公開日:2013年6月17日

ナム・ヒョジュン「PARADISE FOR PEOPLE」

北朝鮮のパラダイムシフトの中で生まれた「フィルタリング絵画」

展示風景
展示風景
©Nam HyoJun

ナム・ヒョジュンといえば、0000(おーふぉー)のメンバーとして覚えていらっしゃる方がいるかも知れません。0000はアートグループとしてギャラリーやショップを経営していたので、運営側の人間として彼を見ていた方がほとんどではないでしょうか。しかし、ナム・ヒョジュンは0000を結成する前から活動しており、評価もされているアーティストです 。(2010年の”ART IN CULTURE”という韓国の雑誌で、”global Korean artist 12”に選出されています。 )

Nam Hyojun, artisit portrait
Nam Hyojun, artisit portrait
©Nam HyoJun

さて、そのナム・ヒョジュンですが、名前からも察せられるように在日韓国人です。彼は兵庫の朝鮮人学校に通っていたそうなのですが、私は個人的に朝鮮人学校時代の話を聞いたことがあります。チュチェ思想教育を受けながら、その中では、将軍様や北朝鮮をブラックユーモアで笑い飛ばしていたそうです。チュチェ思想が日本で見事に保存されている環境自体が日本文化らしくて興味深い現象ですが、さらにその中で、チュチェ思想をブラックユーモアに仕立て上げていたという話は、ナム・ヒョジュンの奥深さを示していると思います。そんな教育を受けてきた彼がアーティストになって、政治的でない作品を作るほうが難しいでしょう。

今回の個展では、北朝鮮の指導者たちやモニュメントの図像をもとにした作品群が展示されています。それぞれの有名な画像を加工し、大きな多角形のブロックに塗り分けることで、ぼんやりと像が浮かび上がる作品になっています。これらの作品をウェブサイトでみるとかなり平面的な作品に見えますし、ナム・ヒョジュン自身もアーティスト・ステートメントの中でその平面性に言及しています。

<アーティスト・ステートメント>
今回発表する新作シリーズの”フィルタリング絵画”は、そのような(註:金正日総書記死後の)パラダイムシフトの中生まれました。フィルタリングする事で肖像画やプロパガンダ絵画にある遠近感を消滅させ、人物と背景を多角形の色面だけで構成する事で、人物と背景が一体化した平面的な空間(前にそびえる壁)が生まれ、主題と背景の滅亡と解放を導いています。

作家自身はウォーホルやリヒターを意識して作ったのだろうと思います。ナム・ヒョジュンは現在上海在住ですから、中国の流行を戦略的に取り入れているとも思います。こうした戦略について、彼はとても意識的な作家です。

しかし、いざ作品を実見すると全く異なる側面が見えて来ました。実物を見ると平面性がほとんど感じられなかったのです。むしろ深い奥行きがありました。まず、微妙に違う色に塗り分けられた多角形のグラデーションが奥行きを感じさせます。そして多角形の面をマスキングして塗り分けているので、多角形の面の間にあるマスキングテープを剥がしたあとの絵の具の盛り上がりが線として前面に浮き出てきています。

Tower of Juche Idea, 2012, 1700 X 1200, Acrylic on canvas
Tower of Juche Idea, 2012, 1700 X 1200, Acrylic on canvas
©Nam HyoJun

そこから、私はこの作品群を「覗くこと」がテーマなのだと理解するようになりました。ここで、多角形の穴が明けられた白い紙があると想像してみましょう。指導者の写真の上にその紙を置くと、写真の一部だけが切り取られます。写真は一部しか見えないので、その像が何なのかは分かりません。紙に明けられた穴から像の一部を覗くような恰好になります。他にも、違う場所に多角形の穴が開けられた紙がたくさんあって、同じようにいろいろな部分を覗いていくと、ぼんやりと全体像が浮かび上がってきます。しかし、それでも明確な像は得られません。一度に全ての像を捉えるのではなく、部分を覗きながら凝視していく。ある部分を凝視し、また違う部分を凝視する。そうやって部分部分を必死に覗き込ませることで、全体像を同時に一瞥するのではなく、異なる時間に分解していくのです。つまり、この作品群の奥行きは空間的な奥行きではなくて、時間的な奥行きなのです。この時間の隔たりが重要です。ナム・ヒョジュンはステートメントの中で指導者の死について触れています。

しかし、2010年から続いた各国の指導者あるいは独裁者の死、革命と暴動、政権交代、東アジアでの領土問題や核の脅威など、数えきれない程のパラダイムシフトが訪れました。その中でも金正日総書記の死去は、私にとって直結した大きな問題でした。そして死去以降、タブーの解放、言動・表現の自由が訪れ、イデオロギーは変化せざるを得なくなりました。

新たな時代が始まるかもしれない。始まらないかもしれない。どちらにせよ、ナム・ヒョジュンはそこかしこにPARADISEを覗き見る。そういう厭らしい執着心が作品に新たな奥行きを与えています。ナム・ヒョジュンは、ステートメントを以下のように締めくくっています。「東アジア全土に政治の季節が訪れ、領土問題を始めとした国家間の不安定な状況が続くこのタイミングで、新作シリーズを日本で発表出来るのもイデオロギーへの執着があっての事です。そして、この執着こそが唯一の私の希望なのです。」
ウェブサイトなどの写真で見ると平面的でかっこいい作品に見えます。上海在住の元0000メンバーがカッコつけて自らの出自を利用したように見えます。しかし、ナム・ヒョジュンは自分の出自へ恐ろしいほどの「執着心」を見せています。ぜひ、実物を見て、その奥行に身を浸してみて下さい。

Taichi Hanafusa

Taichi Hanafusa

美術批評、キュレーター。1983年岡山県生まれ、慶応義塾大学総合政策学部卒業、東京大学大学院(文化資源学)修了。牛窓・亜細亜藝術交流祭・総合ディレクター、S-HOUSEミュージアム・アートディレクター。その他、108回の連続展示企画「失敗工房」、ネット番組「hanapusaTV」、飯盛希との批評家ユニット「東京不道徳批評」など、従来の美術批評家の枠にとどまらない多様な活動を展開。個人ウェブサイト:<a href="http://hanapusa.com/">hanapusa.com</a>