会場風景より「フルックス・ランチ」シリーズ(1990年代) 深瀬記念視覚芸術保存基金蔵 撮影すべて:筆者
「めがねのまち」として知られる福井県鯖江市。同市の文化施設「鯖江市まなべの館」で、斉藤陽子(さいとう・たかこ、1929~)の日本初となる回顧展「斉藤陽子× あそぶミュージアム」が開幕した。会期は8月9日〜10月12日。

1929年、福井県鯖江市に生まれた斉藤は、戦後の美術教育運動「創造美育運動」を経て、1963年に渡米し、国際的な前衛芸術運動「フルクサス」に参加した。その後はアメリカ、フランス、イギリス、イタリア、ドイツを拠点に、絵画、版画、オブジェ、インスタレーション、パフォーマンス、サウンド、出版物など多様なメディアを通じて、観客の参加を促し、アートと観客の関係を再構築する作品を発表してきた。1979年からはドイツ・デュッセルドルフを拠点とし、96歳となる現在も精力的に制作活動を続けている。

斉藤は日本女子大学で児童心理学を学び、鯖江市内の中学校で教員として勤務した後、美術教育運動「創造美育運動」に参加した。1952年、久保貞次郎、北川民次、瑛九、瀧口修造ら24名によって創設された「創造美育協会」は、子供の絵に価値を見出し、その自由な発想や個性を尊重することを理念としていた。斉藤は木水育男、川上高徳とともに福井県支部(福井創美)を創設し、事務局を担った。創造美育ゼミナール(創美サマーキャンプ)では、のちにフルクサスのメンバーとなる靉嘔(Ay-O, 1931~)の存在を知り、彼の渡米を機に自らも渡航を決意する。

1963年、斉藤は念願のニューヨークへ渡り、靉嘔の紹介で「フルクサス」創設者ジョージ・マチューナス(George Maciunas, 1931~1978)と出会った。マチューナスは、斉藤が手がけた釘を使わない日本の伝統的な組み木細工に魅了されたという。斉藤はフルクサスに参加すると、ボックス作品の制作を展開した。「彼女の文化的背景は、おそらくグループの審美的な選択、とりわけ〈箱〉シリーズ全体に影響を与えたとみられる」(*1) と評されている。
また、チェス愛好家であったマチューナスのために、木工技法を応用したチェス作品の制作にも取り組んだ。「フルックス・チェス」シリーズでは、異なる音が鳴る木のキューブや、ボルトとナット、ガラスボールとライト、小瓶、スパイス、さらには赤ワインと白ワインの入ったグラスなど、日用品や多様な素材を駒として用いたユニークなチェスセットを作り、観客に五感を刺激するチェス体験をもたらした。



本展は、深瀬鋭一郎(深瀬記念視覚芸術保存基金代表)のコレクションによって構成されている。深瀬は旧清里現代美術館からフルクサス・コレクションを継承して以来、千数百点に及ぶフルクサスの作品と資料を所蔵し、そのうち斉藤陽子の作品は現在約300~350点にのぼる。深瀬によれば、斉藤は日本国内ではほとんど知られてこなかったいっぽうで、ドイツやフランスでの人気が高く、すでに世界で100館近くが作品を所蔵している。
本展開催のきっかけは、ドュッセルドルフの隣街でパン屋を営む日本人女性が「ぜひ彼女のことを知ってほしい」と鯖江市長に宛てて働きかけたことにあった。この声を受け、鯖江市は市政70周年の記念事業として展覧会の開催を目指し、予算確保に動き出した。
地方を拠点とする筆者の実感としても、国内でまだ十分に知られていない作家の活動を地方自治体が真摯に受け止め、限られた財源のもとで展覧会に結実させた意義は大きい。本展は斉藤の再評価にとどまらず、地方におけるアートの可能性を開くロールモデルとなるだろう。
オープニングでは、由本みどり(ニュージャージー・シティ大学教授)による「鯖江から世界へ―斉藤陽子70年の軌跡」と題したトークが行われた。由本はこれまでも、斉藤が参加したフルクサスのなかで、オノ・ヨーコ(1933〜)、久保田成子(1937~2015)、塩見允枝子(1938~)といった日本人女性アーティストの実践に注目してきた。

由本は、フルクサスに参加したほかの女性アーティストとの比較を踏まえつつ、斉藤の独自性を次のように語った。
「オノ・ヨーコのように言葉を使った作品で人々の想像力を刺激する点など、共通する部分はあります。斉藤はそのなかでも、とくに“子供の遊び”や、手を動かして物を作ることから生まれる創造性に強く惹かれてきたアーティストです。コンセプチュアルなアプローチよりも、素材や造形を通じて創造性を喚起するタイプだと思います」

さらに、「なぜ斉藤の存在が日本国内であまり知られていないのか」という質問に対しては、次のように答えている。
「斉藤は“こうでなければならない”という理想が自身のなかに明確にあり、それを実現できない美術館では展覧会をしなかった。だからこそ、これまで国内での発表の機会が少なかったのだと思います。これは中学校教員時代の経験にもつながっていると思いますが、彼女は“遊び”に徹底していて、観客と観客の間に介在し、見る人の遊び心をくすぐり、刺激することに最も関心を持ってきました」

日本時間の20時、「ドイツからオンラインでつなぐ 斉藤陽子 オープニング・パフォーマンス」が開催された。斉藤の姿が画面に映し出されると、彼女が「オペラ」と呼ぶパフォーマンスが始まった。斉藤が「ウーウー」、「ホッホッホッ」、「アーアーアー」、「ポッポッポ」と発声すると、会場の約30名の参加者も次々と自由に声を重ね、鯖江市の佐々木市長も(恐竜を思わせる)「ガオーガオー」と応じた。最後に斉藤が笛を鳴らすと、即興的な合唱のようなパフォーマンスは終了した。

まなべの館の清掃員の水嶋氏によると、「鯖江は、イラストレーターの久里洋二の故郷であったり、兜山古墳があったりと、面白い人が集まるところです。今回の展覧会は搬入のときから毎日見てきましたが、小さな作品が数多くあり、とても楽しい。2回でも3回でも、見るたびに新しい楽しさがあります」

また、フェミニズム、ジェンダーの視点から美術史を論じてきた北原恵(大阪大学名誉教授)は、斉藤について、「20年ほど前、小勝禮子さんと一緒にデュッセルドルフのアトリエを訪ねて以来、大好きなアーティストです。たとえば、アトリエの壁をアーチ型にくり抜いてドアを作っちゃったり、床にも絵が描かれていたり。廊下にもずらーっと実験中の素材が積まれていて、ちょっと度肝を抜かれました。そんなアトリエ見たのは初めてでした」

金沢とロンドンを拠点とするデザイン史家の菊池裕子(V&A博物館学術部長)は、斉藤のトランスナショナルな実践について、次のように評価する。「ロンドンでもまったく知られていない、イギリス・デヴォンで活動したメキシコ人の夫婦によるインディペンデント・プレス(Beau Geste Press,1971~1976)のものがある。斉藤はいろいろな周縁的な場にネットワークを持ち、移動していたことが非常に興味深い。それから、キッチン用品など、女性が日常的に使う道具を取り入れて作品化しているのも面白いですね」

「キッチン」といえば――由本によると、フルクサスの拠点では、ジョージ・マチューナス(下図の中央で眼鏡をかけている男性)を中心に、斉藤陽子、久保田成子、塩見允枝子の3人が夜ごとに夕食を用意する 「フルックス・ディナー・コミューン」が行われていた。当初は買い物・調理・片付けを当番制で分担する取り決めだったが、実際には負担が女性に偏り、長続きしなかったという。

斉藤はこの経験を、トレーシングペーパーにインクで描き、一部を炎で焼いたドローイング《無題(フルックス・ディナー・コミューン)》(1998年頃)として作品化している。また、日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴのインタビューでは、マチューナスとの関係や当時の生活・制作について詳しく語っている(*2)。そこから浮かび上がるのは、男性を中心に展開された芸術運動や共同体的実験の背後に潜む不可視の労働(=シャドーワーク)である。これは斉藤をはじめフルクサスに参加した女性たちの実践を理解するうえで欠かせない視点であり、美術史におけるジェンダーや権力の問題を再考させる。
また、深瀬によると、2021年に開催された「Viva Video! 久保田成子展」(新潟県立近代美術館、国立国際美術館、東京都現代美術館)の時点で、斉藤の所蔵作品はわずか25点程度にとどまっていたという。しかし、ナム・ジュン・パイクの「パートナー」として長らく十分に語られてこなかった久保田成子の展覧会が大きな成功を収めたことは、同じくフルクサスの日本人女性メンバーであった斉藤陽子の重要性を再認識させるきっかけとなり、今回の展覧会の実現へとつながった。本展の開催は、日本や世界の至るところでなお見過ごされている「偉大な女性アーティスト(Great Women Artists)」たちの存在を、私たちはこれからどのように再評価へと結びつけていくかを強く意識させるものであった。
*1──AWARE: Archives of Women Artists, Research & Exhibitions https://awarewomenartists.com/en/artists_japan/斉藤-陽子/ (参照:2025-8-23)
*2──日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴhttps://oralarthistory.org/archives/interviews/saito_takako_01/(参照:2025-8-23)