公開日:2024年3月8日

時間と空間を超える心の音楽。「ヨーコ・オノ:ミュージック・オブ・ザ・マインド」(テート・モダン)レポート(文:伊藤結希)

2月に始まったロンドンのテート・モダンでのオノ・ヨーコの大規模個展の様子をお届け。

ロンドンでオノ・ヨーコ個展が開幕

マリーナ・アブラモヴィッチ、サラ・ルーカスと大規模なワン・ウーマンショーが立て続けに開催されているイギリス・ロンドンで、テート・モダンを会場にオノ・ヨーコの展覧会「ヨーコ・オノ:ミュージック・オブ・ザ・マインド」が始まった。会期は2月15日〜9月1日。

会場入口 撮影:筆者

1955年から現在まで約70年に及ぶキャリアをゆるやかな時系列で展覧する本展は、オノの芸術家・音楽家・活動家としての業績を祝福することを目的としている。ともすれば未だにジョン・レノン夫人として語られるオノだが、展示における歴代パートナーの扱いはじつにさらりとしており、オノ・ヨーコその人に集中できる構成となっている。

心の音楽

タイトルにある「ミュージック・オブ・ザ・マインド」はオノの覚書からとられている。

私にとって存在する唯一の音は心の音です。私の作品は人々に心の音楽をもたらすためのもの…心の世界では物事は広がり、時間を超えてゆく。

The only sound that exists to me is the sound of the mind. My works are only to induce music of the mind in people … In the mind-world, things spread out and go beyond time.

会場壁面より

音楽になぞらえた印象的なこの言葉は、言葉の指示(インストラクション)によって鑑賞者の想像する力に働きかけ、人間同士の関わりに重きを置くオノの制作姿勢を端的に表している。

この言葉をキュレーション面からも体現するためか、各展示室では(おそらく意図的に)サブタイトルを設けていない。来場者は、オノの表現が時代と媒体(言葉・音楽・パフォーマンス・イベント・彫刻・映像)を超えて変奏するさまを、キュレーターが付したタイトルによってではなく、まさに作品を見ることによって直に感じることができるだろう。それはオノが「心の世界では物事が広がり、時間を超える」と述べたように、作品と展示室が広がり、つながり、ひとつの総体を成すような感覚である。

そういうわけで、本稿では明確な章分けがない展示の様子を展示室単位ではなく、4つの時代―NY、東京、ロンドン、1970年代以降―にわけて紹介したい。

フルクサスとインストラクション―NY時代

アルバム『フライ』(1971)に収録された《テレフォン・ピース》(電話の呼び鈴のあとにHello, This is Yokoとオノの声が聞こえる)が挨拶に代えて来場者を迎えたあと、最初に現れるのは《ライティング・ピース》だ。

オノが自分にとって初めてのアート作品かもしれないと語る本作のインストラクションは、「マッチに火をつけて、消えるまで見続けなさい」。コンセプト自体は1955年のものだが、後述するオノの代表作『グレープ・フルーツ』(1964)に収録されている。

ここでは『グレープ・フルーツ』から抜粋されたオリジナルのインストラクションテクスト、草月アートセンターで上演された1962年のパフォーマンス記録写真、マッチの炎がスローモーションで消えゆく様子をとらえた映像《Film No.1 (Match) / Fluxfilm No.14》(1966)と3つの別形態の《ライティング・ピース》が並べられ、オノの原点ともいえるこのコンセプトの発展が多角的に探求されている。

会場風景より、『グレープフルーツ』より《ライティング・ピース》のタイプスクリプト 撮影:筆者

《ライティング・ピース》を含め、展示の前半では主にフルクサスとの関わりのなかで生まれた作品がフィーチャーされる。たとえば、床に設置した円盤状のキャンバスに水を滴らせることで描かれる《ウォータードロップ・ペインティング (バージョン1)》(1961/2024)と、人がキャンバスを踏みつけることで完成する《踏まれるための絵画》(1961/2024)がそうだ。

いずれもフルクサスの主導者ジョージ・マチューナスが1961年にオープンしたAGギャラリーでオノが発表した「インストラクション・ペインティング」からの再現だ。この時点ですでに鑑賞者を絵画の制作に誘う姿勢を見て取れるのが興味深い。

会場風景より、テートのスタッフによって断続的に水が垂らされる《ウォータードロップ・ペインティング (バージョン1)》 撮影:筆者
会場風景より、実際に踏むことができる。《踏まれるための絵画》 撮影:筆者

翻って、その後発表された《絵のためのインストラクション》(1961〜62)では、物質すら伴わない。そこで提示される詩的に綴られたインストラクションは、特定の形を持たず、読み手の頭のなかでのみ完成する。いわばコンセプチュアルな絵画だ。

つまり、このとき作品の制作者はアーティストから鑑賞者に譲渡される。アイデアそれ自体を芸術作品とする本作は、コンセプチュアル・アートという概念が提唱される以前に生まれた、まさにパラダイムシフト的な作品である。

会場風景より、《絵のためのインストラクション》(1961-62)より《頭の中で組み立てる絵》 撮影:筆者

言葉と音楽―東京への一時帰国

続く展示室は、1962〜1964年の東京一時帰国時代を取り上げる。1964年に京都の山一ホールを会場にしたコンサート「現代アメリカ前衛音楽演奏会」で初演された《カット・ピース》(1964)や《バッグ・ピース》(1964)などオノを象徴する重要なパフォーマンスが当時の資料とともに紹介される。

会場風景より、プログラムやチケットなどの資料 撮影:筆者
会場風景より、プログラムやチケットなどの資料 撮影:筆者
会場風景より、のちにカーネギーホールで実施された《カット・ピース》の映像 撮影:筆者
会場風景より、黒い袋の中に入り身体が見えなくなると日常的な動作さえも奇妙に映る 撮影:筆者

ここで何より重要なのは、インストラクションを集めた作品集『グレープフルーツ』(1964年に自費出版)によって、オノのインストラクションが言葉による楽譜であることが明らかになる点だ。音楽を作る作曲家と実際の演奏者が異なるように、オノは美術においても作品を構想する人物とそれを実現する人物が異なっても良いと考えた。

これによって、パフォーマンス、イベント、鑑賞者を誘う参加型アートという異なるアウトプットが「楽譜=インストラクション」というユニークな枠組みのなかで理解できるようになる。オノの芸術は誰もが、どこでも、何度でも上演できるのだ。

会場風景より、『グレープフルーツ』より151枚のインストラクションカード 撮影:筆者

たとえば「あなた達の影がひとつになるまで、重ね合わせなさい」のインストラクションに基づいて、来場者が「上演」する《シャドウ・ピース》では、グラファイト鉛筆で自分や相手の影をキャンバスに定着させることができる。

会場風景 提供:筆者

多様化する表現―ロンドン時代

そして本展の中心となるのが、1966年から5年間に渡るロンドン滞在期間である。大きく開けた空間に映像、彫刻、参加型アート、ジョン・レノンとのコラボレーションワークが集結し、より一層多様化するオノの表現を辿ることができる。

会場風景 撮影:筆者
会場風景より、《釘を打つための絵》(1966/2024)。実際に釘を打つことができる 撮影:筆者
会場風景より、コマと盤面のすべてが白い《ホワイトチェスセット》(1966/2024)。ベトナム反戦運動の作品で、自分のコマがどこにあるか覚えている限り遊べる。背後にはビルボードを用いた平和運動の記録写真《WAR IS OVER! IF YOU WANT IT》 撮影:筆者
会場風景より、《天井の絵(イエス・ペインティング)》(1966) 撮影:筆者

注目したいのは、リラックスできるソファとともに専用のリスニングスペースが一角に設けられていることだ。ここでは1969年から2018年までにリリースされたレコードのアルバム・ジャケットのセレクションと、この展覧会のためにキュレーションされたプレイリストを楽しめる。

実際、ソロ・アーティストとしても、レノンとともに組んだプラスティック・オノ・バンドとしてもオノの音楽活動は多作だった。このようにポピュラーミュージックまでオノの業績をカバーする展覧会は珍しいのではないだろうか。

会場風景より、リスニングスペースの専用端末 撮影:筆者

また、ロンドンというロケーションで外せないのは、クローズアップで撮影した200人の尻のフッテージをつなぎ合わせた実験的な映像作品《Film No.4 (‘Bottoms’)》(1966〜67)であろう。

オノは平和への嘆願書代わりとして、ロンドン市民を文字通り映像によってひとつにつなぎ合わせた。じつは、この作品は当時の英国映画検閲委員会(BBFC)によって上映禁止にされており、それに対するオノの平和的な抗議運動の記録写真も同時に展示されている。最終的に年齢制限付きで限定的に上映された本作が、大きく「公共の場」で映されているのはシニカルだ。

会場風景より、「この映画の何がいけないのか」と平和的に抗議活動をするオノの記録写真 撮影:筆者
会場風景より、ロンドンのリッソンギャラリーで発表された《Half-A-Room》(1967)。白で統一された空間で全ての家具が半分になっている 撮影:筆者
会場風景より、オノが初めてレディメイドに取り組んだ作品群 撮影:筆者

個人的なことは政治的なこと―1970年代以降

終盤では、主にフェミニズムと平和運動に捧げられた作品が並ぶ。「個人的なことは政治的なこと」とは1960年代以降の第二波フェミニズムのスローガンであるが、オノにおいてはひとりひとりの個人的な願いが世界平和というより大きな願いに働きかけることができると信じている点で、このフレーズがフェミニズムのみならず平和運動、ひいてはオノの制作姿勢そのものにも跨っていることがよくわかる構成になっていた。

1匹のハエが全裸で横たわる女性の身体を動き回ったあとに飛び立つ『FLY』(1970〜71)や、ブラジャーから解放されようともがくオノを映した『Freedom』(1970)といった映像作品は、明らかに当時のフェミニズムムーブメントへの応答と見るべきだろう。個人的な身体に基づきながら総体としての「女性」解放とエンパワメントを表現している。

会場風景より、《FLY》(1970-71) 撮影:筆者

比較的近作の《My Mommy is Beautiful》(2004/2024)は、天井に吊された9枚の写真と、「お母さんへの思いを書いてください。あるいは、写真をキャンバスに貼ってください」と鑑賞者を誘う参加型アートのふたつで構成されている。これもまた、個人的な体験の集まりから「母親」という社会で記号化されたより大きな存在を浮かび上がらせる試みである。

会場風景 撮影:筆者
会場風景 撮影:筆者
会場風景 撮影:筆者

いっぽう、《色を加えるペインティング(難民船)》(2016/2024)や《Helmets (Pieces of Sky)》(2001)では、ベトナム反戦運動から変わらぬ平和への希求が見て取れる。

これらの作品は<青いペンで文字を加えて海を作る>と<戦争と暴力を連想させる軍用ヘルメットから平和の象徴である青空のパズルのピースを持ち帰る>という足し算/引き算の違いはあれど、小さな行動や思考による癒しの可能性を探求している点でコンセプトの根幹は同じだ。平和運動においても、やはり「個人的なことは政治的なこと」なのだ。

会場風景より。2015年の欧州難民危機へのレスポンスとして制作された本作だが、本展ではLove & Peace、Free Palestine、Cease Fire、Not Warなどパレスチナのジェノサイド、ウクライナ侵攻に対する言葉が多く見られた 撮影:筆者
会場風景 撮影:筆者
会場風景。バラバラのパズルのピースは組み合わさってひとつの大きな空になるようデザインされている 撮影:筆者
会場風景 撮影:筆者

会場出口のコンコースには、《ウィッシュ・ツリー》(1966/2024)も設置されている。願い事やメッセージを短冊に書き、木に結ぶ参加型アートである。願い続けることの重要性が物理的に可視化される。

会場風景 撮影:筆者

「ヨーコ・オノ:ミュージック・オブ・ザ・マインド」は、本稿で紹介できないほどのボリュームで非常に多岐にわたる資料と作品を渉猟している。オノの制作姿勢を表す比喩的な意味においても、そして文字通りの意味においても、オノの芸術の出発点であり、その後も彼女と並走し続けた「音楽」を探求した展覧会だといえるだろう。

伊藤結希

いとう・ゆうき

伊藤結希

いとう・ゆうき

執筆/企画。東京都出身。多摩美術大学芸術学科卒業後、東京藝術大学大学院芸術学専攻美学研究分野修了。草間彌生美術館の学芸員を経て、現在はフリーランスで執筆や企画を行う。20世紀イギリス絵画を中心とした近現代美術を研究。