公開日:2007年10月7日

イリヤ・カバコフ 『世界図鑑』-絵本と原画-

「紙クズ」により描き出される世界

『空を飛びたい』(1983年刊)の挿絵原画 撮影:上野則宏
『空を飛びたい』(1983年刊)の挿絵原画 撮影:上野則宏
作家自身に「紙クズ」と言わしめる今回神奈川近代美術館 葉山で展示されている作品群。この表現には何重もの仕掛けが仕組まれているのだが、とりあえずは今回展示されることになったイラストレーションという表現形態を紐解いてみよう。

イラストレーションは絵画や彫刻のような純粋芸術とは異なり、応用芸術として位置付けられている。そのため、アートというジャンルにおいては用意さ れたテキストや詩、教科書、もしくはその他の文章と組み合わされた作品形態を取って初めて完成された「作品」となる。いささか、純粋芸術に比べ見劣りする ように思われるが、文学や報道、教育といったジャンルと融合することが可能な形式である。

一方でアートへの入り口という役割をも果たしうる。それは自己の表出が色彩、筆致、空間構成によって可能だからであり、テクストでイメージ化される 世界なり物語といったものを視覚化し得るからだ。そのため、文字が伴わないイラストレーションは作品として未完であり、絵画や彫刻等といったそれ自身が自 立して作品となるものと比較するとより明確になる。だから「紙クズ」なのであろうか。否である。

『歩行者の学校』(1984年刊)の挿絵原画 撮影:上野則宏
『歩行者の学校』(1984年刊)の挿絵原画 撮影:上野則宏
イリヤ・カバコフは1956年からイラストレーターとして数々の絵本を手がける一方で、モスクワ・コンセプチュアリズムの一員として非公式で作品を制作、発表を行ってきた。1985年に初めて海外での個展が開催され、それがきっかけとなり西欧の美術界の脚光を浴びる。89年には2年間ベルリンに滞在し、欧米の美術館で取り上げられるようになり、多くの国際展に出展し日本でも紹介されるようになった。日本では91年に軽井沢のセゾン現代美術館での企画展<境界線の美術絵画と彫刻を超えて>への出展を果たし、97年には佐谷画廊での個展、99年には名古屋の白川公園での彫刻プロジェクトに《彼等はのぞき込んでいる》、同年水戸芸術館の現代美術ギャラリーにて<シャルル・ローゼンタールの人生と創造>を開催、2000年には越後妻有トリエンナーレにて《棚田》を出展、2004年には森美術館にて<私たちの場所はどこ?>によって、日本での知名度を揺るぎないものにしてきた。また今年開催されたヴェネチア・ビエンナーレでも出展を果たし、再び世界の注目を集めている。

『オーケストラ子供のための詩集』(1983年刊)の挿絵原画 撮影:上野則宏
『オーケストラ子供のための詩集』(1983年刊)の挿絵原画 撮影:上野則宏
彼 が主張する「トータル・インスタレーション」が各々の作品には通底している。インスタレーションは彫刻作品から派生したため三次元的な作品形態で あるが、鑑賞者と展示される作品、展示空間によって生じる関係性を浮き彫りにし、その三者を包み込む作品として了承される。トータル・インスタレーション は、さらにもう一段階として、複合的なコードが絡み合って「世界」のアーキタイプ(祖型)を図らずも現出させる。その「世界」とはソヴィエトに住まうもし くは住んでいた人々の人生、生活、些末事を蒐集した物語である。

この臨界点に達するにはカバコフが生活した環境ないしは作品として扱われる対象についての知識を要する。この点にこそ、カバコフの作品が単なるイン スタレーションに留まらない理由がある。しかしながら、そのトータル・インスタレーションは「自分のため」に制作されたアート作品に通底するものであっ て、彼が「職業」としてつまり「自分のため」ではなく、ソヴィエトで生活の糧を得るため(カバコフ は「彼の手によるもの」と述べている)制作した絵本を展示しているのである。今回の企画展はざっと述べてきた作品傾向とはやや趣が異なるだろう。

『遠くと近く』(1982年刊)の挿絵原画 撮影:上野則宏
『遠くと近く』(1982年刊)の挿絵原画 撮影:上野則宏
神奈川県立近代美術 葉山の展示室は4つの展示室から構成されており、通常の美術館に比べてやや小さい。その中に5つのセクションと1つ の小さな展示コーナーが詰め込まれている。二ヶ月の会期を前半と後半に分けて展示作品を総入れ替えするため、カバコフの絵本をそれこそ「隈無く」鑑賞でき る。それは展示空間の規模に起因するのであろうが、違った雰囲気を味わえ、飽きの来ない企画展と言えるかもしれない。美術作品として一般的な大きさとされ る絵画や彫刻にとって小ぶりな空間だが、絵本という小さめの作品形態をとるため相対的に展示空間が広く感じられる。

加えて、イラストに付随するテクストが抜かれたかたちで展示されているため、話の内容を想像してイラストを楽しむことができ、そこに描かれていたで あろう物語を辿って鑑賞するため、さほど小ささは気にならない。また、児童書向けのイラストが展示されていることもあって子供を伴い鑑賞した場合に彼等に 読み聞かせるよう、鑑賞者の想像力と話術が問われるとも言える。トータル・インスタレーションで味わうことのないカバコフの描写力を窺い知ることが出来よ う。

『電線を通ってやってくる太陽』(1977年刊)の挿絵原画 撮影:上野則宏
『電線を通ってやってくる太陽』(1977年刊)の挿絵原画 撮影:上野則宏
し かし、その卓越した描写力もさることながら、付随するテクストもしくは物語に合わせてスタイルを調整する彼の手腕も見逃すことは出来ない。例えば、「科学 と産業」や「イデオロギー教育」で展示されている絵本のイラストでは、事実関係を伝えることとそれに伴う労働や生活への讃美を強調するため色彩には原色が 多く用いられテクストの邪魔にならないようなイラストの配置が行われている。他方、「物語」で展示されている作品では物語に合わせた画風が多く 見受けられる。アジアを舞台にした物語であれば水墨画風もしくはカリグラフィー風に、神話をモチーフにしたものであればユダヤの教典トーラーのように見開 き装飾風といった具合だ。

こうした能力ないし力量は彼自身の創造性から生み出されたものではなく、出版社による検閲がそうさせたとカバコフ自身は述べている。つまり「公式の スタンプを押されて」(出版許可が下りて)ソヴィエト社会に出回る作品(この場合では絵本)にクレジットされた「イリヤ・カバコフ」という作者は置き換え 可能な存在であり、それを生み出す本当の作者は出版社であり、それを統制するソヴィエト共産党である。

『巨人達の長い一日』(1970年刊)の挿絵原画 撮影:上野則宏
『巨人達の長い一日』(1970年刊)の挿絵原画 撮影:上野則宏
そ のため、イリヤ・カバコフという作者は出版社という鑑賞者へ向けて作品を制作し、検閲を通過すればエンド・ユーザーたる児童へ伝えられるという構造が、こ れら他愛もない絵本の裏には隠されている。だから、独自性ないしはオリジナリティーを今回の展示に求めることは禁じ手であり、むしろトータル・インスタ レーションで展開される「世界」の祖型を複雑なコードなしにそのまま視覚化したもの、いわば表裏の関係にあるものと捉えたほうが善いだろう。

このように捉えていくと、カバコフが今回の展示作品を「紙クズ」と称した理由が徐々に明らかになる。イラストレーションが持つ「未完」としての作品 形態ではなく、自らの手による作品としての作者が検閲によって奪取されることへの忌避の現れとして見ることが可能だ。しかし、カバコフの作品を含めた政治 や社会への距離の取り方(彼は「distance」という単語を用いて表現していた)を考慮すると「クズ」というのは、配置と羅列によって完成するソヴィエト社会に共有された記憶の断片であり、イデオロギーのように方向性を持ったものではなく「クズ」だからこそ見る人によって投影する意味が分散する機能を果たす。

クズ=無意味というメタファーがカバコフの発言に組み込まれているのである。この点は、同じくユダヤ系の文芸家ヴァルター・ベンヤミンが「ゴミ」を 集める都市の浮浪者を新たな世界の担い手として看破した眼差しと似ている。無意味だからこそ、どこかに愛着を抱き、一般了承とは異なった体系によって蒐集 してしまうという行為。それはテクストが抜け落ちた状態でイラストが展示されている形式によっても補うことができる。オープニングの対談で批評家ボリス・ グロイスが述べていたように、「白」というスペースによって否が応でも鑑賞者の想像力を掻き立て、何かしらのモデルを投影して作品と捉えようとするから だ。

今回の企画展が表題とする『世界図鑑』とは、かつて機能していたソヴィエト社会から切り離され、本来の機能を果たさなくなった「紙クズ」がセクショ ンによって羅列されて初めて1つの体系をなすということを指し示している。図鑑としてモデル化される「世界」は果たしてトータル・インスタレーションと同 じように、カバコフが持つ記憶の断片で構築されるものなのか、鑑賞者に委ねられた「世界」なのか。足を運んで実感して頂きたい。

写真提供:神奈川県立近代美術館 葉山

Yuya Suzuki

Yuya Suzuki

博士後期課程在籍 1980年生まれ。ロシア・ソ連芸術史、全体主義下(第三帝国、スターリニズム)における紙上の建築と展覧会デザイン、エル・リシツキイの研究に従事。<a>MOT</a>で企画を担当。またMOTの<a href="http://mot06.exblog.jp/3398208/">CAMP</a>というイベントの企画・運営に携わる。現在、ロシア人文大学に留学中。