公開日:2022年5月2日

赤木俊夫さんの日常を演じる。気鋭のドキュメンタリーアクター、筒 | tsu-tsu インタビュー

ドキュメンタリーアクターである筒 | tsu-tsuが「KUMA EXHIBITION 2022」で発表した作品は、赤木俊夫さんのある日常の風景を、妻・雅子さんの協力を得て演じるというもの。再演を5月7〜8日に控える本作。その方法論とは。

《全体の奉仕者》(2022) 「KUMA EXHIBITION 2022」(ANB Tokyo)での上演風景 写真:Ryu Ika

ANB Tokyo(六本木)にて4月1日〜10日に行われた、クマ財団の第5期奨学生による作品展「KUMA EXHIBITION 2022」で、アーティストの筒 | tsu-tsuは、森友学園との土地取引を巡る公文書改ざん事件で2018年に自死した赤木俊夫さんを演じる作品《全体の奉仕者》(2022)を発表した。本作は赤木俊夫さんが本事件によってうつ病になる前のある朝の1時間を、筒が会場にて繰り返し演じるというもの。妻・雅子さんへの取材を通し制作された。
幼少期から日本舞踊を学び、俳優としても活動経験のある筒は、“人が別の人になる過程そのもの”を表現行為と位置づけて、実在する人物を取材して演じゆく「ドキュメンタリーアクティング」という手法を実践している。最新作の制作プロセスや、活動全体を貫くその方法論について聞いた。

《全体の奉仕者》(2022) 「KUMA EXHIBITION 2022」(ANB Tokyo)での上演風景 写真:板倉勇人

“渦中の人”の日常を描く

──まずは最新作である《全体の奉仕者》についてお聞きします。赤木雅子さんとの出会いが制作のきっかけということですが、どのような経緯があったのでしょうか。

筒 | tsu-tsu(以下、筒) 雅子さんとは、僕が運営するシェアハウスにいたドキュメンタリー作家を介して親しくなりました。出会ってから1年半ぐらい、森友問題のことはとくに意識することもなく、一緒に熊本や東北のボランティアに行ったりして友達のように過ごしていました。転機になったのは今年1月、雅子さんが都内で初めて講演をされたときでした。参加者には本当にいろんな思いを持っている方がいて、大半は「一緒に頑張りましょうね」という応援の声をかけるんですが、雅子さんは少し辛そうに見えました。裁判の代理人弁護士さんがそんな雅子さんに「いつでもやめていいんですよ」と声をかけたとき、僕自身も心のどこかでは“渦中の人”として接していたことを反省して。それで、鬱になってしまった俊夫さんや残された者としての雅子さんではなく、日常のふたりに興味を持ち、ひとりの人として俊夫さんを演じようと考えました。

このタイミングで作品化しようと思ったのは、雅子さんが国を相手に訴訟をしていた裁判が2021年12月の認諾(原告の請求を認めること)によって一度ストップしたことも大きいです。雅子さんは俊夫さんがなぜ亡くなったのか、改ざんの詳しい経緯を明らかにしたいという願いから訴訟を起こしましたが、国は認諾というかたちで決着を付け、賠償金を支払うことで、結果的に真相解明の道を大きく狭めることになりました。

ただ、誰かの死をうやむやにする臆病さのようなものは自分のなかにも内在しているし、演じることでそれを乗り越えたいと思いました。純粋に俊夫さんという存在に惹かれた部分も大きく、自分としては政治的な作品を作ったという意識はあまりありません。

《全体の奉仕者》(2022) 「KUMA EXHIBITION 2022」(ANB Tokyo)での上演風景 写真:Ryu Ika

──作品のなかでは、2016年4月4日の6:35〜7:35という具体的な場面を演じられています。雅子さんへの取材をもとにした、俊夫さんが出社するまでの何気ない夫婦の会話ですが、お互いへの信頼や甘えのある仲睦まじい様子がありありと伝わってきますね。

 俊夫さんにとって季節の移り変わりはとても大切なものだったようで、手帳に「桜満開」というメモがあった日の翌日を選びました。俊夫さんは真面目なイメージのいっぽうで、家では服を脱ぎっぱなしにしたり、毎朝雅子さんに車で送り迎えをしてもらったりという一面があったそうです。生前の俊夫さんを知っている人はとても少なく、雅子さんのなかにいる俊夫さんに出会うために、いろいろとフィードバックをもらいました。実際にいくつか俊夫さんの私物もお借りし、物の力を借りながら彼に近づくことを試みました。

《全体の奉仕者》(2022) 「KUMA EXHIBITION 2022」(ANB Tokyo)での上演風景 写真:板倉勇人

──この1時間を10日間の会期中に繰り返し演じることで、自身の身体、あるいは俊夫さんとしての身体にはどのような変化がありましたか?

 癖が染みついていくような感覚はあったのですが、とくに最後の回は自意識がなくなり、気がついたら終わっていました。俊夫さんとして自分の皮膚を見ているような感覚がありました。パフォーマンス中以外でも、生活のなかでふと「俊夫さんならどうするだろう」と考えていたり、夜道に街灯がぱっとついたときに、天ぷらを心待ちにしながら帰り道を歩く俊夫さんが見えたりして。完全にその人になることは不可能だと思っていますが、自分のなかに存在する俊夫さんを肥大化させるイメージで日々を過ごしていました。そうして育ったものは会期が終わっても僕のなかに生き続けると思っています。

──会場では、俊夫さんの部屋を再現した空間の前に半透明の幕が貼られ、そのなかで演技が行われていました。これにはどのような意図があったのでしょう。

《全体の奉仕者》(2022) 「KUMA EXHIBITION 2022」(ANB Tokyo)での上演風景 写真:Ryu Ika

《全体の奉仕者》(2022) 「KUMA EXHIBITION 2022」(ANB Tokyo)での上演風景 写真:Ryu Ika

筒 結局この演技も僕自身の解釈でしかないということを示したかったというのがいちばんの理由です。俊夫さんがそこに完全に再現されることはなく、観客もある程度抽象化されたイメージを想像力で補うしかない。

やってみて感じたのは、僕自身も幕のなかではごまかし放題だということです。もちろん常に真摯ではありたいけれど、そうじゃなくなっている状況が容易に想像できて、とても怖かった。ただそういうごまかしをしなかったのが俊夫さんでもある。視覚的な制限によって、演じる僕自身にも観客にも潜んでいる危うさを可視化したいと思いました。

《全体の奉仕者》(2022) 「KUMA EXHIBITION 2022」(ANB Tokyo)での上演風景 写真:Ryu Ika

自分が“筒”になることで演じる

──作家名でもある“筒”は日本舞踊に由来する身体感覚ということですが、どのようなものなのでしょうか。

 “筒”は「あらゆる人間存在が共有するもの」を表す際に自分が使う言葉です。それは一瞬一瞬のうちに更新される掴みどころないものなのですが、演じるときは、本名の今野誠二郎から筒を経由して被演技者に近づきます。舞踊を幼い時から続けていて、何度か神社に神楽を奉納する機会があったのですが、いわゆる神様の通り道になることが求められ、実際にその感覚を、覚え、獲得していきました。演じるうえでは、自分のなかの“筒”に色んな人格を通すことで、より外殻が自覚されます。ある人物に同化できる部分とできない部分があって、そのできない部分こそが、自分が25年間培ってきたパーソナリティ、またはその容れ物である筒とも言える。“筒”にこびり付いたその属性は、まったく違う人を演じることで塊ごと剥がすことができるんじゃないかと思っています。

僕はもともと演劇や映画の世界で演技を学んでいて、その構造や制約の多さに疑問を感じていました。ストーリーのない現実ではありえないことがたくさん起こっているから、まずはそれに目を向けるために、実在する人物を演じようと考えました。演技をするうえでいちばん面白いのは、役を一度全肯定しなければいけないということです。たとえば悪役だったとしても、倫理的な部分は一度置いておいて、その行動の必然性のようなものを自分が作る必要がある。演じるときには、その役をインプットするというよりは、すでに自分のなかにある特定の要素を膨らませていくような感覚があります。

《全体の奉仕者》(2022) 「KUMA EXHIBITION 2022」(ANB Tokyo)での上演風景 写真:Ryu Ika

──ドキュメンタリーアクティングのもとになるのが、演じる人物や周囲の人への取材を通して書かれた「アクリプト(Acript)」というテキストです。これは、通常の脚本とは少し違った役割を持つものとして使われていますね。

 アクリプトは、その人物として存在するのに不必要な要素、つまり意図的につくられたストーリーを排した、演技のための地図のようなものです。ドキュメンタリーアクティングは、個人の存在を巻き取る大きなストーリーから逃れてただひとりの人間として存在することの実践だと考えています。

《全体の奉仕者》アクリプト

──今回の作品なら、鑑賞者としては桜や落語の演目といった要素に意味を見出したくなってしまう部分もありますが、そのバランスはどのように取っているのでしょうか。

 僕自身は、周囲の人の目を借りてその人物を立ち上げることに関心があります。もちろん取材で聞いた話から色々な要素を選んでアクリプトを書いているので恣意性はあるのですが、なるべくそこから逃れたいという気持ちでやっています。今回なら、俊夫さんの日常を自分が体験するためのフックとして、落語を聞く、ワセリンを塗るなど、俊夫さんが繰り返ししていた行為を入れました。最後のコップを落として割るシーンは演出的に見える部分かもしれませんが、それも雅子さんが俊夫さんの陶器を割ってしまったときに、「かたちあるものは壊れるんや」と言いながら泣きそうな顔をしていたというエピソードに着想を得たものです。アクリプトには、そこまで自分自身の感情を持っていけるかを試すための要素として差し込みました。

《全体の奉仕者》(2022) 「KUMA EXHIBITION 2022」(ANB Tokyo)での上演風景 写真:Ryu Ika

ひとりの人間が損なわれずに存在できる場所

──2018年からは神楽坂でシェアハウスであるアーティスト・ラン・レジデンス「F/Actory」を主催されていますが、ドキュメンタリーアクティングをはじめとする自身の活動とはどのようなつながりがありますか?

 F/Actoryを始めたのは、以前別のシェアハウスで自分がいつの間にか変えられてしまうような経験をしたことや、1年弱の留学期間に欧米10ヶ国で自治的なアートコミュニティをリサーチして周り、仕組みを超えたその生態系としてのあり方に影響されたことがきっかけです。生活空間というのは何よりも情報量が多く、自分もその環境に対して働きかけられるという実感があったので、社会参加の縮図として共同生活を選び、立ち上げました。僕はつねに人が近くにいることがあまりストレスじゃないし、ルーティンを作るのが結構好きなんです。今回のアクリプトもそうですが、生活においても24時間、1日という振り付けを作り、それを演じ続けることで、外圧を退け、そこに存在し続けられると信じています。

──他者の存在に出会いながら属性を渡しあうようなイメージは、ドキュメンタリーアクティングの方法論や“筒”の感覚にも共通していますね。

 演じることを前提にしなくても、誰かに出会えば、自分しか知らないその人というものが自分のなかに芽生えてきますよね。そして、その人のなかにも過去に出会ってきた人が無数に内包されている。であれば、僕はまったく出会ったことのない人のなかにも存在していると言えます。生まれてからずっと受容し続けてきたすでにある物語から少し距離を置いて、人の可変性に出会い続けるということ。ひとつの存在が損なわれない、他者に損なわせないような状況をつくりたいという気持ちはすべての活動に共通していると思います。

F/Actoryで上演された《Being My Friend》(2021)。本作は筒が7日間にわたり、1年前に急逝した友人を、偶然に残された3時間の音源を書き起こし演じ続けた

──5月7日、8日にはF/Actoryで《全体の奉仕者》を再演されます。今後、ドキュメンタリーアクティングをどのように展開させていきたいとお考えですか?

 再演では、ANB Tokyoの展示では設けられなかった鑑賞者との対話の場をメインにする予定です。自分が普段住んでいる場所で、他者の生活が立ち上がる。次の瞬間には、私は私として自宅から来場者を送り出す。この演技は演技で終わらず、鑑賞者の実生活と地続きなのだと信じています。ドキュメンタリーアクティングは方法論なので、ほかの人にも共有して、実践してもらいたいです。誰が誰を演じることで、何が表明されるのか。まずは、他者の視点を想像することから始め、そして取材し、アクリプトを作ってみる。自分以外の演技者が生む空間に立ち会ってみたいです。

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Profile
筒 | tsu-tsu
ドキュメンタリーアクター。1997年東京生まれ。幼児より修する日本舞踊から得た「筒(つつ)」という身体感覚を手がかりに、演技と都市空間を用いたプロジェクトを展開、その表現手段は映像、パフォーマンス、インスタレーションと多岐に渡る。渦中の人として存在し直すことで、与えられる物語との適切な距離を探る。神楽坂でアーティストランレジデンス「F/Actory」を主催(2018〜現在)。文科省トビタテ留学JAPAN10期で欧州、中東、北米10か国の自治的なコミュニティのリサーチを行う(2019〜21)。クマ財団クリエイター奨学金5期生。「KUMA EXHIBITION 2022(ANB Tokyo/ 六本木)」にて『全体の奉仕者』を発表。5月7〜8日に本作を「F/Actory」にて再演予定。

筒 | tsu-tsu『全体の奉仕者』
2022年5月7日〜8日
会場:F/Actory(JR・メトロ飯田橋駅より徒歩5分)
予約:https://tsutsu-servant.peatix.com/view
5月7日(土) 14時〜
5月7日(土) 16時〜
5月7日(土) 18時〜
5月8日(日) 14時〜
5月8日(日) 16時〜
5月8日(日) 18時〜
*上演時間予定 約40分
*上演以外の時間は、作家とのトークの場を用意
*会場の詳細は予約後にメールにて案内

白尾芽

しらお・めい 1998年神奈川県生まれ、東京工業大学大学院(伊藤亜紗研究室)在籍。ダンス研究/ライター、編集者。ウェブ版「美術手帖」で執筆のほか、芸術文化に関わる情報誌の制作などに関わる。