飯川雄大 撮影:編集部
身近な風景や物事を注意深く観察し、人々の認識の不確かさや、社会で見過ごされがちな存在に目を向けさせる作品を制作してきたアーティスト、飯川雄大の大規模個展「大事なことは何かを見つけたとき」が、水戸芸術館現代美術ギャラリーで5月6日まで開催されている。
巨大な壁がそびえ、天井からロープが吊り下がり、複数のハンドルが並ぶ展示室。細かな説明は省かれ、そこでどのような作品体験をするかは鑑賞者の反応に委ねられている。自身が手がけてきた様々なシリーズをこれだけ多く展示するのは初めてだという本展にあたり、飯川はどんなことを考えていたのか? 「障害は世界をとらえ直す視点」をテーマに活動するキュレーター/社会福祉士の田中みゆきを聞き手に迎え、展覧会初日に話を聞いた。【Tokyo Art Beat】
*本展のレポートはこちら
田中 飯川さんには、昨年私が座間市で企画した展示「ある⽇」に、出品作家のひとりとして参加していただきました。同展では、座間市役所の「相談窓口」に設置されたハンドルを誰かが回すと、建物の屋上から吊るされたバッグが動く仕掛けなどを含む、飯川さんの代表的な作品《0人もしくは1人以上の観客に向けて》を展示しました。ただ、じつは、観客が巨大な壁を動かす作品《配置・調整・周遊》は、建物の制約もあり実現しなかったんですよね。私は同作が好きなので、まずは今回、水戸で体験することができて良かったです。
飯川 見てもらえて嬉しいです。《配置・調整・周遊》は、展示する場所の建築や設備に合わせて設計しなくてはいけないから、環境を整えるのが大変なんです。予算と安全面の確保、あと調整する時間が必要で。

*ここで水戸芸術館(以下、水戸芸)のスタッフが取材場所に現れ、展覧会場の一部が観客にとって「危険」になる可能性があるため、対応策を飯川に尋ねて去っていく。
田中 観客自身の発見を大切にされている展覧会なので、詳しくは触れませんが、今回の水戸の会場にはかなり大規模な仕掛けが無数に散りばめられていますよね。けれど、それらにはなんの指示も、注意書きも添えられていない。なので、取材日の今日は展覧会の初日なのですが、先ほどから美術館の方たちが会場の安全対策に奔走されています(笑)。だけど、一歩引いて考えてみると、一体誰が、何をもって「危険」だと判断するのかは難しい問題でもありますよね。
飯川 「危険」だと思っているってことは、想像が働いているときやから、危険も「面白い」に近いんですけど、怪我してからだと危ないから、擦り合わせは多いですね。企画の段階で削られてしまうものや、危ないと言われていても具体的になったら意外に危なくない部分もあるし、完成したらめっちゃ危ない作品もある。感覚や経験の話だから、本当に人によってとらえ方が違いますね。
壁の作品を2020年の「ヨコハマトリエンナーレ」に出品したときは、展覧会のオープン前に作家とキュレーターチームで市の消防署の担当者の方を案内して。危ないから展示を止めたり調整したりする可能性もあったけど、消防の人が「面白い!」と言ってくれて、もう一回体験したいとなって、ほっとしたことを覚えています。だけど、展示が始まると何が起こるかわからないから、「とにかく早く見に来て」と周りに言っていました(笑)。

田中 そういった一種の曖昧さを、スタッフや観客と楽しんでしまうところに飯川さんの展示の核心があるわけですけど、いっぽう、その曖昧さは社会のなかででどんどん許されなくなっているように思うんです。
というのも、じつは先日、用事でJR山手線の田町駅で降りた際、東口の広い通路の床にびっしりと線や矢印が引かれ、多くのポールが置かれていて、「改札に向かう人はここを歩く」などと、導線が細かく指示されている光景に出会ったんですね。通行量の多い場所ゆえ、トラブル回避のための対策なのでしょうが、これほどまでに人の主体性や人同士の接触すら省かれようとしているのか、社会はここまで劣化しているのかと、驚くと同時に腹立たしく感じたんです。それとは対照的に、今回の展示空間には、観客に対するなんの強制性もありませんよね。もちろん、そのことに戸惑う人もいるとは思いますが。

飯川 実際、そういうスムーズな流動性みたいなものは、今回の展示ではまったく求めていないです。むしろ、いかに戸惑って、考えたり試行錯誤したりする時間を作れるか。一回進んだ後にも何かに気づき、行ったり来たりする体験を作れるかが大事。美術館からも、ひとつの部屋に10分以上とか、観客が長く滞留してもいいよというふうに言われています。
今回、僕が大切にしているそういったアプローチを、公立美術館という場でやらせてもらえたことはとても良かったなあ、と感じています。というのも、いままでいろんなタイプの会場で展示をしてきたんですけど、比較的規模が小さくて自由度が高い会場で実験した技術や方法を、いざ公立の施設に落とし込もうとすると、とても難しいことが多かったからです。その背景には、「美術館とはこういう場所だ」という見せ方の慣習や、大きなイベントの場合、大勢の人をさばかないといけないという運営上の制約があるんやと思います。
それに対して今回の水戸芸は、もともとの作家に寄り添う姿勢の強さに加えて──本音では大勢をさばきたいと思っているかもですけど(笑)──東京のど真ん中にあるような美術館ではない点でも、作品にゆっくり向き合う時間や空間を作りやすい環境だなあと感じています。
