公開日:2023年2月16日

建築の「知の巨人」磯崎新とあらたに出会う。入門者のための3著作3作品(文:藤村龍至)

昨年逝去した世界的な建築家で評論活動でも知られた磯崎新。その思考と実践をあらためて知るための代表的な著書と作品を、建築家の藤村龍至・東京藝術大学准教授がセレクト。

磯崎新 写真はThe Pritzker Architecture Prizeホームページより( https://www.pritzkerprize.com/laureates)

理論と実作で世界をリード アート作品も制作

昨年12月28日に逝去した建築家の磯崎新(享年91)は、理論と実作の両面で世界をリードした「知の巨人」であった。ポストモダニズム建築の傑作とされるつくばセンタービル(茨城)やロサンゼルス現代美術館(米国)をはじめ国内外で100以上の建築作品を手掛け、思想・芸術を横断する評論活動は後進に絶大な影響を与えた。無名だったザハ・ハディドや安藤忠雄、伊東豊雄らを国際舞台に導いた現代建築の目利き・プロデューサー的な役割も特筆される。美術館をいくつも設計した磯崎は、現代アートの造詣が深く、自身の世界観を伝える作品を制作したアーティストでもあった。

巨星が消えた喪失感は大きいが、私たちには磯崎の膨大な作品と著作が残されている。それらを介して、私たちはこれからも繰り返し磯崎の思考と実践に出会うことができるだろう。本稿では入門編として、建築家で東京藝術大学准教授の藤村龍至に代表的な著書と作品を3つずつ挙げてもらった。

藤村は1976年生まれ。2009年に磯崎と初めて出会い、インタビューや展覧会を通じ交流を深めていった過程は磯崎の逝去後に藤村が執筆したnoteの記事(前後編)に詳しい。論考集「磯崎新建築論集」では編集協力者のひとりに指名され、2019年の回顧展「磯崎新の謎」(大分市美術館)ではキュレーションの一角を担った。【Tokyo Art Beat】


「社会の中での建築家の立ち位置」を考え続け

磯崎新という建築家の著作や作品は難解という印象もあるが、「社会の中での建築家の立ち位置」「都市の設計のされ方」を常に考え続けていた建築家であるという理解に立てば、意外なほどにシンプルな主張を繰り返している。以下、順番に見ていこう。

■3著作

『空間へ』―プロセス・プランニングを提唱

40歳を迎えようとしていた磯崎の、30代の集大成的な書籍である。収録されている論文のうち有名な「プロセス・プランニング論」は、磯崎の初期の代表作である「大分県立大分図書館(現アートプラザ)」(1966)の設計過程で提唱された。

あらかじめ欠損を内包し、順次それを埋めていくように完成する「クローズド・プランニング」、均質な空間を用意し間仕切り壁の変更によって変化に対応していく「オープン・プランニング」に対し、「プロセス・プランニング」は「時間的な推移の各断面が常に次の段階へ移行するプロセス」だとする理論である。政治的な事情が絡む地方都市の公共建築物の設計の場面では、発注側の与件が動き続けることが多い。本論は、受注者として翻弄され続けた若き日の磯崎が弱体化しつつある建築家の立ち位置を分析しつつ、主体的に語り直したものである。

空間へ 磯崎新著 河出文庫 1400円+税

『Any:建築と哲学をめぐるセッション1991-2008』―キーワードは決定不可能性

60歳を迎えた磯崎が、1991年から2000年にかけて米国の建築家ピーター・アイゼンマンらとともに音頭をとって行われた国際会議「Any会議」の総括座談会を収録した本である。20世紀前半の1928年から59年まで開催された「CIAM(Congrès International d'Architecture Moderne=近代建築国際会議)」には近代主義(モダニズム)の普及という明確な目標があったのに対し、Any会議には毎年「Anyone」「Anywhere」「Anyway」というように毎年Anyで始まるテーマが掲げられ、「決定不可能性」がひとつのキーワードとされた。建築と哲学が近づいた1980年代のあとで始まったAny会議は、磯崎にとって「プロセス・プランニング」以来の建築家の立場の分析をさらに語り直す機会となったのかもしれない。

Any:建築と哲学をめぐるセッション1991-2008 磯崎新・浅田彰編 鹿島出版会 3000円+税

『ユートピアはどこへ──社会的制度としての建築家』(『磯崎新建築論集 6』)―超都市の時代へ

80歳を迎えようとしていた磯崎が、2010年代にまとめた論考集全8巻のうち6巻目である。本書に収録された「建築=都市=国家・合体装置」というエッセイは、東日本大震災直後の2011年3月25日に発表された。このなかで20世紀に1920年、1945年、1970年、1995年に時代の切断線があったことを指摘し、2020年に新たな切断が起こることを予想していた。

さらに1920年の切断線は、官僚主義の〈都市City〉から資本主義の〈大都市Metropolis〉への大きな転換であったとする。前者の典型は官製の都市計画が作り上げたパリであり、後者の典型は民間デベロッパーが作り上げたニューヨークだという。磯崎は、2020年ごろに〈大都市〉の時代が終わり、〈超都市Hyper Village〉の時代に突入するとしていた。

ユートピアはどこへ――社会的制度としての建築家(磯崎新建築論集 6) 藤村龍至編集協力 岩波書店(品切れ)

■3作品

《孵化過程》―未来都市への冷静な眼差し

磯崎が30歳を迎えて間もない1962年、東京の西武百貨店で開催された「未来都市と生活」展で発表したパフォーマンスを伴うアート作品である。まず観客が東京の航空写真を貼り付けたベニア板の土台に釘を打ち(「ジョイントコア」と呼ぶ巨大インフラのメタファー)、次にそれを針金でつなぎ(空中でつながる巨大開発のメタファー)、最後に磯崎が白い石膏を撒いて全体を固めた(「切断」のメタファー)。

展示は「未来都市」がテーマだったが、磯崎の「孵化過程」は積極的に都市の未来について絵を描こうとするメタボリストとは距離を取り、建築家は都市に対して事前には何も予定できず事後的に切断面を切り取ることくらいしかできない、という冷静な見解を提示する作品である。1997年に水戸芸術館でふたたび上演されたあと、2010年のEYE OF GYRE(東京・表参道、現GYRE GALLERY)の「CITY 2.0―WEB世代の都市進化論」でも再演された。

孵化過程 Arata Isozaki solo exhibition “Process” at MISA SHIN GALLERY,Tokyo, September 9 - November 12, 2011 Photo: Keizo Kioku Courtesy of MISA SHIN GALLERY
「磯崎新『都市ソラリス』」展の会場風景より、磯崎新《孵化過程》(1962) 撮影:木奥恵三 写真提供:NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]

《大分県立大分図書館》―正方形プロポーションの始まり

1966年に大分市に開館した県立図書館(現アートプラザ)である。磯崎は、設計中の1962年に発表した「プロセス・プランニング」論(『空間へ』収録)において、建築物とは「常に次の段階へ移行するプロセス」であるとした。その認識に基づく本作は、チューブ状の梁がそれぞれの外周方向に飛び出し、断面が切り口として表現されている。本作以降の磯崎の作品は、師事した丹下健三流の横長の和風プロポーションではなく、磯崎流の正方形プロポーションが固まってくる。西欧の建築作品に対抗するためには大きな壁とスパン、トップライトで作らなければならないと考えたという。

旧大分県立大分図書館(現アートプラザ)。文化庁「文化遺産オンライン」より(https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/547711)

《海市》―中国の巨大人工島構想

1995年に中国の珠海市沖合の海上に提案した面積約400haの人工島の構想である。1997年に東京・新宿のNTTインターコミュニケーション・センター[ICC]で開催された「海市」展は、その《海市》をプロトタイプとして3つの実験「シグネチャーズ」「ヴィジターズ」「インターネット」で構成されていた。

そのうち「ヴィジターズ」は岡﨑乾二郎、川俣正らアーティストを含む12人の「デジタル・アーキテクト」が召喚され、会場において1週間のコンセプト・メイキング、次の1週間でリアライゼーションを行い、2週間ごとに入れ替わって計画を引き継いでいく試みが行われた。磯崎は「連歌」のメタファーだとしたが、次第にパフォーマンスが加速して破壊的になり、最後は何もなくなってしまった。

筆者がキュレーションを担当したEYE OF GYRE「超群島」展(2012)では、「海市2.0」と題してひとつの都市モデルを複数の作家がデザインし、それを次の複数の作家へと受け渡しつつ、かつプロセスごとに履歴を保存することによる、集合的な都市設計のあり方が提案された。

「磯崎新『都市ソラリス』」展の会場風景より、磯崎新《海市》(1997) 撮影:木奥恵三 写真提供:NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]
磯崎新 海市 Ⓒ Estate of Arata Isozaki

磯崎が現れつつあるとした〈超都市Hyper Village〉とは何か、そのなかでの建築家の役割は何か。2013年から14年にかけてICCで行われた展覧会「磯崎新『都市ソラリス』」展などで議論する機会はあったが、磯崎は最後まで明確に定義しなかった。オンライン会議が日常になり移動や集客に依存した今は〈大都市 Metropolis〉の原理が転換点を迎えていることは確かであり、データと政策決定が新たな回路で結ばれつつあるなかで、アーキテクト(建築家)の定義も揺らいでいることも事実であろう。

レム・コールハースは自身の事務所を〈OMA=Office for Metropolitan Architecture 大都市の建築のための設計事務所〉と標榜した。これからあと、私たちの世代以降は、〈OHV=Office for Hyper Village 超都市の建築のための設計事務所〉を考えることで、磯崎が遺した問いに対し応えていく必要があるだろう。

藤村龍至

建築家、東京藝術大学准教授

藤村龍至

建築家、東京藝術大学准教授

ふじむら・りゅうじ 建築家/東京藝術大学美術学部建築科准教授。1976年東京生まれ。東京工業大学大学院博士課程単位取得退学。2005年より藤村龍至建築設計事務所(現RFA)主宰。住宅、集合住宅、公共施設などの設計を手がけるほか、住民参加型のシティマネジメントやニュータウンの活性化、中心市街地再開発などのデザインコーディネーターとして公共プロジェクトにも数多く携わる。 主な著書に『ちのかたち—建築的思考のプロトタイプとその応用』(2018),『批判的工学主義の建築』(2014)、「ポートアイランド・リボーンプロジェクト」(神戸市、2022-)「TOKOROZAWA STREET PLACE」(埼玉県所沢市、2022-)「おとがわプロジェクト(愛知県岡崎市、2015-)などに関わる。