公開日:2023年7月26日

「大巻伸嗣—地平線のゆくえ」(弘前れんが倉庫美術館)レポート。太古から未来へつなぐ、命のリレーション

青森のリサーチから世界観を広げた、大巻伸嗣の東北初の個展

Echoes Infinity -trail-(部分) 2023 撮影:木奥惠三

「青森」という肉体と精神の旅

「存在」とは何かをテーマに制作を続けてきた大巻伸嗣が、縄文時代からの歴史的時間が堆積する青森という土地と出会った。その成果は、弘前れんが倉庫美術館10日9日まで開催中の「大巻伸嗣ー地平線のゆくえ」で見られる。波打つ1枚の薄い布で時間と空間の領分を表す「Liminal Air Space-Time」、白いフェルトの床一面に植物や風物、紋様を描く「Echoes-Infinity」といった代表的なシリーズが、青森の人や自然に触れる体験を通じてバージョンアップされ、新作とともに、新たな死生観のストーリーを紡ぎ出している。

《Echoes Infinity -trail-》を制作中の大巻伸嗣 撮影:成田写真事務所

大巻が、東北での初個展に向けて青森を旅したのは昨年の11月末。初雪が降っていた。出来島海岸で約2万8000年前のものとされる埋没林、奇岩で有名な仏が浦など、津軽半島や下北半島をはじめ県内各地を回った。「青森全体がひとつの肉体のようで、そこから湧き上がる精神性を感じながら歩いた。人智を超えた力を感じながら、伝説や信仰の営みを感じる旅でもあった」と振り返る。

下北半島でのリサーチの様子

いっぽう、六ヶ所村に立ち寄り、使用済み核燃料の再処理工場計画などを紹介する「六ヶ所村原燃PRセンター」を見学。かつて過疎化の一途を辿っていた村は、原子力施設の受け入れと引き換えに近代的な街に再開発された。そんな社会構造を目にしながら、文明の豊かさとは何か考えざるを得なかったという。

また、弘前では岩木山にある赤倉霊場や、鬼沢地区の鬼伝説に関わる鬼を祀ったとされる「鬼神社」を訪ねた。拝殿の扁額に書かれた「鬼神宮」の「鬼」の文字には上部の「ノ」がない、つまりツノのない優しい鬼を表す。かつて「おおひと」と呼ばれる者が、谷底から水を引いて、低い方から高い方へ流れる逆さ堰を造ってくれたという伝説があり、鋤や鍬などの農具が奉納されている。鬼とは、平安時代の征夷大将軍、坂上田村麻呂の蝦夷(えみし、えぞ。大和朝廷に服従していなかった東北にもともと住んでいた人々)討伐から岩木山に逃れた落武者か、卓越した灌漑・製鉄技術を伝えた渡来人ではないかとも言われている。村のために働いてくれた鬼神様として、同地にはいまも節分の豆まきの風習がない。

弘前市鬼沢地区にある「鬼神社」と「鬼沢のカシワ(鬼神腰掛柏)」を訪ねて
鬼沢のカシワ(鬼神腰掛柏)。キュレーターの難波祐子も同行した

ほかに鬼が腰掛けたという柏の木もある。柏の葉は、春に新芽が出るまで落葉しない。大巻はその葉を人間の掌に見立て、自身の血管をトレースし柏の葉に重ね合わせた作品《Oak Leaf -the Given-(Right)》と《Oak Leaf -the Given-(Left)》を制作。展覧会の入口と出口に展示し、出口は藍染職人の協力で暖簾にした。その根底には、大巻自身が同年に静脈瘤を患い、命の循環について考えた思いがある。

Oak Leaf -the Given- (Right) 2023 撮影:木奥惠三

鑑賞者は、この始まりと終わりのあいだで、光の玉が煙となって落ちていく《sink》、世界地図《Flotage》と回転する《Liminal Air -core- 天 IWAKI》《Liminal Air -core- 地 IWAKI》を組み合わせたインスタレーションなどを体験する。

奥:壺を描いた《Abyss》(2017〜2023)、手前:円形の世界地図《Flotage》(2004-2006)、岩木山が織りなす空と大地の風景をモチーフとした《Liminal Air -core- 天 IWAKI》《Liminal Air -core- 地 IWAKI》(2023) 撮影:木奥惠三

夜の海を想像させる《Liminal Air Space-Time: 事象の地平線》は、《Liminal Air Space- Time》[1] シリーズ最大級、幅約15m×11mの作品を実現した。大巻は、津軽の海の波の高さ、沿岸流域で自然と共存しながら生活を続ける人々に感嘆し、このエネルギーをこそ表現したいと考えた。波のように動く布の中に空気をためながら、スローモーションで上がっていくのは、隆起する陸のイメージだ。このインスタレーションでは、津軽の人々の声を集めて作られた「音」も聞こえてくる。目を凝らしていると、寄せる波にできる空洞が「喉」に見えてきた。

Liminal Air Space-Time: 事象の地平線 2023 撮影:木奥惠三

あちら側とこちら側をつなぐ音、声

大巻は今回、音や歌を作品に取り入れている。美術館自体をひとつの身体として、奥から声や音が聞こえてくるように構成されているので、音に耳を澄ませながらの鑑賞体験も楽しめる。暗い森の中でキツツキが木をつつく音が聞こえる《KODAMA》もそのひとつだ。本物の樹木を展示室にインストールしているので、木の密度と水分量により音が少しずつ変わっている。キツツキは、先の見えない世界に穴を開け、向こう側にたどり着くための使者でもあり、音はモールス信号になっている。足元には、韓国や中国、台湾など向こう岸の国からの漂着物を点在させている。“精霊の森”の中で、現実の時空間を超えて、向こう側とこちら側がつながっていくようだ。

KODAMA 2023 撮影:木奥惠三

また、大巻が地元の協力者と協働し、楽曲『三月の水』の歌詞を参照しつつ、津軽弁で歌った映像作品《Before and After the Horizon》もある。リサーチする大巻の姿を見て、キュレーターの渡辺真也が「(ブラジルの作曲家)アントニオ・カルロス・ジョビンの歌みたいだね」と呟いたことに端を発し、津軽の人々の協力でできた作品だ。津軽弁が心を明るくする。「三月の水 冬終わらせる 春さなるのは 命の約束(三月の水 冬を終わらせる 春になるのは 命の約束)」。

《Before and After the Horizon》の絵コンテより

三月と聞けば誰もが東日本大震災を思い浮かべるだろう。その記憶を風化させないと同時に、春を待つ季節でもあることを思わせる、作家から青森への返礼のような歌だ。

命の約束とはなにか

この『三月の水』の歌詞にある「命の約束」とはなんだろうか。

そのひとつは、弘前れんが倉庫美術館が受け継いだ建物の命ともいえる。煉瓦倉庫は、明治・大正期の実業家、福島藤助の「かりに事業に失敗しても、市の遺産として役立てばよい」という志のもと酒造工場として建てられ、戦後の実業家・吉井勇が日本初のシードル工場として活用した場所だ。その後の変遷を経て、建築家・田根剛の設計により、場所が持つ記憶を継承しながら美術館に改修され、コロナ禍の2020年に開館した。

弘前れんが倉庫美術館 ©︎Naoya Hatakeyama

2002年に弘前出身の作家、奈良美智の展覧会を市民の手で開催したことが、後年、美術館に生まれ変わるきっかけにもなった。1本の電話から始まったこのプロセスを振り返る展覧会「「もしもし、奈良さんの展覧会はできませんか?」奈良美智展弘前 2002-2006 ドキュメント展」(2022)を鑑賞した大巻は、「奈良さんと話し、市民のみなさんの意思を感じて、美術館と市民とのさらなるつながりを作りたいと考えていた」。

そのさなか、展覧会準備中に体を壊した大巻は「一人ひとりの命の有限性について身をもって感じ、だからこそ人間は次世代につなぐことで無限や永遠に近づいていこうとするのだと確信した」。

自分たちが生きている間凌げればいいという短期的な経済優先の思考を「希望」とは言い難い。弘前からの帰り道、子供たちの姿を目にしながら、柏の葉に若葉が繁るような、次の波がまた次の波になるような命のリレーションを「約束」と呼ぶのだろうと考えた。

Echoes Infinity -trail- 2023 撮影:木奥惠三

白坂由里

白坂由里

しらさか・ゆり アートライター。神奈川県生まれ、千葉県在住。『ぴあ』編集部を経て、1997年に独立。美術を体験する鑑賞者の変化に関心があり、美術館の教育普及、芸術祭や地域のアートプロジェクトなどを取材・執筆。『美術手帖』『SPUR』、ウェブマガジン『コロカル』『こここ 』などに寄稿。