最終更新:2022年6月7日

「芸術も国家も福祉も私自身も、根本から狂っていると思いました」佐々木健インタビュー(聞き手:福尾匠)

アーティストの佐々木健が、自身の祖父母がかつて住んでいた家を会場に開催した「合流点」。本展は津久井やまゆり園で2016年に起きた相模原障害者施設殺傷事件が発端となっている。本インタビューでは批評家の福尾匠を聞き手に迎え、本展の成り立ちから、佐々木が近年のテーマとする「絵画と加害」、さらに福祉や家族、ケアとキュレーションといったことについて話し合った。

佐々木健(右)と福尾匠(左) 「合流点」(五味家、2022)会場にて 撮影:編集部

佐々木健「合流点」は、神奈川県鎌倉市にある民家で開催された展覧会だ。「五味家 (The Kamakura Project)」というこの民家には、かつて作家の祖父母が住んでいた。会期は2021年7月31日~10月31日だったが、反響を受けて何度か延長され、22年2月まで開かれることになった。

本展は神奈川県の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」で2016年に起きた相模原障害者施設殺傷事件が発端となっている。佐々木の兄も神奈川県内の障害者施設に入所していたことから、事件の報道を受けた作家は「兄が殺された可能性で目の前が真っ暗になった」(本展ステートメントより)という。この経験をもとに、佐々木は両親の協力を得、議論を重ねながら、民家と庭と絵画から成る本展を実現させた。

今回、『眼がスクリーンになるとき:ゼロから読むドゥルーズ『シネマ』』の著者である批評家・福尾匠を聞き手に迎え、佐々木健のロングインタビューをお届けする。福尾はまず11月に展覧会を訪れ、翌年1月に再訪時し取材を行った。

公共性や社会的な問題と、作家自身の生に根ざした個別具体性とがわかち難く同居し、類まれな展示となった本展。インタビューでは福祉のあり方や、被害者の実名報道がなされづらいという現状、絵画の問題や「崇高」の概念、ケアとキュレーション、福尾がオンライン上で発表している「日記」、そして作家と家族の関係など、その話題は多岐にわたった。【Tokyo Art Beat】


佐々木健「合流点」(五味家、2022)会場風景より応接間  ©︎ Ken Sasaki   

家族の親密な時間が積み重なった応接間から

福尾:応接間にあったファイルを見ながら話してもいいですか。これはお母さんが作られたんですよね。お兄さんの性格、得意なことや苦手なことが書いてあって、日記や落書きが挟まれている。

佐々木:えーっと、そうですね。2011年の震災で兄の耕(こう)は心身共に混乱してしまいました。その後、家族で悩んだ末に、通所施設と家の往復の負担が少なくなるように、新しいグループホームへの入所を決めました。そこで初めて出会う職員の方々に、知的障害を伴う自閉症の兄の「こだわり」を共有して頂く必要があったんです。このファイルは兄に寄り添ってきた私の母の手によって作られたものです。

「こだわり」も変化していくので、何度か改訂を繰り返していて。そこには職員の方々が頻繁に異動になってしまい、その都度、信頼関係を作り直さねばならないという多くの施設が抱える問題も関わっています。母方の実家である、この五味家の歴史が詰め込まれた応接間でこれを読んで頂くことで、はじめましての方にも兄のことを知ってもらえるし、家族がどれだけ兄を愛してきたのかも伝えられると思いました。このファイルは展覧会のなかでもっとも重要なものだと思っています。

会場風景より、応接間に置かれたファイルなど  ©︎ Ken Sasaki 

応接間にはほかにも、父が30年以上前に回していたベータのビデオカメラの映像から、五味家で親族が団欒をしている様子や、兄がピアノを弾いているシーン、母が「女性あつまれ!生活者の目でみる、まちづくりシンポジウム」という公民館のイベントのスピーチのための練習をするシーンなどがブラウン管テレビで流れています。これらの「母のファイル」、「父のビデオ」、私の「絵画」と「テキスト」、兄がたまに会場を訪れたときにめくる「カレンダー」などが、かつての祖父母の家と庭に点在し、順序としては玄関から応接間、居間へと続いていますたくみさん(福尾)は最初に展示を見に来たときのことを日記(*1)で書いてくれましたね。

「僕はたまたま居間を見ながら応接間が空くのを待っていたが、いちおうの順序としては応接間を見てから居間を見るわけで、こうして恐怖からの想起による恢復というストーリーをこの展示に見るのは、間違いではないにせよあまりに一面的かもしれないと思った。そのふたつは切り離せないだろう。それが『合流点』なのかもしれない。私はあまりに弁証法的だろうか」。

ここで書いて頂いたご質問にお答えすると、おっしゃるように弁証法というよりは、複数の視点によるポリフォニーのようになっているのかな。どれがだれの視点によるものかはっきりさせたかったし、兄の姿を写真や映像などの第三者視点で見せたり、彼が描いたものを「作品」として勝手に展示したくないと思いました。

会場風景より、応接間  ©︎ Ken Sasaki 
会場風景より、応接間  ©︎ Ken Sasaki 

福尾:そうですね。その断片的なありかたがすごく面白いと思いました。
応接間と居間とで弁証法になっているわけじゃないんだという話でしたが、とはいえ、僕は展示が応接間から始まるのも面白いなと思いました。そこである種のイントロダクションがなされるわけだけど、初めに驚くのは、展示を訪れる前に読んでいた概要文に表れている重苦しさと、会場の文字通りアットホームな雰囲気とのギャップです。重大な社会問題に関わる展示だということと、それが家族の親密さが積み上がった空間でなされているということ。

そのギャップがあるからこそ見に来る側もカスタマーという意味でのお客様にも、匿名的な鑑賞者にもなれないし、「おもてなし」というよりはまさにゲストに対する「応接」がなされる。ソファに座ってファイルを見ているとささけんさん(佐々木)がお茶とくるみっこを出してくれて。そこでファイルやビデオを見ながら、壁に掛けられた大量の家族写真とお兄さんの筆跡をトレースしたささけんさんの絵に囲まれて、なんというか、頭のなかに入れて持ってきた抽象的な「社会問題」と、応接間にあるアーカイブの具体性とに引き裂かれるような空間です。

佐々木:たしかに、この家の応接間という機能をすごく久しぶりに使っている、ということもあるかもしれませんね。祖父母が亡くなって10年ほど経つのですが、その後もいとこの子供たちが毎年お正月に遊びにきたりして、応接間は親族が旅行した先のお土産や、子供たちが由比ヶ浜で拾ってきた貝殻、写真や絵本などの置き場所になっていたんです。ビデオのなかで兄が弾いている祖母のピアノはもうこの部屋からなくなっているし、ここには複数の時間が重ねられています。

展覧会は予約制にはしてなかったのですが「これからお伺いして大丈夫でしょうか?」って頻繁に連絡が来るのもなんでだろうって思ってました(笑)。そのまま来て頂ければよかったんですけど、やっぱり家だから躊躇されたのかな。民家を会場にした展覧会って、わりと一般化していると思っていたのですが、展覧会場であることと、かつては祖父母が暮らしいまは親族や、母の友人である障害のあるお子さんのお母さんたちの憩いの場でもあることと、どちらの機能もそのままにして重ねているからかもしれませんね。

私は、(時には母も)会期中ずっと受付をしていたのですが、初めてお会いする方も、美術関係や福祉関係の方々、家族の友人知人やご近所の方々にも「応接」という形式にのっとることで、あまり分け隔てなく淡々と接することができたように思います。

福尾:その微妙な距離感と、この展示の発端になっている津久井やまゆり園での事件(相模原障害者施設殺傷事件)との距離の取り方とがつながっているところもあるのかなと思いました。

あの事件がきっかけになっていることは明示されていますが、加害者や事件に表れている社会のひずみを外から批判するというより、自分と家族のこれまでを見つめなおす内容になっています。

佐々木:そうですね。あの事件が本当にショックだったのがこの展覧会の発端です。事件直後はどの施設で起こったのかもわからなくて、私も家族も知り合いの保護者のあいだでも、安否確認の連絡が飛び交っていました。神奈川県のほかの施設に通う兄が殺された可能性で目の前が真っ暗になり、その後、亡くなられた方々のお名前が報道されなかったことも重ねてショックでした。展覧会がこのようなかたちでの開催となったのはそのことが関係しています。現在、匿名報道はプライバシーやメディアスクラムへの配慮という形で一般的になりつつあるのかもしれませんが、当時、戦後最多の被害者数の殺人事件でありながら、お名前が公表されなかったこと、そのこと自体に差別の構造を感じて暗澹たる思いでした。

私たち家族も施設と職員の方々を信頼し、愛する兄を託しているわけで、それは大型施設に限らず、施設を利用されている私たち家族の旧知の親御さんたちも同じ気持ちでした。事件が起こったときに職場にたまたま居合わせた同僚や、社会問題に素早く反応する美術関係の人たちの反応が薄かったことも忘れられません。なんだかアートに関わる人たちにも疎外されているように感じました。

その後、パラリンピックの聖火リレーの採火をあの場所で行う話が出て、Twitterなどではそれに抗う声が溢れましたが、声の多くは被害に遭われた方々への配慮を指摘するもので、それはまったくその通りなのですが、加害者と被害者間の話として収めてしまうことで、事件の背後にある社会構造の問題が見えなくなってしまうと思いました。子供の頃、母に連れられていろんな施設を出入りして、漠然と感じていた違和感をほったらかしにしていた私自身も、加害者のひとりじゃないかと自問しました。

兄は無事でいてくれたわけですが、もちろん私は事件のことも自分の家族のことも、誰かの言葉を勝手に代弁することはできません。それでもこの事件のこと、兄のことに改めて向き合い、私自身の問題として何かを発表する必要があると思いました。これから2人で生きていかなくてはならないわけで。

会場風景より  ©︎ Ken Sasaki

津久井やまゆり園の事件と匿名報道:
家まるごとのアーカイブを通して匿名という抽象性に抗う

福尾:先ほどおっしゃっていましたが、お兄さんの名前を出してはいるけど、これを見ればお兄さんのことがわかりますというふうに、わかりやすく全人格的なものとして提示することは慎重に避けているわけですよね。

それと、この展示の会期が始まる10日くらい前、つまり去年の7月20日くらいに、津久井やまゆり園の跡地に慰霊碑ができて、そこに遺族が実名の公表を希望した被害者の方の名前が刻まれました。その慰霊碑にはちゃんと空白が残されていて、ほかの遺族の方が希望したときに名前を追記できるようになっています。被害者の方々の側でも、もちろんひとそれぞれではあるんだけど実名報道的なものを求める動きもあります。偶然とはいえそれが顕在化すると同時にこの展示が行われたことは大切な点だと思います。

これはすごい大事なことであると同時に、とても慎重に扱うべき問題ですが、匿名報道で覆い隠されてしまうものは何なのか、実名を公表された方が何に抗っているのかということを考えるべきだと思います。

ひとつには、被害者が匿名化されたままだと、やっぱり、加害者の人格とそれを醸成した社会的な構造の偏りみたいなものにばかり目がいくというところがあると思います。そこで加害者が象徴化されて、現代日本のひずみを代表する人物として立ち現れてきて、その向こうにある問題をひとつずつ解決していこうという構えになる。

それはそれでとても大事なことですが、この展示でなされているのはそれとは違うことだと思います。加害の象徴化によって被害者の具体性が置き去りにされるとして、それの何が問題かというと、被害者の方々がもっていた社会的属性、この場合、障害者で施設に入所していたという属性以外のものがなかったことになってしまうというのがいちばんの問題だと思います(*2)。

事実、やまゆり園に入所されていた方々も、お家に帰ったり外に出たりしていたわけで、それが加害の象徴化によって「たんにあそこにいた人」としてしか現れず、そこには何か二重の閉じ込めのようなものがあります。

佐々木: 兄は神奈川県の通所施設を利用し、2013年からはグループホームも利用していて、週末は家に帰るという生活です。その都度色々ありますがおかげさまでいまも元気です。展覧会にはお世話になっている職員の方も来てくださいました。

もちろんこれはうちの家族の話で、障害のある方の環境は本当に様々です。親や保護者の有無、その地域に満足できる施設があるかどうかなどによっても、その生活は大きく変わってしまいます。施設はどこもいっぱいで、希望してもずっと入所できていない方もいて。私の家族も悩みに悩みながらいまの施設を信じて兄の身を託したわけです。もしも生活環境がちょっとでも違っていたら、両親が健康じゃなかったら、という考えが決して消えないのは、この事件が明確な差別意識によって行われたヘイトクライムであったからです。

そして現在も様々な施設で虐待の事実が明るみになっていることや、多くの障害者施設が人里離れた場所にある理由には、全国で行われてきた施設建設への署名やデモなどによる反対運動も関係しています。職員の方々の待遇の問題や、特別支援教育と普通学級が小学校の段階で分けられてしまい、障害をもつ人と触れ合う機会が失われつつあった教育のあり方も、差別意識につながっていたと思います。どれもこれもが、当事者へと収めてしまう話ではなく、私も含めた「普通学級」卒業生全員の問題であり、構造的にいつの間にか植え付けられてしまっている差別意識が関係していると思いました。人里離れた山あいや、家庭という密室のなかに閉じ込めて障害者を見えなくし、健常者の話が円滑に進められるようこの社会が設計されているような気がするというか。この国では精神障害者を隔離する私宅監置が沖縄では1970年代まで続いていましたし、ここ神奈川でかつて「青い芝の会」が障害をもつお子さんを殺害した家族に同情的な世論に対し、強い批判の声を上げたことを改めて思い返しました。

私が何もせずに沈黙すること、それ自体がこの閉じ込めに力を与えると思いました。そこで展覧会による私自身の立ち位置からの「実名公表」というか、匿名という抽象性に抗うために個別具体的な私と一家の生そのものを観てもらおうと考えました。展覧会という形式なら家や庭まるごと、文字でも映像でも絵画でも動員できます。ファイルの冒頭の、兄が震災でパニックになってしまった経験とか、週末のお昼は好きなお弁当を買って食べるとか、丸い水草が好きとか、「あまちゃん」のテーマソングが苦手だったけど再放送で克服したとか、家まるごとのアーカイブを通して、ここがどんな場所で、私たちが兄をどれだけ愛しているのか、障害者やその家族といった属性にとどまらない雑多なものも含めて伝えられると思いました。「展覧会」という形式でしっかり設計することで、この辺鄙な場所にも多くの方に来てもらえる可能性があるんじゃないかと。

まず家族に相談して大掃除をして、そしてたくみさんがご自分のサイトで書かれている日記じゃないけど、初めて自分のウェブサイトを作りました。受付の感染予防対策も徹底して、会場マップやテキストの配置もひとり手作りでしたが、できるだけ内容をちゃんと読んでいただけるように工夫しました。もちろんアート関係の人には観てほしいけど、やはり私たちの旧知の障害をもった方やご家族、福祉関係の方々には来て頂きたいと考えていましたね。アートが社会のなかで持っている力を、どの柱が効いていて、どこが使えるかなって具合に確認しながら、機能させるということを考えていたと思います。

私は絵画を発表し始めた頃、クールベの真似をして赤い文字でサインを書いていた時期があったのですが。彼が起源とされる「個展」という形式自体、パリ万博に対する抵抗というかパフォーマティブな批評行為でもあったわけで、おばあちゃん家でこのような企画を開催することも、歴史的には展覧会の普通のあり方のひとつだと考えていました。

福尾:なるほど。

会場風景より  ©︎ Ken Sasaki

絵はかさぶたに似ている:痛み、トラウマ、傷口

佐々木:そういえばたくみさんの日記も、文体は結構普通じゃないですか。

福尾:そうですね、すごい普通だと思います。

佐々木:その普通さのなかに、私はなんだか似たようなものを感じました。たくみさんの『眼がスクリーンになるとき』はドゥルーズとベルクソンの関係を切り出すものでしたが、ベルクソンの「記憶の逆円錐」の図の話を面白く読みました。潜在的な記憶それ自体が、偽記憶や感情までも含み込んだ過去と不可分な断層として切り出される、というような話をたくみさんは書かれていて、こんどは日記という、一見普通な形式のなかで、その哲学を実践に移されてるのかなと思いました。 サイトのなかに複数の他者の日記が書き込まれていたのもとても興味深かったです。「普通」への批評性が含まれているというか。

福尾:なるほど、そうかもですね。

佐々木:日記のなかで日記について言及したりするのもなんだか不思議で。それは文体や技術の話であると同時に、『眼がスクリーンになるとき』の議論とつながる、生きることそのものと直結した本質的な話だと思いました。私にとってその切り出しは絵画に置き換えられて、この展覧会の会期中、ふと、庭からの自然光に照らし出される絵の表面を見て、なんだか、かさぶたに似ているんじゃないかなと思ったんですよね。自分と現実が擦過した断面を絵として切り出す。そこにはおそらく私の痛みやトラウマが関係しているように思うのですが、描くことは、身体と描画材の可塑性を伴って、自分のなかの複数の属性や視点に引っ張られながら行われる、先の見えないプロセスです。はじめから立ち位置が明確なものではないんですよね。切り出しには習慣や準備も伴うわけで、日付絵画じゃないけれど、作業とか労働に近いところがあります。そういう意味では日記っぽいなと思っていたんです。絵画は自分ではどうしようもない対象と、情報とは異なるかたちで自分自身が向き合うための、主観や身体の混入した、偏りのある記録媒体なんじゃないかなと。

福尾:蔵屋美香さんが書かれたこの展示のレビュー(*3)で、タイトルの「合流点」というのは液体としての絵具が交わることなのではないかとあって、とても面白いなと思いました。粘っこい液体としての絵具の動きのなかで、それが乾いてかさぶたとなりいろんな断面が実現するということなのだと思うのですが、絵具の粘性だけでなくタブローの可動性もそこに関わっているのかなと思いました。

タブローって軽いし、基本的にはヒューマンスケールじゃないですか。大きくても幅2メートルくらいで。100年もたせようと思ったらとたんに心もとなく見えるけど、基本的にはある種の気安さがあるものです。そういう、持ち運べるサイズに切り出して並べるということが、絵画展としてのこの展示と、先ほどおっしゃった展覧会という複合的な形式の強み、そしてかさぶたとしての作品のありかたをつなげている。

佐々木:歴史画の文脈を反転させるような大きなスケールの絵画にも惹かれるのですが、私もタブローの気安さって面白いなあと思っていて、壁面と接合したり離したり。一つひとつ自立しつつも、その組み合わせや、位置関係で切り出すもの、見る者に与える階調も変わってくる。比較的どこでも短時間で展示、撤収ができて、すぐにその場から逃げ去れるかもしれません。この展示でもタブローをかけることによって映画でいうモンタージュみたいに、私と兄の生まれ育ったこの家に、べつの場所を重ね合わせるということをしています。玄関のすぐ脇に兄が描いた江ノ電の路線図を模写した絵があるのですが、玄関から廊下を通って居間に掛けられた相模川のペインティングには中央自動車道が描かれ、家の内部にやまゆり園のある相模川周辺と、鎌倉市内のこの家との位置関係を示す、神奈川県の地形が重ねられています。相模川は鎌倉市の主な水源のひとつでもあるんですよね。

会場風景より《兄の絵を模写する(江ノ電)》(2013) ©︎ Ken Sasaki 

福尾:へー! それはぜんぜん気づきませんでした。
それとはべつに、居間の2枚の風景画は、ある種ヴァーチャル・リアリティみたいに、その位置関係が津久井やまゆり園の跡地から見える景色と対応しているとキャプションに書かれていますね。正面に伸びていく雄大な相模川があって(《相模川》)、横を向くと向かいの山の尾根にある遊園地が見えて(《観覧車》)、そこから絶叫が聞こえて来ると。テクストでその風景と「崇高」というテーマが関係づけられている。

会場風景より、居間の奥にあるのが《相模川》。写真では見えないが向かって左手に《観覧車》がある  ©︎ Ken Sasaki 
会場風景より、右が《観覧車》。居間の奥から入口の方へ向いており、《相模川》を背にしている  ©︎ Ken Sasaki

カントは崇高を、自然の絶大な力の発露をその危険が及ばないところから眺めるときに覚える感情だとしました。その眺望者の視点とやまゆり園の立地を重ね合わせ、さらにそれをお兄さんと育った家の居間にインストールしているわけで、これはとんでもなく怖いことでゾッとしました。とても冷たい目で自分を見ている。すごい勇気だと思います。そして相模川から後ろを振り向くとお兄さんの肖像画がある。だからたんに、崇高概念にある外在性を批判して、家庭内の素朴で温かな生活のリアリティを描くというのではなくて、ここにある深いアンビバレンスが面白いと思いました。

相模川 2021 ©︎ Ken Sasaki 
観覧車 2021 ©︎ Ken Sasaki 

「崇高」な風景:相模川に沈められてきたもの

佐々木:崇高って、様々な芸術家たちにも霊感を与えてきた概念なわけで、カント的な人智を超える巨大さ・強力さに感じるものだけではなくて、リズムのズレに崇高を見出してしまったりということもあると思うんですよね。要は健常者の安全な立ち位置が前提とされた枠組みから逸脱したり、揺るがされることによって立ち上がるというか。美術史においても画家たちは、自然や女性を他者として表象し続けてきました。

居間の《相模川》の絵画は相模湖駅から津久井やまゆり園の献花台に歩いて向かって、出会った風景です。相模湖駅からのバスは1時間に1本くらいしか出ていなくて、徒歩で相模湖を回り込み、トンネルを抜けて、大きな橋の上に立ちました。報道からは想像がつかなかったけど、とても美しい場所だと思いました。ハドソン・リバー派や、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ、彼を日本に紹介した東山魁夷や高橋由一の「三県道路完成記念帖」など、私にとって馴染みのある様々な絵画が想起されました。子供の頃、宮崎駿とか大友克洋のタッチを真似て、現実を忘れさせてくれるこんな風景を描くことは、私の救いでもあったわけです。

兄とは一緒に普通学級の同じ小学校に通っていたのですが、中学校からは普通学級と特別支援学級へと進路は枝分かれをし、私は大学に入ってひとり暮らしをはじめました。それからバイトしたり、作品を発表したり、アーティストや批評家の男性たちとオクトーバー派ついて議論をしたりしているあいだに、事件が起こりました。特別支援学級と普通学級へと枝分かれしたその先で、兄弟の人生が再びこの場所で重なり合っているわけです。

芸術も国家も福祉も私自身も、根本から狂っていると思いました。自分にとって救いであったものが、何かを塗り込め、隠匿する力につながっていたというか。なんともいえずに橋の上で呆然としました。この場所は紅葉の見える観光スポットでもあって、向かいの相模湖プレジャーフォレストの観覧車は、高尾山からもよく見えるんですよね。相模湖、藤野駅周辺は、かつて藤田嗣治や猪熊弦一郎などの画家たちが疎開していた影響で、現在も芸術家村やアーティストのアトリエが多く、同時に多くの障害者施設が点在するエリアでもあります。

相模湖は日中戦争の軍需産業の電力供給のために、朝鮮半島や中国から連れてきた人々を強制的に動員し、83人が亡くなり、現地の住民による反対運動にかかわらず196戸が水底に沈められ作られた戦後初の人造湖です。たまにレジャーで訪れるにはとても素敵な場所かもしれないけど、あの日ここに愛する人がいたと思うと、なんとも言えない気持ちに引き裂かれました。この場所には画家たちがイメージによって覆い隠し、塗り潰してきたものが沈められているように思いました。

仰るように、温かい思い出しかないこの居間に相模川と兄の絵がかかっていることは私にとってとんでもないことです。それでも開催せずにおれなかったというか、この固まった傷口を誰かと共有しないと、私自身がちょっとやってられないって感じでした。ずっと怒っていたし、悲しんでいました。開催前はひとり、会場でビリビリしていたし。とはいえ、これが一見たんなる風景画であるということ、絵の視点の位置の設定やこの家の歴史など、その文脈がもっとも突き刺さってくるのは私自身に収まるように設計されていると思います。そんな思いで進めていたのですが、実際の準備作業は、コロナ禍で観光客の減った静かな鎌倉の、暖かい初夏の庭の花々に囲まれて縁側のニスを黙々と塗り直すという、とてものどかなものだったわけで……なんか冒頭から飛ばしすぎてる気がするけど、福島さん(編集者)どうですか?

福島:面白いです。佐々木さんの風景画は長谷川新さんがキュレーションした「不純物と免疫」展(2018)で初めて見たんですが、そのときも怖い絵だなと思いました。動きのない静かな絵なんだけど、それこそリズムのズレとして、マンガとかで人がスパッと斬られて、それに気づかずまだ喋ってるみたいな。

佐々木:以前、ある人から、「佐々木くんの絵は、アウトサイダーアートの展覧会で見た、殺人事件の犯人の絵に似ている」と言われたことがあって、地と図、近景と遠景といったかたちで通常描き分けられるものに、みんなピントが合ってるからなのかな、画面内にヒエラルキーを作りたくないというか、モチーフの情報を私の都合で勝手に取捨選択したくないという抑えがたい気持ちがあるんですよね。にもかかわらず、すごい具体的な日用品などを描いているので、よけいにどういうつもりなのかわからないのかも。絵が硬くなっても、描き込むのをやめないので、時間が止まったみたいになっちゃって、それも怖いのかも。

福島:そうかもですね。佐々木さんの絵も風景にしろ静物にしろ、なんでこういう対象を描くのか見ただけじゃわからないし、それがすごく細かく描かれていて。

佐々木:たしかにそうですね、この展示にもいろんなタイプの絵があるように見えるかもですが、共通するのはすべて目の前の対象を写実した具象絵画だということです。さっきの「普通さ」に関わる話ですが、たんに情報を手でトレースした結果物とも言えて、写真も使っているし、見たまま再現するという意味では官僚的というか、技術的なルールに乗っ取っています。高橋由一とか明治期の絵画とかに近いんだけど、直接参照してるというよりも、アート以前のたんなる技術が混入した状態というか、輸入された遠近法と国家の構造をなぞらえてるところもあるのですが、まずはそのルールを徹底しています。この障害者差別解消法の条文を描いた絵は、iPadに表示したものを描いてる。

福尾:情報として扱うのではなく、物としてすでにあるものを描いているということですね。

会場風景より《障害者差別解消法(抄)保坂展人『相模原事件とヘイトクライム』(岩波ブックレット、2016))61、62頁 資料より》(2021) ©︎ Ken Sasaki 

佐々木:近代絵画は、芸術家や批評家の美学によって対象から情報を引き抜いたり、投与したり、無理矢理自立させようということを行ってきたと思うのですが、それは福祉の言葉でいえば医学モデルの考え方に近いのかもしれません。私にはあらゆる絵画様式がどこか借り物のように思えたし、ひとまずこちらの都合は脇に置いて、目の前に座ってひたすら寄り添うという行為に興味があったのかな。その結果物は具象画と呼ばれるかもしれませんが、絵画は現実の抽象であるところが面白いとも思う訳です。見過ごされたり、消えてしまいそうな声を、私の感情も伴って図像のなかに練り込みつつ、絵画としての強度を与えて、芸術という保管庫に混入させて社会に残せないかなと。写実という狭いルールの幅のなかで、その矛盾したことを同時に試みようとしています。

モチーフは私が選んだものですが、世界にあるものってどこかの誰かによって作られたものでもあるし、ありふれたものを凝視していけば自分にはどうしようもない、取り返しのつかないものを含むわけです。描くことは、現実のタイムラインからちょっと離れてこれってなんなんだろうってひとりで向き合う行為で、それは好きなものを愛でるという感じじゃなく、これ描くのか……と、途方に暮れるようなものも気になります。震災後には放射線量のホットスポットにあった絵画教室の雑巾や、コロナ禍にはマスクも描きましたが、もはや日常生活は(放射能やウイルスといった)目にみえないものにも囲まれているわけです。もちろん対象の表面を描いてすべてを理解できるわけでもないし、それはほかの何かを見えなくすることでもあるのですが。重要なのは自分の外にあったものを、内側に彫り込んで紐づけるというか、あらためて向き合い、考えるための楔みたいなものなのかな。他人事でなくするというか。

雑巾 2014   ©︎ Ken Sasaki 

福尾:なるほど。だからこそ展示全体にもたんなる社会批判とは言えない内省的なものもがくっついて来るわけですね。具象画というものが、すでにあるものとの出会いにおいて私がこうであったということを絵によって実現するように。条文の絵に描き込まれている虹色の偏光も、iPadの液晶自体のものというより液晶と目の出会いが生み出すものですね。客観的に詳しく描くことより、そこに私がいたことが絵に表れていて、すでにあるものの側にも、たとえばお兄さんが電球を集めていることとか、大きく言えば歴史的な帰趨と空間的な構造がそこにあるわけで、それとの出会いが絵として実現される。それは具象画だからこそできることだというのはその通りだなと思いました。

佐々木:内省的なものがくっついて来るってあらためて伺うと、自分がそれをとても大切にしているんだなと、すごく腑に落ちますね……。だから絵なのかなと、私は東京芸大でポストもの派世代の先生たちに、いまさら絵を描くやつはバカで、これからはインスタレーションなのだと教育を受けた世代なのですが(笑)。様々なメディアで制作することはマンネリにならずに新鮮さも保てるけど、なんだか他人の宿題を無理にやらされてるような気もしてきます。年齢的に腰が痛いとか、乱視もひどかったりで、あとどれくらい作品作れるだろうと考えると、残りの人生、必然性のあることをちゃんとやりたいなあと思うのですが、そうなるとますます自分の迷いや弱さや不器用さ、マンネリさも記録され、形式と内容に無様に引き裂かれた具象絵画の内省性に惹かれるのかもしれません。取り立てて超絶技巧でもないのに、なぜこんな古くさい絵を描いているのかよくわからないとも言われますが。今回の展覧会は昔のスキルも総動員して、映像やテクストや家中の様々なものを含めて見せているので、初めて何やってるのかわかったって言ってもらうことも多かったですね。

タニア・ブルゲラがポリティカル・タイミング・スペシフィックと言うような、目の前の政治問題に即効性のある表現ができることはアートの強みだと思います。いっぽう、この展示は事件から5年くらいかかっていて、それはここで扱っている問題が、情報や属性によって見えなくなってしまうそのこと自体とも関係しているわけで、そういう意味でも絵画という、私自身の立ち位置や身体を直接介したものを経由して語る必要があったんだと思います。

電球 2020 ©︎ Ken Sasaki 
会場風景より《テーブルクロス(祖母と母と2人の叔母)》(2013) ©︎ Ken Sasaki 

自分の体を使うこと、そこにあった幸せに目を向けること

福尾:描く人の体があって初めて成り立つものとして具象画があるというのは、こう言うと当たり前に聞こえるけどすごく面白いことだと思います。冒頭に話した、大きな事件の加害者が象徴化されて、知的な社会問題が組み上がって、そのあいだに被害者の個別性・具体性がないがしろにされるという問題を考えたときに、じゃあどうすればいいのかというと、結構途方に暮れてしまうんですよね。

というのも、この取材の準備をしていて、NHKが作った「19のいのち」というサイトを見つけたんですが、ここには希望したご遺族による被害に遭われた方についての文章が集められています。やっぱりそこには「被害者」とか「障害者」とか、そういう属性としてのあり方ではなく、どういうふうに生きたかということが細やかに書かれています。どういうふうな幸せがそこにあったのかとか、どういう人であったのか、どんな出来事があったのかということが書かれていて、それはものすごい強い言葉だと思うんです。それ以上のものがないくらい強い言葉だと思うんだけど、じゃあわれわれはそれにどう向き合ったらいいのか。

加害者の象徴性に向き合うのは簡単と言えば簡単なんですよね。というのは、事件の背景には障害者がどう扱われているかという社会的な背景があって、日本のここ30年の貧しさなりかつての優生保護法なりがその向こうに透けて見えて、もちろんそういう問題に具体的に取り組むのはとても大変なことだけど、そういうストーリーを立てて何か言ったふうに見せること自体はたやすいことです。だけど被害者の家族の方の言葉を前にしたときにそういう語り口はあまりに虚しく見えるし、他方で、共感するとか、失ったものの大きさに改めて驚くとか、そうしたことはもちろん起こるんだけど、そこで口をつぐんでしまっていいのかということがあると思うんです。そのときにじゃあ具体的に何ができるのかというと、やっぱり、自分の体を使うというのがどうしても必要になってくるんだと思います。

象徴化される問題にどういう危うさがあるかというと、ひとつにはそこで体が消えちゃうということです。起こったこともそれに対する応答も何かすべて象徴的なものになって、コメンテーターみたいなことしか言えなくなる。それに対して何ができるのかと考えると、アーティストもそうだし僕みたいにものを書いている人間もそうだと思うけど、自分の体を使うことがやっぱりいちばん大きいことだと思う。それは悲しんだり弔ったりというだけでもなく、ご家族の方に直接何かを返したりということではなくて、すごく素朴な言い方だけど、そこにあった幸せに目を向けることがすごく大事だと思います。

「19のいのち」を読んで印象的だったのが、これも改めて考えれば当たり前なんですが、被害者の方と過ごしていて、そこにどういう幸せがあったか書かれているところがいちばん胸に響きました。だから加害者の象徴性に対して、被害者がたんに「被害者」ではなく、彼ら彼女らが経験していた幸せのあり方に目を向けて、それを自分の体を通して増幅していったり、自分とは別のところに物として切り出したりということがとても大切だと思うんですよね。

だから具体性に向き合うというときに、感情的な共感は出発点にあると思うんだけど、その次にそれを具体的に展開するときに、作品というものが絶対必要になってくると思うんです。そういう、象徴化とは別の回路がこの展示では作られていて、それがいちばん素晴らしいことだと思いました。

佐々木:そう仰っていただけると、本当に来ていただけてよかったです。伝えることの難しさだけでなく、象徴化によって伝わってしまい、見えなくなってしまうことにも途方にくれたからこそ、どうしても作品が必要だったわけで。まさにこの展示は、私自身の個別具体性を開くという意味で「19のいのち」と志を同じくすると思っていました。このサイトでお姉さんとの展覧会の試みが紹介されている高橋梨佳さんと会場でお会いすることができたり、たくさんの方々に私の方が教えて頂くことの多い展覧会でもありました。

そういえば、この展示のことを家族に話す以前に、父が当時、亡くなられた19名の方々の日々の生活を細部まで想像したエッセイみたいなものをびっしり書いていたことを最近になって知ってびっくりしたんです。それは完全に父のフィクションなわけですが、そこに自分たちと同じような生活があったということを、書くことによって確認し訴えるようなもので、なんだか自分と同じようなことを考えてたんだなと思いました。父は若い頃、自閉症を伴う知的障害の親御さんたちをつなげるための講演会を企画したり、会報を作るなどの運動を立ち上げて、仕事そっちのけで没頭していたような人です。

この展覧会には父母の視点のほかにも、祖父母の絵やスケッチブック、大正時代の曾祖父のキャンバス、戦争で亡くなった大叔父たちの絵葉書などが、私の旧作とともに2階の「常設展示室」に展示されています。これらは私のこれまでの仕事を振り返るものでもあり、先ほどの相模川の風景画の話の前日譚というか、私と祖先の絵を通じて、この五味家の歴史と、戦前と戦後の2つの震災前後の時代が重ねられています。

会場風景より、常設展示室(2F)。2014年6月30日(月)と7月1日(火)と2015年7月16日(木)と9月14日(月)と9月15日(火)の記録画(2014-15) ©︎ Ken Sasaki 
会場風景より、常設展示室(2F) ©︎ Ken Sasaki 

祖父が定年後に趣味ではじめた絵画教室の先生を遡れば、日本の官展の歴史があり、それは当時、日本の植民地であった朝鮮、台湾、満洲でも行われていて、それから時代は作戦記録画(戦争画)へとつながっていくわけです。戦後はルポルタージュ絵画運動など、民衆に寄り添ってきた画家たちの歴史もありました。風刺画や戦争画は現代の問題でもあるように、宗教美術として歴史を歩み、時には国家のプロパガンダとして機能してきた絵画の歴史は政治や社会と切り離せないものでもあったわけです。

思うに絵って、様々な時代に翻弄され生きていた描き手たちの身体や生活や憧憬や加害性も、全部ないまぜに練り込まれたかさぶたみたいなもので。私にはどれもこれもがなんだか愛おしいわけです。そういう絵の手前にあるいろんなものを切断し、純粋に「絵画」として切り出したのが「芸術」の政治性だったわけですが。

この家のなかに掛けられているたくさんの絵は、展覧会が終わり、いつかこの家が解体され、私が祖父母のお墓に入っても、もしかしたらタブローの気安さゆえに1枚くらいは残るかもしれませんよね。絵はその時間性によってキュレーションや政治や歴史に抵抗していると考えるのも面白いんじゃないかなって思います。そういうわけで、祖先たちは画家でもなんでもなく、趣味で描いていたわけですが、せめて私が元気なうちはその絵を大切にしておきたいなと。絵はいつも本筋とは異なる文脈でそこに残されているものなのかもしれません。

福尾:社会と芸術とか、趣味と芸術とか、プライベートなものとパブリックなものの対立というより、それが絵においてどうしようもなくつながってしまっているということですね。だからこそこの展覧会も冷ややかな社会に対して温かい家庭を対置するという形にもなっていなくて、ある意味ではもっと残酷なものと向き合っている。それこそ日記を書いていてたびたび感じることですが、生活への憎悪というか、生活を大切にするためにやっていたことがいつの間にか生活を憎む回路になってしまうこととか、よくあることだと思うんですよね。ルーティーンってよく言うけど、それと反復強迫の区別できなさというか。自分でご飯を作るのは楽しいけど、余ったご飯を凍らせなきゃいけないとか、魚を洗ってると泣きたくなってくるとか、生活そのもののなかにある死の匂いってあると思うんですよね。

佐々木:たくみさんの日記は、まさにプライベートなものと密着しているわけで、すごく淡々と描写されているなかに、思わず笑っちゃうようなユーモアや切なさがあるんだけど。毎日更新されるという脅迫性ゆえになのかな、なんだか不気味なところがあるんですよね。黒沢清的というか。その不思議なバランスが好きなんですが。

福尾:日記って本当に何か気持ち悪い存在だと思うんですよ。読む側からしても根源的なポジションの取りずらさがあると思うし。

佐々木:ご結婚されたこととかも、日記のなかで特別な話として仕立てているわけでもなく淡々と書かれていて。共通の友人が全然知らなかったと言っていたので、なんだか不思議な方だなあと。とても読ませる文体で、すらすらと読んでいると、ふと自分との距離に気づいて意表をつかれるというか、自分の家のなかにいつの間にか知らない人がいるような感覚というか。それが怖いのかな。私は昔、ウォーホルの日記を愛読していて、心のなかにウォーホルが住んでいるような錯覚があったのですが、最近は料理なんかしていると、たくみさんの声が自分のなかに入ってくるような生々しい瞬間があります。

福尾:やっぱり、あったことを書いて終わりじゃなくて、書いたことが自分の生活にダイレクトに跳ね返ってきて、それは割り切れないものとしてあるんですよね。とくに親しい人のことを書いたりすると。これは小説だって言えば言い逃れの回路はできるし、Twitterでよく見る料理とか夫婦生活とかのジャンルありきのエッセイみたいなものとして枠づけてしまえば割り切りやすいんだろうけど。

先ほどから出てきている「どうしようもなさ」というのは、様々なレイヤーが私のもとに分かちがたく重なってしまっていて、どのレイヤーに重心を置いても収まりが悪いということでもあると思うんだけど、それを作品として切り出したらそれで終わりということでもなくて、そういう事後的な意味でのどうしようもなさもあると思います。

だからこそギャラリーなり美術館なりに作品を出して終わりではなく、展覧会づくりから応接まで全部自分とご家族でやるということも含め、ある意味では作品に付き添い続けているわけで、そこにも必然性があるわけですよね。

会場風景より  ©︎ Ken Sasaki
会場風景より  ©︎ Ken Sasaki

「母」の役割:「キュレーション」=「ケア」

佐々木:「キュレーション」と「ケア」は語源が同じという話をボリス・グロイスが書いていたと思うけど、アウトサイダーアートやアールブリュットなどに関連づけられる展覧会は行政でも民間でも行われているわけで。ただ、それをどういう人がどういう動機で、誰に向けられているんだろうってことも、やっぱり気になってしまいます。そうした枠組みのなかに、もしも兄が描いたものが入れられていたら私はどう思うだろう?って。これは障害を扱う映画でも演劇でも子供の頃から思っていたことです。ビデオのなかで母が言っていることにも通じるのですが、ケアと言う前にまず相手を知る、知ろうとすること、学ぶことが必要だし、それに関わるアーティストやキュレーターも、まず自分自身の動機にこそちゃんと向き合うことが大切なんだと思います。アートって、非対称性そのものかもしれない、強くて危うい力でもある訳で。それを自覚したうえで、兄にできることはないだろうかということを、自分に向けられた問いとしてずっと考えてきたのかも知れません。

福尾:まさに「アウトサイド」の包摂なわけで、美術の内と外との分割が再生産されてしまうということですね。

佐々木:包摂といえば、たくみさんが年末のTABの座談会で美術業界が政府の「補助金分割統治」に乗っかったことを批判してたけど、この展覧会が行われた2021年はコロナやオリンピック関係の助成金によって、たくさんの大きな展覧会が行われた年でもありました。この企画は協力も協賛も家族(と翻訳を手伝ってくれた友人の奥村雄樹さん)のみの、お金がないなりに工夫して行った展覧会なわけです。それには、ここで扱っている内容に公的な芸術の加害性の問題や、施設における虐待の調査を中止させようとした、当時の行政の動きなどの問題も関係していたということ。それらに対して家族で行う展覧会という形で応答したかった、ということでもあるんですよね。

同時にそのために、まず助成金をとろうとか、デザイナーさんにお願いしようとか、 SNSで話題になりそうな方を呼んでイベントを行おうとか、現代アートの展覧会が包摂されている慣習に取り込まれてしまわないように、設計する必要があるとも思っていました。そのうえで、この部分は必要、みたいに既存の枠組みを確認しながら進めていた感じです。さすがに入場料は頂こうかなとも考えていたのですが、母の、「お金は頂かなくていい、ここに来て、見て、知っていたただければそれでいい」との提案を受けて無料での開催となりました。それと、この展示はコロナ禍で美術館やギャラリーが閉まっていた時期とも重なっていたわけです。それ以前からこの企画は「空き家問題」への提案になるかもしれないとも思っていたところもありますね。どのみち、これからこの場所で何かやるとなったらその都度、お金の問題は重要なのですが。

福尾:言及していただいた座談会では業界単位でのバラ撒きへの批判と、展示のしかた自体をテーマにするような展示が増えていて、それは形骸化した制度批判ではないかという「展示フォーマリズム」への批判を重ね合わせて話しました。それはひとことで言えば、バックヤードの整備と店頭の演出は分けて考えるべきではないかということで、それが混ざっちゃうと楽屋オチみたいな自閉的なものになっちゃうよねという話です。

とはいえ事実上、展示の作り方と展示の内容はどうしたってつながってきてしまうものではあるし、それを一定のしかたで引き受けるべきだと思うんだけど、どこかで話が逆転して作り方が良かったら展示も作品も良いということになると、それは違うかなと思います。フェアトレードコーヒーみたいな、作り方がエシカルだからオーケーという世界になっちゃう。

だから、家でやってるから「手弁当」って言うと変だけど、この展示は家族総出でやってるから素敵とか、作家性を解体しているから良いとか、そいうことではないというところが重要だと思います。繰り返しになるけど、冷たい社会の向こうを張って家族があるという内と外を分けた形にはなっていない。

佐々木:そうですね。家を開くという行為自体に必然性があったわけですが、美術の制度問題に答えることが目的ではなかったですね。初めの交渉相手は、そういった議論を全然共有していない母なわけで……はじめに「おばあちゃん家で実名公表をしたいんだけど」って相談して。そしたら「そんなこと、もうずっとやって生きてきたよ」って言われました。母は、兄の誕生日には小学校の同級生全員をこの家に招待したり、近所の人たちにも兄の障害のことをオープンにしてきて。皆に「こうちゃんのお母さん」と言われてずーっと生きてきたよ、と。母はすごいと思うのですが、そこには学校や施設、ご近所さんまで、母親が頭をさげてまわるような地域社会があり、障害をもつ子供を育てるということだけではなく、家庭のなかで母親に担わされている、ジェンダーロールの問題が分かち難く複合しています。

能勢陽子さんが芸術と家族という2つの閉ざされについて書いて下さりましたが(*4)、はじめのポリフォニー構造の話に戻ると、展示を協働するうえでは、それが自分の家族であっても倫理的な配慮がもちろん必要だし、同時に、私自身が昔の家族ものの映画とかドラマみたいな、家父長制的な役割を押し付けるようなものが大嫌いということもあって。それぞれの視点のすれ違いもそのままに、それぞれ個別に家のなかに置かれる必要があったということでもあります。初めてお会いする方にいきなり家の話を始めても、たんによその家の特殊な事情の話で終わってしまうこともあると思うし、プライベートなものを共有できるかたちで扱うには、距離も、愛情も、両方必要な気がするんですよね。開場してからは母も父もそれぞれ、展覧会を旧知の人たちを久しぶりに応接するきっかけにしてくれてたのもよかったと思います。

福尾:なるほど。それも面白い話ですね。僕が最初に見に来たときも、お母さんが庭で水やりをなさっていて、そこにお友達らしき人がいらして挨拶していて、これは本当に家だし応接だなと思いました。

佐々木:本当に家ですよね。私は小学校で今日は何があったとか、家庭で一切報告しないようなへんな子供だったみたいですが、この企画はすべて家族と共有して進めるしかないわけです。何か作品を置いたりするたびに、両親は忌憚のない意見をどんどん言ってくれて……議論の連続でした。はじめは兄と2人でこれから生きていくために、何もかも自分でやると意気込んでいたわけですが、両親は有難いことに健在なわけだし、2人ともちゃんと向き合わなきゃならないわけで。展示の目に見える箇所で言えば、廊下と居間を分ける襖を、母の提案で外したり、親戚たちも来てくれて、応接間のみんなの写真を目立つ場所に変えようと、母と叔母で提案してくれたり。冬物のカーペットをどれにしよう、植木鉢はどこに入れよう、などなど、その都度相談しながら展示は変化して行きました。

開催直後は感染状況も影響して、ぜんぜん人が来なかったのですが、そんな事情とはお構いなく、変化していく庭には、ずいぶん癒されましたね。母が兄と一緒に出かけた原っぱから取ってきたハクチョウソウや、障害をもつ兄のお友達のお母さんからもらったミソハギや、叔母が植えたトラノオや、祖母がご近所から頂いたギボウシや、鳥が運んできたナンテンとか、庭はこの家の歴史そのものだと気づきました。展覧会に来て頂いた、特別支援教育に携わっておられる先生方、福祉の現場でお仕事をされている、様々な立場の方々の取り組みを教えていただいたことも、私にとって大きかったです。どれもこれも自分の設計した枠組みが、強制的に広げられていくような経験でした。

そして、「お兄さんはどう思われてるんですか?」と、たまに聞かれるわけですよね。兄とは「こうくんの絵、描いたよ、みんなに観てもらっていい?」「いいですよ」みたいなやりとりからはじまって。たまに会場に遊びに来て、カレンダーをめくって、お煎餅を食べて、母の乗ってきた自転車に乗って帰っちゃったりと、兄のペースもできていった感じです。タイミングによって何人かの方には兄に会ってもらえたのもよかった。

その質問は、もちろん私のなかでも繰り返されてきた問われるべき問いなのですが、「本人の了解は取れてますよ」って片付けてしまう話とはちょっと違うというか、実際のところ、いま、兄がどういう状態なのか、嫌がってないかなというふうに、家族はずっと見守り続けてきたわけなので。言葉より、その寄り添い方の方が重要なんですよね。兄は新しい人に出会うのがちょっと苦手で、それでも兄のことや、社会構造の問題を皆さんに知って頂きたいと考えたときに、絵画を介したこういう距離感がよかったということでもあります。なので、この展示の構造ははじめから兄との関係性のなかで設計されているんですよね。

「本人の了解は取れてます」とか、「お金払ってます」って作者はあっさり済ませてしまえるようですが、それは、ケースによっては個人の責任とか同意の話に則って、単純に話を進めてしまっていいのか疑問です。文化芸術に関わる表現者と観客の間だけで共有しているトーンポリシングのように働いてしまう場合もある気がして、それはそれで怖いとも思うんですよね。作者が前提として持っている情報をどこまで共有できているのかってこともあるし、もちろんそのことを前提とした上で、言葉にできない人がそこにいるからこそ、まわりの誰かが何かやらなければならないケースがあるわけです。その相手が誰なのか、ケースによってもアプローチはぜんぜん変わるし、作者にも鑑賞者にも見えていない部分がいつもあるので。その場で何が行われたのかだけでなく、それが現実の社会に何をもたらすものなのか、注意深く見ていくことが大切だと思います。共有可能な社会構造の問題をみつけていくことはやはり重要です。そして、試みの最中にも人は変化していきます。

福尾:それはとても重要な問題提起だと思います。業界内のコンプライアンスの形式化が、業界外の人から体よく言質を取って搾取する口実にもなりかねないということですね。

お兄さんとの関係については、床の間にあるお兄さんの肖像画と対になるように、庭の椅子の座面に張られたささけんさんの自画像がありますね。でも中と外だし、位置関係としても向かい合っているわけではないからそれもまた微妙な距離感ですけど。

佐々木:まさか兄を描く日が来るとは……という感じですが、描きながらあらためて現在の自分と兄の状況に向き合う時間になりました。ビデオに映っている兄弟は小学生ですが、いまや白髪も混じった2人のおじさんです。椅子の自画像は私の視点と責任によって構成された展覧会であることをはっきりさせるために、あっていいように思いました。庭への動線を作りたかったというのもあるけど、この絵は、私が油絵を描きはじめた19歳の頃、受験時代のキャンバスを貼り直したものです。「私がやりました」というか。家族には色々協力してもらっているけど、もちろん私の計画した展覧会なわけで、責任の署名というか。私の身体によって視座を提供するということへの示唆というか、雨晒しくらいが丁度いいんじゃないかなと思ったのかな。この家は母が祖母の介護をしていた時代があって、ところどころ手すりが設置してあって、水場はリフォームされていたおかげで、私は展覧会のバックヤードのキッチンでお茶を淹れたりしてました。

福尾:いっぽうに庭に置かれた椅子というあいまいな場所に自画像があって、他方でささけんさん自身は家のなかでエプロンを着けて応接をしているわけで、その距離から見えてくる複雑さもあります。

それは雑に言ってしまえば、家を出てお兄さんを置き去りにしてしまったことへの自己批判と、お母さんを通してケア=キュレーションの実践に向かうことが重ね合わせられているということだと思います。ただそれだけでもなくて、とくにお兄さんが集めたものや、お兄さんの書いた路線図や算数の練習問題をトレースする静物画においては、それを集めたい・書きたいというお兄さんの欲望のあり方と、それをトレースしたいというささけんさんの欲望のあり方とがダブってくるというか、識別できなくなるようなところがあります。

佐々木:「眼がスクリーンになる」ということですね。

福尾:恐縮です(笑)。

佐々木:でもまあほんとにそういうところがあって(笑)、兄の絵の模写は2013年頃に描いているのですが、それは一般的な美意識とは離れたところで、これを描く兄の気持ちがなんとなくわかるような気がしていました。同時に絵を描いて大学に入って、実家に帰って改めて観る兄の絵の、記号や色彩への兄の感受性ってすごいと思っていて、昔の画家のように模写して学びたい、キャンバスに描いて残したいという両方の気持ちがあったんです。そこには、兄弟としての共感と、鑑賞者としての非対称性とが、どちらも混在しているのかもしれません。

エプロンは台所にしか居場所が無かったということと、お茶を淹れたりで必要になっていったのですが、たしかにこれから兄と2人で生きていくためのエクササイズだと思っていたところはあるのかもしれないですね。たくみさんの日記に登場するお料理はすごく美味しそうで、私はたいしたものは作れないんですが、誰も来ないときは庭のシソとかみょうがを使って、ただただ、料理を仕込んだりしていました。

先日、無人島プロダクションで蔵屋美香さん企画の「すみっこCRASH☆」という展覧会で、久しぶりに折本立身さんの作品を拝見したのですが、折本さんはお母さんが亡くなられた後、自らお化粧して、ご自身がお母さんに変身されていたのが気になっていました。ご自分の身体に直接、もういないお母さんの身体を重ねているわけで、主体や役割が混在した切実な試みというか、このへんは演劇や演技の経験に通じる話かもしれませんが。

兄の絵を模写する(路線図) 2013 ©︎ Ken Sasaki 
会場風景より《兄の絵を模写する(信号機)》(2013)  ©︎ Ken Sasaki 

「片手間芸術」としてのレッサー・アート

福尾:ウィリアム・モリスが言った Lesser arts(レッサー・アート)って、日本語では「小芸術」って訳されてるんですけど。

佐々木:レッサーパンダの「レッサー」ですね。

福尾:そうです。レッサーパンダはもともとたんに「パンダ」だったのにジャイアントパンダのほうが有名になってレッサーパンダになったらしいです。

モリスは工芸的なもの、装飾芸術的なものを指してレッサー・アートと言っていて、それに対して絵画や彫刻はキャピタルな大文字の芸術です。これは日記を書いていて思いついた勝手な読み替えなのですが、それをジャンル間の弁証法的な対立として考えるより、あらゆる芸術に何かレッサーな部分、マイナーな部分があると考えたほうが面白いんじゃないかと思ったんです。

レッサーであることを芸術「未満」のものとして考えるんじゃなくて、あらゆる芸術的な実践が片手間でなされたり、傍らでなされたり、生活のほうに否応なく引っ張られることをポジティブに考えるということです。だから無理矢理だけどレッサー・アートは「片手間芸術」って訳したほうが面白いんじゃないかと思って。

それはパブリックな芸術とプライベートな生活を切り離すこととも違うし、フーコーの「生存の美学」的に、生そのものが芸術なのだと言うこととも違います。レッサーであることとはそのあいだにある小数点以下の割り切れなさから逃げないということであって、絵画はジャンルとしては伝統的だけど、この展示にはそういうところがあると思いました。

佐々木:なるほど、面白いですね。割り切れなさも作ることによって切り出されないと把握できないだろうし、作品という入れ物が必要なのかもしれませんね。絵でも日記でも。仰るように、この展覧会は伝統的なジャンルである絵画をメインに据えることで、幅広い方々に来て頂きたいと考えていたところがあります。とはいえ、私は絵画とか画家とかってもはやたんなる制度というか、いまに生きる人たちが美術史に紐付いたその力を利用したり、解釈したり自覚的でも無自覚でも、いまそこで何をしているのかなって話だと思っていて。もしかしたら私もたくみさんも、大文字の「芸術」や「絵画」、そして「日記」とも異なる、レッサーなものを含みこんだ新たな断層、作品のあり方を探っているのかもしれません。この展示は家をまるごと使ってるわけで、文字通りにレッサーなものだらけなのですが(笑)、日記や絵画そのものに、そういった領域が交差しているというお話は実感としてとても共感できるものです。

以前、イザベレ・グラーフが言っていた、絵画の準主体性みたいな話を延長させて考えてみるんですが、現在の国際展などで絵画が担わされている役割って、もはやメディウム・スペシィフィックなものに留まらないわけで、それは作家自身を、そしてその属性をも代替させるものであるということです。それは絵画が、美術史を担保にして主体が生成される制度であるということでもあり、男性中心の非対称性そのものであった芸術に奪われてきた、様々な声を奪還するフィールドとして機能しうるということでもあります。

そして先ほどの話でいえば、描くことには描き手の立場に定位しきれないゆらぎをも伴うわけで。そこには複数の属性の重なりや、引き裂かれ、変化や、こだわりや、老いなども練り込まれた、かさぶたのような記録媒体であるのではないかと。つまり、そこにたんなる属性の代替物に留まらない重層性があるからこそ、その見知らぬ誰かの声を自分の内側で共有できる可能性があるというか。絵の前でかさぶたをデコードし、その流れに身を重ねるのは本当に豊かな経験です。それは主体の変化の呼び水ともなるような双方向性も伴っていて、私にとっては生きるうえでの救いや希望でもあります。これは、そういうふうに絵をみるのも面白いんじゃないでしょうか?という素朴な提案でもあるのですが。

福尾:そうですね。震災あたりから「当事者性」という言葉をよく見るなと思ったらここ数年はそれも越えて、素朴な代弁による包摂が進んでいる状況だと思います。千葉雅也さんが批判している安直な「アライ」のような。美術もそうした弛緩したアイデンティティ・ポリティクスに巻き込まれていて、作家の属性や作品で扱われている人物の属性が批判的価値と短絡されがちなところがあると思います。

それに対して、かさぶたとして絵画を考えるということは、描いた私の痕跡は避けようもなく残るんだけど、それが私の全人格的な何かを表しているわけではないということだと思います。それは描かれている対象の側からしても同じことで、象徴的な秩序を束ねている「私」と「対象」とか、あるいは社会的属性とか、そういうものを切り落とすことで見えてくる何かうじゃうじゃしたものがあって、そういうレッサーなレベルにあるものを取り出すためにこそ作品が必要になる。ここにはいわゆる「作品の存在論」の新しい可能性があるかもしれません。作家の社会的アイデンティティでいいんだったら作品はいらないし、生きていることがそのまま芸術なんだったら作品はいらないわけで、作品経験が作家に直接会うことの劣化したコピーにしかならなくなります。そういう意味で、美術への反省が込められた展示ではあるけど、僕にとっては美術というものがあって本当によかったと初めてまっすぐに思えるような展示でした。

会場風景より  ©︎ Ken Sasaki
会場風景より《兄の肖像》(2021)  ©︎ Ken Sasaki 

芸術の力で世界を変えるということ

佐々木:私にとっても、ほかに言葉にする方法がなかったというか、様々な要素を詰め込める美術という形式があって本当に良かったなって思っています。とある新聞記者の方に仰って頂いた言葉があって。「社会問題を扱う報道や記者会見、勉強会などの一般的な取り組みとは異なり、当事者/非当事者というそれぞれの立場に集約されるのではなく、各々の生活や人生における様々な経験と照らし合わせながら鑑賞できる。それは一方的な情報提供ではなくて、見にきた人が語る余地もあるし、それによって双方向性が生まれる。この展覧会というアプローチはすごくいいと思った」と。

展覧会に来てくれたお子さんたちはナンテンの実を集めて庭をぐるぐると回っていたり、「縁側があって実家を思い出しました」と仰る方、母のファイルに感動してくれた方、兄の行為に共感していた画家の友人とか。頂いた感想が皆さんそれぞれで、そのことになんだかほっとしました。

兄の肖像画は彼が微笑んでいるところを描いていて、できることならいつもあんな表情でいてくれればと思うのですが、それには色々な条件が重ならないと結構むずかしいんですよね。電車がちゃんと時間通りに来たりとか、私が実家に帰る際には何時に着いて何時に帰るかをはじめにちゃんと伝えるとか。私は「障害」という言葉を社会の方に存在するという社会モデルの考えで使ってますが、「こだわり」のつよい兄の場合、極端にいえば社会をまるごと変えるしかないかもしれないんですよね。

何年か前、鎌倉駅前に視覚障害の方のために、音の出る信号機が設置されて。それは素晴らしい取り組みなのですが、高音のリズムが苦手な兄はもうその道を通れなくなってしまいました。それでも、この展覧会を通じて兄のことを知って頂いたどなたかが、ある日、駐車場の隅っこで10円玉を年代順に黙々と並べている誰かを見かけたとき、大きな声で怒ったり、笑ったりしないで、それはもしかして、その人にとって何よりも優先される切実な行為かもしれないとか、その人の帰りを心から心配して待っている誰かがいるかもしれないとか、ちょっと想像してもらえるだけでも、そんなささやかな共有は、社会と芸術とかソーシャリー・エンゲイジド・アートというような大袈裟な話ではなくて、私たちにとっては比喩でもなんでもなく、芸術の力で世界を変えるということです。

会場風景より《10円玉》(2021) ©︎ Ken Sasaki 

それともうひとつ、津久井やまゆり園での事件の加害者も絵を描いていますよね。先ほどの話でいえば、絵は描き手の複数の声をかたちにできるが故に、倫理を逸脱した表現をも結果的に社会に保存させることがあるわけで。もちろん絵はとうに公的な記録媒体としての社会的役割を担っていないわけですが。その絵は、事件の手前に存在していた施設の問題を検証することにつながるかもしれませんし、死刑制度に関する議論につながることもあると思います。しかし、そういう問題とは異なるところで、私の目の前が真っ暗になったあの日のことを、そしてこれまでの家族の生の記録を、私自身の手によっても残さねばならない、と思うところがあったわけです、絵という形で。これはアートとか倫理とかとは異なる次元での私のもうひとつの動機でもあります。  

福尾:そのふたつを同時に考えるというのはやっぱりすごいことだし、とても勇気が要ることだと思います。

佐々木:でも勇気というか、これから私はどうなるんだろう……と、未来のことを考えたらやる一択でもありました。中年に差し掛かった私の同世代の生活はそれぞれですが、障害のあるなしに関わらず、親の介護や子育てなどにコロナ禍が重なって、家庭という閉ざされのなか、苦しんでいる人たちをたくさん見てきました。「合流点」は家族が元気ないまだからこそできたことだし、やるべきだったと思っています。

展示はひと段落しましたが、その後も様々な施設で感染者や濃厚接触者が出てしまって大変だったり、最近、兄に持ってもらった見守りアプリの調子が悪くなって大騒ぎしたりと。相変わらず問題は次から次へとやってくるわけです。それでも兄と私とでこれから生きてくうえで、ひとまず、やっと言えたというか。たくみさんに日記に書いてもらえたり、こうやって福島さんにインタビューで紹介して頂いて、展示と兄について知って頂ける。その時点でもうやってよかったなって思えるんです。この機会に出会えたすべての皆さんに、あらためて感謝したいです。

私のようなアーティストやキュレーター、ライター、批評家、研究者さんも、自分や世間の興味や関心がなくなれば、その場所から離れることができます。もちろん現実の問題が解決され、語られる必要がなくなるのがいちばんいいのですが、それがとても難しい場合があります。ずっと寄り添うことって基本的にとてつもなくしんどいことで、関わることで自分のほうが壊れてしまうこともあるから、距離がとれるならその時間が必要なときがあります。けれど、みんなが興味をなくし、誰もいなくなっても、そこから離れられない、離れることができない人がいるということです。

いつのまにか、何かを隠匿する大きな声に加担していたり、誰かを忘れて話を尖らせ、傷つけていないかと、せめて気を配れる余裕のある状態にまず私自身がありたいと思うし、どうやら逃げられない。逃げないって決めたんだったら、いっそのこと自分も社会も変えるための契機だと思って、無理しすぎない範囲で楽しみながら、何かしら出来ることをちょっとずつ取り組んでいったほうが、それはそれで面白いんじゃないでしょうか。

会場風景より  ©︎ Ken Sasaki 
会場風景より  ©︎ Ken Sasaki 


*1 ──tfukuo.com 日記「11月26日」 http://tfukuo.com/2021/11/27/211126/

*2──加害の象徴化という問題については、東浩紀「悪の愚かさについて、あるいは収容所と団地の問題」(『ゲンロン10』、ゲンロン、2019年)および「悪の愚かさについて2、あるいは原発事故と中動態の記憶」(『ゲンロン11』、ゲンロン、2020年)が取り組んでいる。しかし東の議論において加害の象徴化は、実際は「無意味」かつ「無作為」になされた愚かな悪に意味を付与し記憶するための被害者側の行為として想定されているのに対して、ここで僕(福尾)が考えているのは、社会が当の社会のなかで起きた悪を歴史化し意味づけるプロセスの外に被害者の具体的な生が置かれるという事態である。この議論の方向性の違いと部分的な重なりから導かれるものについては、今回の展示から受け取った問題として僕なりに引き続き考えたい。

*3 ──ウェブ版「美術手帖」、蔵屋美香「異なる位相にある事象のあいだを流れる絵具の重み。蔵屋美香評 佐々木健「合流点」」、2021年11月13日 https://bijutsutecho.com/magazine/review/24811

*4──「アートスケープ」、能勢陽子「家族と芸術、社会の「合流点」佐々木健「合流点」」、2022年3月1日 https://artscape.jp/report/curator/10174603_1634.html

佐々木眞、佐々木美枝子、佐々木耕、佐々木健 ©︎ Ken Sasaki

佐々木健
ささき・けん アーティスト。1976年神奈川県鎌倉市生まれ。東京藝術大学大学院壁画科修了。主な活動に「仮説オープンスタジオ」(青山|目黒、2019)、「不純物と免疫」(Bangkok Biennale、ホワイトライン、バンコク、2018/BARRAK、沖縄、2018/TOKAS本郷、2017)、「One Night Painting Show|一晩だけの絵画展~小林晴夫さんを描く~ 」(blanClass、2013)、「座談会 なぜ、岸田劉生だったのか?」(青山|目黒、2013)、「These/Foolish/Things」(青山|目黒、2013)、「Still Live」(青山|目黒、2011)。
https://ken-sasaki.com

福尾匠

ふくお・たくみ 現代フランス哲学、批評。1992年岡山県生まれ。日本学術振興会特別研究員PD(立教大学)。著書に『眼がスクリーンになるとき:ゼロから読むドゥルーズ『シネマ』』(フィルムアート社)、論文に「ポシブル、パサブル:ある空間とその言葉」(『群像』2020年7月号、講談社)、「ベルクソン『物質と記憶』の哲学的自我:イマージュと〈私〉」(『表象』第14号、表象文化論学会)等がある。先日、個人サイトで公開していた日記をまとめた『日記〈私家版〉』を自主制作し、365部限定で刊行した。詳細は以下のリンクから。