展示風景より、《Dreams of the beyond in the abyss》
写真を中心として、映画、映像、空間インスタレーションなど幅広い表現を手がける蜷川実花。蜷川にとって関西では過去最大規模となる個展「蜷川実花展 with EiM:彼岸の光、此岸の影」が京都市京セラ美術館 新館 東山キューブで開幕した。会期は2025年1月11日〜3月30日。
本展は京都国際観光大使も務めた蜷川が、京都の街からインスピレーションを受け、「彼岸の光、此岸の影」をテーマにクリエイティブチーム「EiM(エイム)」として挑むもの。EiMは、蜷川と、データサイエンティストの宮田裕章、セットデザイナーのENZO、クリエイティブディレクターの桑名功、照明監督の上野甲子朗ら様々な分野のスペシャリストたちで構成されている。本展の共同キュレーターは、EiMのエグゼクティブディレクターである宮田と、京都市京セラ美術館事業企画推進室ゼネラルマネージャー高橋信也が務めた。
展示は、本展のために制作した映像によるインスタレーションや立体展示など、10のパートから成る。東山キューブの空間全体を使って没入感のある体験を生み出しており、鑑賞者が主人公となって異界を巡る旅路のような、全10話の“絵巻体験”に誘う構成になっている。作品にはCGなどではなく、すべて日常の延長線上にある、何気ない場所で撮影された写真や映像を用いている。
開幕に先駆けて行われた内覧会で、京都市京セラ美術館館長・青木淳は、「東京都庭園美術館で個展(「瞬く光の庭」)を行った頃から、作品が写真という二次元の世界から時間や空間を含む三次元的なものに変わっていった」と蜷川の表現を評し、本展について「おそらく関西でこれだけ大きな展覧会は今回が初めて。これまでからさらに一歩先へと進んだ作品になっていると感じる」と話す。
蜷川は「京都でやるということが今回のテーマ設定に深く関わっていて、京都に来て感じたことやこの土地の持っている歴史、そのなかにゆらめく命や生と死などを作品に入れたいというところから始まりました。暑い夏にチームで京都を回って街を体感したのですが、どこかにポカンと異界につながる穴があるような不思議な探索でした。生と死、彼岸と此岸、光と影など相対するものがゆらめきながら重なる瞬間などに執着して作ってきたので、そういったものが体感できる没入型の展覧会になっていると思います」と京都で行う展覧会に込めた思いを説明。
さらに「京都市京セラ美術館のために作った作品たちで、ここに向けて磨き上げてきたものが集結しているので、自信を持ってお勧めできる展覧会になっています。自分でもこれはいい展覧会になったなと思っている。ぜひたくさんの方に見ていただけたら」と自信を見せた。
本展の序章となるのは、ガラス窓に面した廊下に展開されている《Liminal Pathway》。窓は花や植物、蝶々などの写真を印刷したフィルムに覆われ、写真の風景越しに外の京都の街並みが見える。展覧会の最後にもこの場所に戻ってくるため、展示が生み出す“異界”と現実世界をつなぐような役割を果たしている。
奥から聞こえる電子音に誘われるように暗い展示室の中へ足を踏み入れると、都市のなかで感じられる「いのちの息づかい」をテーマに制作されたインスタレーション《Breathing of Lives》が広がる。床に置かれた水槽とモニター群に映像が投影され、ゆらめく都市風景が幻想的な光景を生み出している。
映し出されているのは、アーケードや車のヘッドライトとった街の光、金魚や揺れる水面など、夜の京都を想起させるイメージだ。《Breathing of Lives》では、これまで都市のモチーフを対象としてきたが、今回はさらに京都特有の風景も映像に取り入れられている。
続いて4000本以上の彼岸花の造花が織りなす真紅の空間《Flowers of the Beyond》へ。彼岸花は、日本では古くから「彼岸」という言葉と結びつき、生と死、彼岸と此岸のあいだを漂う象徴的な存在とされている。壁一面にも彼岸花の写真がコラージュされ、赤いライティングに包まれた空間を時折りフラッシュのような強い光が明滅して照らし出す。鑑賞者は花畑の中に入っていくようにして、次の部屋へと向かう。
《Blooming Emotions》は、スクリーンの裏表から投影される映像が重なり合って浮遊感のある情景を生み出すインスタレーション。映し出される花の多くは人々の手で育てられたものだという。イメージが重なり合うことで非現実的な情景にも見えるいっぽうで、人間との共生によって生まれた自然の美しさが生命力や命の儚さを思わせ、見る者に様々な感情を呼び起こす。
「解放と執着」と題された《Liberation and Obsession》は、蜷川自身の内面から滲み出る感情の痕跡から成る作品。金魚や色鮮やかな花、蝶々、赤い口紅を塗った唇といった蜷川作品で繰り返し用いられるイメージの上に絵の具や装飾が大胆に重ねられている。無数のビーズや装飾で過剰なまでに埋めつくされた額縁に入れられた作品群は、作家の執着とそれによる自己の解放の両面を感じさせる。本展は作品体験を通して自己と向き合う時間に鑑賞者を誘うことをコンセプトのひとつとしているが、ここには作家自身の内省も反映されている。
《Silence Between Glimmers》は、写真を配した6枚のガラスパネルとオーロラフィルターが対になり、コの字型に設置された作品。ガラスパネルには、花畑、蝶、藤の花、桜、海中の光景などをとらえた写真が配置されており、観客自身や他の観客の姿を反射する。作品のあいだを歩いていくことで、オーロラフィルターが多様な光の交差を浮かび上がらせる。
展示室の奥の空間を埋め尽くしているのは、無数のクリスタルのパーツが吊り下げられたインスタレーション《Whispers of Light, Dreams of Color》。約1500本のガーランドには、10万個ものパーツが付けられている。遠目には一筋の光が全体を照らし、近づいてみると赤やピンク、紫、透明などのハートや蝶々、星、宝石などのかたちをしたパーツが一つひとつキラキラと固有の光を放つ。これらのパーツはすべて手仕事でつなげられており、蜷川自身が作ったパーツも1万個におよぶそうだ。手仕事に宿る作り手の思いや記憶、そしてそれぞれのパーツから呼び起こされる鑑賞者の記憶や感情が光の中で混じり合う空間となる。
そして蜷川や宮田が「奈落」と呼んで本体のハイライトと位置付けている《Dreams of the beyond in the abyss》へ。この作品は、手前に色とりどりの造花が咲き乱れる空間が広がり、その中を抜けるとLEDディスプレイと鏡で構成された空間につながる。
奥の空間は壁の4面にLEDディスプレイ、上下に鏡が配置され、ディスプレイに映し出された水や炎、花々や草木などの映像が上下に無限に広がる。下を見ると奈落の底まで地面が抜けているような感覚を覚え、上を見上げるとこちらも天に向かって続いていくような途方もなさを感じさせられる。空間を満たす重低音から身体に伝わる振動とともに、異界の深淵へと落ちていくとも昇っていくともとれる体験を生み出している。
そして最後に、光の移ろいをとらえた静謐な映像作品《Embracing Lights》を経て、始まりの《Liminal Pathway》へと戻り、本展は幕を閉じる。
蜷川は《Dreams of the Beyond in the Abyss》について「この展覧会の心臓部というか、いちばん現実と遠いような場所に位置づけて作っています。私も今回何度も見ていますが、何回見ても心にくる、強い体験になっていると思います。そこを抜けて最後に現実の世界に(観客が)戻ったときに、世界との接し方やものの見方、その後に見る世界の風景が変わるような体験になっていたら良いなと思います」と語った。
蜷川にとって、京都はいろいろな場所に異界への扉があり、口を開いている場所だと感じるのだという。そんな京都の街でリサーチを行い、蜷川が大規模なスケールで作り上げた異世界体験への旅路をこの機会に体験してみてほしい。