯環状列石(秋田県鹿角市十和田)という、ふたつの日本有数の大規模な環状列石が現存しています。僕はこれらの遺跡が好きで、以前から通っていました。元々子供のころから考古学に関心があり、世界各地のストーンヘンジや洞窟壁画をリサーチしてもいるんですけれども、とくにここ数年は自分のルーツでもある東北や北海道の環状列石を見て回っていたんです。

真上から撮影した小牧野遺跡の環状列石 © 青森市教育委員会

上の画像は小牧野遺跡です。だいたい4000年ほど前の環状列石で、本当に眺めのいい場所にあります。環状列石は、どれも気持ちのいい場所にあり、つくった縄文人の場所選びのこだわりが伝わってきます。小牧野遺跡は、石を3重に配置して構成されていますが、石と石をつないで線を延長すると、夏至の日の出の方向や、周囲の山を指すようになっています。また、大湯では、野中堂環状列石、万座環状列石という二つの環状列石が関係し合いながらつくられ、日時計として実際に使われてもいました。こうした石の配置から今回の壁画の着想を得ています。

環状列石は古代の人々にとって、太陽や天体の動きと向き合う場所、あるいはお墓であったり、人々が集う祭祀の場所だったとされています。古代において人々が集う場所であった環状列石と、現代において人々が集まる地域交流センターという場所を重ねて、古代が現代を通して未来につながっていくということを壁画のテーマとしました。だからといって特定の環状列石をそのまま描いたわけではありません。石に関しては、普段から自分の制作の中で様々な形で取り入れています。今回は手元で小石を転がしたりしながら即興でドローイングしたものを拡大し、強度のあるメタリックシルバーを吹き付けることで制作しました。なので、手描きのゆらぎがそのまま拡大されています。

鈴木ヒラク《光と遊ぶ石たち》(部分) 撮影:小山田邦哉

次に「光」というのも、僕が普段のドローイングの中でずっと考えてきたテーマのひとつで、それは月の満ち欠けを記録するなど、人類史における文字や記号の始まりに光が関係しているからです。今回の壁画タイトルの《光と遊ぶ石たち》における「光」は、惑星が反射する太陽の光を指しています。そして「石」には、環状列石の石だけではなくて、惑星という意味も込められているんですね。つまり、惑星というのは岩石でできていて、それが宇宙空間に浮かび、光の軌道を描いているわけです。そして、その光の点と点、つまり石と石を線でつないだものが星座です。日時計としてなど、もともと天体の動きと対応してつくられた複数の環状列石が、こうした光の線でつながっているというのが、今回の壁画のモチーフです。

この藤本さんの建築に初めて入った時の空間体験の話を最初にしましたが、壁と穴という最小限の要素で無限の広がりをつくっていることに驚きました。環状列石も、いい場所を選んで石を配置するという最小限の行為で人が集まる場所をつくっていたという意味では、建築だと言えます。十和田って星がすごく綺麗ですよね。この場所で、空に、宇宙に開かれた藤本さんの建築と、環状列石はとても呼応するモチーフだと思います。

実際に完成すると、建築に馴染んでいてうれしく思いました。白い直線で構成された壁が、壁画によってやわらかい壁になった印象を持っています。壁画のシルバーは色というよりは現象を生むものです。周囲の光を受け止めるので、どんどん変化するし、強い光が当たったら白く飛んで見えなくなったりもする。イメージを固定しないで、動的なゆらぎを壁面にもたらしています。なので、この壁画は物質であると同時に現象でもあって、絵であると同時に装置でもあると言えると思います。毎回見るたびに違うので、長く親しんでもらえればうれしいし、あとは、やっぱり3万年後くらいに誰かに発掘されてほしいなと期待しています。

鈴木ヒラク《光と遊ぶ石たち》を見上げる鈴木(左)と藤本壮介。十和田市地域交流センター前にて 撮影:小山田邦哉

建物と壁画が根源的な所でつながっている

鷲田 線や壁画が、絵画よりも古くからある原初的・プリミティブなものであることや、壁画に描かれているモチーフは人が集まる環状列石を参照されたなど、興味深いお話をありがとうございました。藤本さん、壁画はプランとしてご存じだったと思いますが、出来上がった状態は今日初めてご覧になられたんですね。印象や感想をお聞かせいただけますか。

藤本 先ほど鈴木さんも言われましたが、壁がやわらかく変化に富むものになったのがいちばん大きな変化だと思いました。やわらかくなったことで、街につながっていく感じが出た印象を持ちました。鈴木さんがおっしゃった「この場所にすでに線が溢れている」というのは、とても印象的な言葉で、潜在的に存在している線たちが、鈴木さんのドローイングによって新しい意味が広がっていくように思えました。

壁画がないときは、真っ白い壁が対比的に街との共存やつながりをつくり出すような存在だった気がするんですね。今でも中庭に入ると、開口部越しに見える十和田の商店街が絵のように見えて、その対比でつながる部分があります。それが、鈴木さんの壁画によって、対比と同時に実体としてふわーっと街とつながっていく建築のあり方が現れて、非常におもしろいと思いました。

夕暮れどきの十和田市地域交流センター 撮影:小山田邦哉

しかも、上の写真のように、本当にシルバーが刻々と見え方が変わるんですね。建築はその場にどーんと強く存在するものなので、この白い壁も天気によって見え方は変わるとはいえ、これほど変化はしません。このシルバーはときには濃いグレーに見えるし、そのグレーが影のようにも見えます。ときには反射して、白の面にさらに白いものが乗っているような見え方もします。その感じが、ドローイングのラインと合わさって、常に変化し続ける世界の様相みたいな見え方になっているのがおもしろかったですね。

十和田市地域交流センター 撮影:小山田邦哉

鷲田 この壁は、閉じつつも開くという、相反することを同時にやっています。それが壁画により、「開く」と「閉じる」のレイヤーがもうひとつ増えた感じなのかと、藤本さんのお話を聞いて思いました。鈴木さんが「壁がやわらかくなった」と表現されていましたが、藤本さんの建築は直線で切られていますよね。開口部も長方形で、壁と空のエッジも直線。それに対して鈴木さんの線は手描きで、そこに手のゆらぎもありますし、石のモチーフも水の流れによって削られたり、溶岩が固まったりしたものなので、有機的なやわらかさがあります。直線と手描きの線の対比について、藤本さんはどう感じられましたか。

曇った日の十和田市地域交流センター 撮影:小山田邦哉

藤本 こちらの画像は先ほど拝見してすごくいい写真だと思いました。空が白く曇っているせいか、建物はほぼ見えなくなるような感じで、そこに鈴木さんの壁画の線がふわふわーっと浮いている。四角い建物があるというよりは、やわらかいドローイングで囲まれた領域があるように見えます。でも、中庭に入ると突然、真っ白でバチッとした、より明るい異世界の外みたいな空間が広がり、その対比が鮮やかに感じられるのがすごくおもしろいですね。

鈴木さんの手描きの線は、十和田の街の線とより親しく交信しあっている感じがします。身近な十和田の街の電柱や電線、樹木などともつながりつつ、それが遥か彼方の宇宙とも交信をしているという、振れ幅の広さがこの場所にもたらされているとのはすごいなと思いますね。

鷲田 時間的な広がりもこの壁画はもたらしてくれると思います。私は藤本さんの文章を読んで、「プリミティブ」や「原初的」といった言葉をよく使われたり、あるいは自分が設計して出来上がった建物を「遺跡」という言い方をされたりしているのがおもしろいと思いました。そこも鈴木さんの壁画が時間を遠くに飛ばす想像力を持っているのと呼応する感覚を感じたのですが、ご自身はどう思われますか。

藤本 鈴木さんがずっと考古学的な領域に興味を持たれてきたと今日聞いて、呼応するところはとても感じました。僕もやはり原初的な、本質的な場をどうすればつくれるだろうということを、建築をつくるうえでつねに考えてきたんですね。つまり、こういう建物や施設をつくろうとか以前に、そもそも人が集まったり活動したりするための根源的な場とは、どのようなものだろうかということです。

遡っていくと、その場は建物でなくてもいいだろうと。環状列石は、建築というよりは場をつくっている感じですよね。屋根がない、でも場として存在している、建築未満だけども何かがある。そういった強さを持った場に僕はすごく憧れているようなところがあって。その意味で、「とわふる」の屋根のない壁で囲まれている場所は、それこそ建築になってしまう前のもっと力強い、人間のための場として構想できたのではないかと思います。

鈴木ヒラク《光と遊ぶ石たち》(部分) 撮影:小山田邦哉

遺跡は、誰かがつくったものが時間が経って放置され、屋根が落ちたり壁が少し残ったりと、痕跡だけが残っているわけですよね。それで、残っている痕跡が逆に本来的な場の力のようなものを発信している。であれば、その痕跡自体を立ち上げることはできないだろうか。完成品が壊れた後の遺跡ではなくて、人間の活動の場の本質だけが抽出されている状態で、新しく「遺跡」を立ち上げることができるのではないかという気もしているんです。

そういう意味では、鈴木さんとは興味のありどころは通じている気がしましたし、この中庭は、言ってみれば現代におけるストーンサークルを僕なりに再解釈したものかもしれない。そうした求心性とか磁場を持つ場を十和田の街の中心の交差点につくりたかった思いは、すごくこの壁画につながる気がします。

商店街から見た十和田市地域交流センター 撮影:小山田邦哉

鷲田 一見、鈴木さんのゆらぎのあるドローイングと藤本さんの直線的な建物は対極的にも見えます。でも、それが非常に根源的な部分でつながっていて、違う現れ方をして重なっている。建築と壁画の関係としては非常にうまくいったのではないかと私もうれしく思っています。藤本さんの感想に、鈴木さんからコメントはありますか。

鈴木 貴重なご感想をありがとうございます。藤本さんが「痕跡自体を立ち上げる」という言い方をされましたが、僕がやりたかったのもまさにそうだったのかと思いますね。根底ですごく通じているなと、お話を聞きながら感じました。

藤本 時間的にも空間的にも、この建物の外に色々な広がりがある、それをみんなが想像できるような手がかりとして、壁画のドローイングは描かれているようにも感じます。鈴木さんのドローイングが、一カ所に留まらざるを得ない建築というものに、複層的な広がりの次元を与えてくれたように思います。

鷲田 ありがとうございます。まだまだお話を聞きたいのですが、時間になってしまいましたので今日の対談は終わりにしたいと思います。私自身、考えさせられるお話を色々聞かせていただきました。ありがとうございました。

アーティストの鈴木ヒラク(左)と建築家の藤本壮介。十和田市地域交流センターの前にて 撮影:小山田邦哉

鈴木ヒラク(すずき・ひらく)
アーティスト。1978年生まれ。東京芸術大学大学院修了後、国内外各地で滞在制作を行う。ドローイングを線の発掘行為と捉え、平面・彫刻・映像・インスタレーション・パフォーマンスなど多岐に渡る手法を通してその拡張性を探求する。金沢21世紀美術館(石川、2009)、森美術館(東京、2010)、ヴロツワフ建築美術館(ポーランド、2015)、銀川現代美術館(中国、2016)、MOCO Panacée(フランス、2019)、東京都現代美術館(東京、2019-2020)など国内外で多数の展覧会に参加。音楽家や詩人らとのコラボレーションも手がける。2016 年よりドローイング研究のプラットフォーム「Drawing Tube」主宰。作品集に『GENGA』(2010)、『SILVER MARKER-Drawing as Excavating』(2020) など。現在、東京芸術大学大学院准教授。

藤本壮介(ふじもと・そうすけ)
建築家。1971年北海道生まれ。東京大学工学部建築学科卒業後、2000年藤本壮介設計事務所を設立。2014 年フランス・モンペリエ国際設計競技最優秀賞に続き、2015、2017、2018年 にもヨーロッパ各国の国際設計競技で最優秀賞を受賞。国内では、2025年日本国際博覧会の会場デザインプロデューサーに就任。2021年には飛騨市の Co-Innovation University(仮称)キャンパスの設計者に選定される。主な作品に《House of Music》(ブダペスト、2021)、《マルホンまきあーとテラス 石巻市 複合文化施設》(2021)、《白井屋ホテル》(前橋市、2020)、集合住宅《L’Arbre Blanc》(フランス、2019)、仮説パビリオン《サーペンタイン・ギャラリー・パビリオン》(ロンドン、2013)、《武蔵野美術大学 美術館・図書館》(東京、2010)など。

鷲田めるろ(わしだ・めるろ)
十和田市現代美術館館長。1973年京都市生まれ、十和田市在住。東京大学大学院修士(文学)修了。金沢21世紀美術館キュレーター(1999~2018)を経て、現職。第57回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展日本館キュレーター(2017)、あいちトリエンナーレ 2019 キュレーターも務めた。著書に『キュレーターズ ノート 二〇〇七-二〇二〇』(美学出版、2020)、主な論文に「アートプロジェクトの政治学 「参加」と ファシズム」(川口幸也編『展示の政治学』水声社、2009)「鶴来現代美術祭における地域と伝統」 (『アール 金沢 21 世紀美術館研究紀要』五号、2016)、「顕彰か検証かーー「表現の不自由展・その後」 をめぐって」(川口幸也編『ミュージアムの憂鬱』水声社、2020)など。

新原なりか

新原なりか

にいはら・なりか ライター、編集者。1991年鹿児島県生まれ、京都大学総合人間学部卒。その後、香川(豊島)と東京を経て現在は大阪市在住。美術館スタッフ、ウェブ版「美術手帖」編集アシスタントなどを経てフリーランスに。インタビューを中心とした記事制作、企画・編集、ブックライティング、その他文章にまつわる様々な仕事を行う傍ら、エッセイや短歌の本の自主制作も行う。